古代先生式、猫のすゝめ
自称、稀代の小説家は言った。「猫が欲しい」と。
それなら、ペットショップにでも行けばいい。もしかすると、この変人――いや、このオキャクサマは何か勘違いをしているのかもしれない。
「あの、うちはペットショップじゃなくて、書店ですよ。申し訳ございませんが、猫は取り扱っておりません」
「それくらい分かっているさ。世話になっている
古代先生は肩をすくめて、憎たらしくニヒルに笑った。古風なキャメルカラーのだぼっとしたスーツに、くすんだ茶色のベストという出立ちが余計にサマになっているものだから、若干のウザさを感じる。
「じゃあ、なんでうちへ来たんですか」
「それは君、決まっているじゃないか。猫を飼うための資料を探しているのだよ」
聞けば聞くほど謎が深まる。首を傾げていると、古代先生はつまらなさそうなため息を吐いた。
「おいおい、君は書店員だろう? 客の要望に応えられずにどうするんだい。噂の二次元彼氏とやらにうつつを抜かしているから、仕事もままならないのではないか?」
「余計なお世話です」
この男、私の弱味を握るなり、やたらとその話題を持ち出してくる。まぁ、そのおかげで先生の前では素直に『
話がつまらない男でも、顔が良ければ目の保養とするだけの価値はある。話はつまらないけども。
「……で、猫のどんな本をお探しで?」
猫を飼うための資料というのだからペットの飼い方、ペットの気持ちが分かる本が妥当だろう。しかし、この男は変化球を豪速球で投げるから油断はできない。
古代先生は顎をさすりながら言った。
「そうだな……僕もあれこれと調べてはいるのだが、まずはやはり猫の生態と種類が分かる図鑑のようなものだろうか」
やっぱり初球から飛ばしてきたな。私の読みは正しかった。
「分かりました。探します」
私ほどのレベルになれば驚きもしない。だからか、古代先生は不満そうに口を曲げた。
「やけに素直じゃないか。君、さては僕の話を聞く気がないな?」
「最初からないですよ。先生の顔以外に興味ないんで」
気だるく吐き捨てながら、私はカウンターから出て図鑑コーナーへと足を向ける。その後ろを、古代先生がついてくる。
「つまり、僕の顔には興味があるということだろう? だったら僕の顔に免じて職務を全うしたまえ。半端なものはいらないからな。精密に精巧に書かれた図鑑がいいのだ」
この男、驚異のポジティブ思考である。スタスタと先を行く私は、なるべく平静を保って静かに店内を巡った。カウンターから生物図書のコーナーは距離がある。
向島書店、
私が担当する東側はファッション雑誌からマニアックな雑誌、漫画やライトノベルの棚だが、専門書や参考書、文芸書籍なんかは西側の担当だ。本当なら西側のスタッフに頼みたいところ……それができない理由はやはり、この男のせいである。
「先生、私よりもこの本屋に詳しいんでしょ? だったら、自分で探せばいいじゃないですか」
わざわざ面倒なことをしたくない。ただでさえ他の業務だってあるのだ。日がな一日、ぼーっと推しのことを考えているわけじゃなければ、スマートフォンを眺めているわけでもない。
「
これに私は、彼に見られないよう顔をしかめた。
加苅というのは私の同僚だ。お団子頭がよく似合う同い年の女の子。あいつ、口軽いからなぁ……最悪。
そもそも私が古代先生専属スタッフになったのは、成り行きだった。ていうか、私はそれを認めてないのに周りが勝手にそう言ってるだけだ。
「別に、先生の顔がいいからってだけですよ。私が優しくしてるのは先生の顔がいいから」
「愛しの『
「悔しいくらいにそっくりですよねぇ。中身はまったく違うのに。そこが本当に残念」
話をしている間に、ゲーム関連の書籍棚に差し掛かった。そこには大きなソーシャルゲームのポスターが貼ってある。シュッとした顔立ちの男キャラが勢揃いのソーシャルゲーム――「宵の口へのいざない」、通称「よいいざ」は、巷で流行りの女性向けノベルゲームである。妖怪やモンスターを擬人化したイケメンたちのうち、一人をお供に夜の街を守っていくっていうストーリーだが、その中でイチ推しのキャラクターが「孤狼大地」という狼人間。体格は孤狼くんのほうが断然いいし、高身長で骨格が角ばっていて、胸筋も広い。古代先生もそれなりに高身長だが、ひょろいし薄い。
このポスターを見ていると、先生が後ろから私の背中をつついた。
「志熊くん、見惚れるのは分かるが、仕事を優先してくれないか。その後で、彼と存分にちちくりあっていればいい」
「先生、マジで喋んないで、醒めるから」
ポスターから目を離し、先生から遠ざかるように前を歩く。先生は律儀に私の足跡をたどるように後ろをついてくる。
「ちなみに、『よいいざ』には猫は登場するのかい?」
喋んなと言ったばかりですぐに口を開いている古代先生。私はうんざりとしながらも、それに答えた。
「猫……は、いないですね。猫又キャラとかいそうなものなのに」
「ならば、運営に直訴して猫又男子を作ってもらいたまえ。猫はいいぞ、猫は。狼は野蛮で危険だからな、猫のほうが大人しくて素っ気なくてかわいいぞ」
鬱陶しいほどに猫を推すな。
「先生って、そんなに猫好きなんですか? ご実家では柴犬を飼ってましたよね?」
「あぁ、柴犬のゲンゴロウだ。可愛かったなぁ」
柴犬にゲンゴロウって名前をつけるセンスが私には分からないわ。
「しかし、今は猫だ。世間は猫を飼えと僕に言っている。見たまえ」
言われて振り返ると、古代先生はスラックスのポケットから折りたたみ式の黒い携帯電話を出した。
待ち受け画面を見せてくる。愛くるしくも、鼻が上を向いたふてぶてしい猫の画像。
次に、彼は携帯電話を素早く操作して画像フォルダを呼び出した。そこには溢れんばかりの猫画像が。下へ送っても猫。ずっと猫。たまにラーメン。しかし、フォルダは猫一色。猫、猫、猫。黒やブチ、キジ、サバ、ミケ、中にはペットショップで撮ったと思しきアメリカンショートヘアやマンチカンまで種類は様々だ。
「猫にハマってるんですねー」
「ハマっているというよりも、僕は猫を飼わねばならんのだ。なるべく早く」
「なんで?」
「それは君、決まっているだろう。作家だからさ」
わけのわからない理屈が返ってきた。作家だから猫を飼わなくちゃいけない? どういう意味だろう。
口を開けずにいると、先生は真剣な顔つきで言った。
「探偵には黒猫、ミステリ作家にはサバ猫、作家には猫。神作家となれば、その横には必ず猫がいる。すなわち、猫さえいれば僕は作家として大成するということだ。とにかく猫が必要だ」
古代先生は、ときたま意味不明な持論を展開することがある。顔はかっこいい孤狼大地そのものなのに言動が古風で偏屈だから、本当に喋らないでいてほしい。その口を何度縫い付けてやろうかと思ったことか。
「さて、志熊くん。できれば先へ進んではくれまいか。僕のこの猫への情熱が冷める前に、なんとしても猫を飼うための情報を頭に叩き込む必要がある。そしてシミュレーションするのだ」
口を開けば猫、猫、猫。とにかく猫。それなのに、調べるところがズレていると思うのは私だけなんだろうか。
それからは何も言うことなく、私は素直に先生が所望する図鑑を適当に見繕った。
「なるほど、猫の不思議図鑑」「ねこの気持ちが分かる本」「動物学入門」は大人向けの書籍。あとは子供向けの「なぜ?どうして?ふしぎいっぱいずかん〈どうぶつ〉」も追加して渡すと、先生は満足そうに顔をほころばせた。締まった目尻が緩んでいる。孤狼くんと同じように笑うから、やっぱり彼は黙っているほうがいい。
「ありがとう。これで猫を研究するよ。結果は追って知らせよう」
そう言って、先生はおとなしく西側のカウンターへ走った。
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