イヒ・リーベディヒ ~世界を滅ぼした魔王の恋~
あさぎかな@電子書籍/コミカライズ決定
イヒ・リーベディヒ ~世界を滅ぼした魔王の恋~
「魔王、覚悟!」
勇者らしいセリフを口にするのは、十代後半の長い黒髪の美女だ。
よく通る声、電光石火の如く自分との距離を詰めるその姿。白い甲冑は軽装のようで、腕や足は太ももまで肌が露出している。仮に自分に肉体があったころなら、彼女の姿を見て卒倒していたかもしれない。
「来い……、勇者」と自分は冷めた声で、答える。
あの日。
学校の裏庭で彼女に告白なんてしなければ、こんなことに巻き込まれなかっただろうか。
どことも知れぬ異世界で、勝手に祀り上げられた勇者と魔王。
よりにもよって彼女が勇者で、自分が魔王とは笑ってしまう。
魔王の器として魂が定着し、覚醒する。不死の王──基本的な骨格は人間に近いが、尾と角がある。しかし肉はなく、骨だけが空虚を
その外見はゲームのラスボスにふさわしい──などと、どこか客観的に自分の現状を捉えていた。冷静すぎると言うべきか、感情の起伏が薄いのだ。これも魔王の特性の一つだろうか。
魔王城はテンプレも良いところの西洋のゴシック建築に似た造りで、玉座の間は広々としている。ゆえに魔王と配下の四天王に勇者一行がぶつかるには、おあつらえ向きと思えた。
魔族と人間。城の外では魔王軍と王国軍が戦禍を交えている。
相容れぬ二種族の戦いに、今決着がつけられようとしていた。光と闇はどちらか一方がなければ成立しないというのに、この世界ではどちらかが滅ぶまで血で血を争う戦いが続いている。
馬鹿らしいと頭で思っていても、呪われた体に染みついた怨嗟の声が、自分を突き動かす。
あんなに会いたかった想い人すら、今は手にかけたい気持ちしかない。
「
「ふん、こざかしい。
轟ッツ!
最高戦力による総力戦。
オレンジ色の爆発がいたるところで花火の如く舞い散る。
様々な魔法と攻撃によって舞台は爆風に包まれた。
土煙の中、馬鹿の一つ覚えのようにツッコんでくるのは
中々の連係プレイ。
呼吸もタイミングも完璧だ。
だが、あくまでも人間にしては──。
四天王は通常の物理攻撃はもちろん、魔法攻撃をもブロックする
四天王たちの攻撃一つで人間の街を数十と沈めた。驚異的な戦闘力を持ち、戦闘狂である。対話、交渉など最初から持ち合わせていない。
己が欲を満たすために存在していると言っても過言ではない。
強者との戦い。金銭欲、名誉欲、食欲など。
「サポートします。神の加護第三レベルまで解放。
勇者たちたち全員が光を纏う。朝焼けに似た眩い煌めきに魔王軍は一瞬だけ怯む。その隙を見逃さずに、魔法使いが杖を掲げる。
「
神々の御使いである天使たちが漆黒の闇の魔王城を真昼のように照らす。魔法使いと言っても、勇者一行のパーティーは殆ど光魔法に特化した使い手のようだった。また重装戦士の巨大な盾が煌めく。
光属性に弱い
「そこは通させてもらうよ、
重装戦士は
恐ろしいことに倍以上もある竜王の巨体と拮抗し──あまつさえその場に押しとどめた。
「いけ、勇者!」
「うん」
勇者は不釣り合いなほど巨大な剣を軽々と構え、そのまま突貫してくる。
玉座まで一気に階段を駆け上がった。
「魔王、覚悟!」
「魔王様の前にわたくしがおりますが?」
勇者の前に
その態度に大悪魔は「愚かな」と背後から勇者を殺そうと距離を詰め──手にした大鎌を首目掛けて振り下ろす。
金属──いや、妙な音が響いた。
彼の大鎌を止めたのは白銀の
「勇者の特殊スキルか」
《勇者の特殊スキル》──それは気まぐれな神々の仕業だ。この
彼女たちに敬意を称して、自分は出来るだけ派手な術式をくみ上げる。その所要時間二秒。玉座の間いっぱいに幾何学模様の術式が転じる。
「
巨大な爆炎によって勇者たちは木ノ葉のように吹き飛び、大理石の床に叩きつけられる。即死はしなかっただろうが、力の差はこれでわかっただろう。
撤退するなら──見逃そうと思っていた。だが、爆炎と砂塵が広がる中、剣を構えたままの彼女が居た。
長い髪が風で揺れる。
力強い瞳が自分を射抜く。その儚くも美しい姿に思わず見惚れてしまった。いや、惚れ直したというのが正しいのかもしれない。
「勇者特権──
迸る光に、勇者は再び突貫する。
先ほどよりも速く、鋭い。四天王の攻撃をすり抜け、玉座の階段を駆け上がった。けして怯まぬその蛮行に自分は高らかに笑う。
ああ、なんとも悪役らしい。
「ならば我が応じよう。……
金属音が悲鳴を上げた。
剣戟は火花を散らし、剣筋が星に似た煌めきを帯びる。
二十合打ち合うが、威力も速度も衰えない。
勇者の猛攻を
傍から見たらワルツを踊るように見えたかもしれない。
ぶつかり合う刃と刃。
削られる体力と精神力。
消耗が激しいのは勇者の方だ。自分はそもそも人間ではないので、疲労などの概念がない。代わりに魔力が削られるのだが、それでもまだまだ余力はある。魔王一人だけでも世界を滅ぼせるだけの魔力を秘めているのだ。
勝敗は決まっている──はずだった。
キィン、と高鳴る金属音が不穏に聞こえた。
勇者の剣戟から受ける衝撃に違和感を覚える。
物理や精神攻撃でもない。だが、刃で受けきっても体に何らかの負荷がかかる。
重力系統の魔法だろうか。
さきほどから体の動きが鈍い。
──なんだ?
魔王特性として痛覚もない。さらに肉や皮膚がない骨だったからこそ気づくのが遅れた。足元がいつの間にか
その僅かなロスタイムが勇者に好機を与えた。
「
轟ッッツ!
膨れ上がる光の刃は太陽に匹敵するほどの熱量を宿す。
ドロリと魔王の指にはめていた指輪や装備品の魔導具だけが溶けた。これでは魔導具による威力強化は使い物にならない。
「フッ、やってくれたな」
鋭く、低い声。それが今の自分の──魔王の声だと思うと本当に別物になってしまったのだと痛感する。そんな感覚も、心も自分には薄れていくばかりだが。
彼女は避けない。
被弾しながら、こちらとの間合いを詰める。
自分は剣を放り投げると、白い骨だけの手を勇者に伸ばす。超至近距離からの
人間の心臓を止める小技だが、それで十分に勝機は残っている。
「魔王ぉおおおお!」
勇者は天井に向けて掲げた聖剣を振り下ろす。真っすぐな瞳が自分を射抜いた。
自分は彼女へ手を伸ばした刹那──ふと、ある記憶が蘇る。
***
高校卒業式。
梅の花が咲いて、桜の蕾が目に入る三月。
ベタ過ぎるシチュエーションだと互いに思っていたが、こういうジンクスみたいなのがお互いに好きだった。だから告白の前に互いに口元が緩んだ。
初々しい青春の一ページ。
そうなるはずだった。
だが──二人を襲ったのは眩い閃光。
白と黒の光が迸り、二人を取り巻くように幾何学模様の魔法陣が展開する。
「和田先輩!」
「朝霧、お前だけでも逃げろ!」
彼女だけでも逃そうとするが、一瞬で二人の体は光の粒子となって消えた。
***
──こんなに近くにいるのに、なぜ朝霧と──想い人と殺し合わなければならないのだろう──
魂の記憶が
温かな光に、魔王は貫かれた。
光の残滓が花びらのように魔王城に降り注ぐ。その光景が幻想的で──この異世界に転生をして初めて世界が美しいと思えた。
目蓋などもうないというのに、あまりの眩しさに耐え切れなかったのか視界が暗転する。
魔王としてなんともあっけない幕切れだったが、どこか満足だった。
最後に彼女の姿を見ることが出来たからだろうか。彼女が生き残るなら、悪くない最後かもしれない。もっとも自分はこの世界に召喚された時から魔王なので、こんな感傷に浸るのはおかしいのかもしれないが。
しかし、いつまでも死に逝く感覚が得られなかった。
可笑しい、と顔を上げようとするが体が思うように動かない。全身の骨や筋肉が悲鳴を上げている。
次に、なぜだか頬に柔らかくて弾力のあるクッションに気づく。魔王になってからは骨だけだったはずだが、妙に体が暖かく感じる。
──にしてもこのクッションはなんだ?
もう少し触れてみたら思い出せるかもしれない。
もみもみもみもみ。柔らかい。
「?」
「い、いつまで胸を触っているんですか!」
急に視界がクリアになったかと思った瞬間、自分は──勇者、いや朝霧晴香の胸に顔を埋めていた。その上、片手で胸をもんでいた。無意識に。本当に無意識だったと誓ってもいい。
「え、あ、いやこれは……」
そう言って、自分の手が視界に入る。白い骨ではなく──人間の手だ。ふと周囲に散乱していた
「転生前の……俺の体?」
「やったあ、成功した……んだ」
そう言って、自分に抱き着くのは勇者──朝霧晴香だ。良く見ると甲冑のほとんどが砕けて、肌着に近い恰好だった。恐らく先ほどの一撃の為に武具そのものに込められたエネルギー全てを解放したせいだろう。
想い人の姿をよく見たいけれど、良心的に直視する訳にはいかず──自分の羽織っていたローブを彼女の肩にかけた。
「嫁入り前の女の子が肌を過剰に出すものじゃない」などごにょごにょと口走る。
それを聞いて、彼女の瞳が揺らいだ。
「……先輩っつ」
朝霧は堪えきれず、大粒に涙を零す。そうやって泣き顔を見ると、どうすればいいか分からず、自分はあわあわするばかりだ。
「え、あ、朝霧……?」
「……初めて、出会った時も……ずぶ濡れだった私に、先輩がそう言って上着を貸してくれましたよね」
よく覚えている。そう思ったけれど、自分もあの日の事は覚えていた。
六月の雨の日、学校帰りに降り出したゲリラ豪雨。屋根のあるバス停まで到着すると、濡れネズミのような少女がいた。その時、制服が透けて下着が見えていることに気付いて、慌てて上着を貸したのだ。
魔王城は静寂に包まれ、月夜の日差しが天井から差し込む。玉座の間は巨大な
「それにしても、あの魔王が俺だってよくわかったな。俺、お前と違って転生だったから気づかないと思ったぞ」
「異世界に召喚された時に、魔王も同じく召喚されたって聞いて、もしかしたらって思ったの。最初、宣戦布告をした時、私に言ったじゃないですか「勇者よ、世界の半分をくれてやるから恋──手を組まないか?」って。あんな風に大事なセリフを間違えかけるなんて、先輩ぐらいじゃないかって……」
「う、うるさい。魔王になったんだから、それらしいセリフを言ったまでだ」
本当は彼女と会えて嬉しかった衝動で告白しようとしていたとは、恥ずかしくて言えない。
「先輩ってそういうところありますよね」
「どういうとこだよ?」
「形から入るタイプと言うか、生徒会の時だって……」
「悪かったな」
「ふふっ。でも先輩のそういうところ好きですよ」
彼女は本当にドキリとするセリフをさらりと言う。自分が変な顔をしていたせいか、朝霧は自分の発言に気づいたようだ。顔を少し赤らめて、話を逸らした。
「あー、えっと。私も頑張って魔王について調べたんです。……そしたら、呪われているって、ある魔導書に書いてありました」
驚いたことに彼女は異世界に来てからずっと、自分の呪いを解くために奔走してくれていたのだ。自分はこの体に転生した時に諦めていたというのに。
彼女は眩しいくらいに変わらない。
さすがは自分の後を継ぐ生徒会長様だ。
無理、出来ない、どうしようもない。という状況をいつだって斜め上の方法で解決する。前生徒会長の自分としては、不甲斐なさを痛感させられてしまうが。
「勇者の聖剣も、魔王の体もなくなったんです。これで私たちが戦う理由はありません。そうでしょ、先輩」
「ん、ああ……まあ」
「この世界の人たちへの義理立てはしました。これからは自由です。ちゃんと国王にも誓約書を書いてもらいましたもの」
何とも用意周到である。自分が魔王だった頃は感情の起伏も少なく、この世界を滅ぼすことしか考えていなかったが。いやだって魔王だし。
「自由……か。で、朝霧は何を考えているだ?」
「ふふ、もちろん。次は元の世界に帰る方法を探すことですよ!」
黒髪を靡かせ、彼女は子供のように無邪気に笑った。自分も口元を緩ませ──応えようとした刹那。
重装戦士の手にする銀の刃が一閃。
勇者の首をはねた。
真っ赤な鮮血がその場を染める。
自分は目の前で起こったことに頭がついていかなかった。ごとり、と彼女の首は床に転がり落ち、そのあとに首から下の体は力なく床に倒れた。
一瞬、何が起こったのか、わからなかった。
本当に。
ただ反射的に体が動く。
「あさ……ぎ──朝霧っ!?」
自分は彼女の傍に駆け寄ろうとして──背後から無数の槍に貫かれた。
「がっ……はっ」
血を固めて作られた槍は、
首だけ後ろを振り返ると、そこには下卑た笑みを浮かべる配下がいた。自分は彼女の体と共に階段を転がり落ちる。
「なん……の、つもりだ……! なぜ、彼女を……勇者を殺した!?」
転げ落ちた階段の下で地べたを這う自分に、重装戦士は笑って答えた。
「そりゃあ、決まってんだろう。勇者は魔王を倒さなきゃいけない。それがこの世界の仕組みなんだわ。で、魔王が死んだら勇者も光に包まれて消える。あー、つまり。この世界を存続させるためのエネルギーに変換されるっていうセオリーなわけだ」
この星の寿命はおよそ二百年前に尽きる筈だった。それを維持するためのエネルギー変換術式を生み出したのが、
十年に一度、膨大なエネルギーを蓄積する為に該当する者を呼び出す。それが異世界転移と転生。術式を発動させるエネルギーは異世界の人間一人分の肉体。つまり、魔王となる器が用意されているのは、異世界に移動するためのエネルギーを勝手に支払わされているからだ。
「呼び出す為のエネルギーコストまで俺たちが支払っているとか……。つくづくこの世界に都合がいい話だ」
まるでゲームのような──シナリオ。それも考えうる最悪な筋書だった。バッドエンドではないか。血を吐きながら、忌々し気に重装戦士を睨んだ。
「異世界の人間は、アタシらとはエネルギーの質量がけた違いに違う。だから、アタシたちはアタシたちの世界を守るために、魔王軍と共存することを選んだ」
「その通り。我らも自身が滅びゆくのは困ります。まだまだこの世界でしか味わえない愉悦を存分に楽しみたいのです」
最初から仕組まれていた。
自分と彼女は世界を維持するための人柱だったと言うのだ。勝手に異世界に呼び出して、殺し合いをさせる。どちらが勝っても未来はない。
「そちらの世界は自由で、毎年数万人が勝手に自殺をするんだろう。莫大なエネルギーになるっていうのに、もったいないよな」
「ええ、まったくです。次は複数人を同時召喚するというのはどうでしょう?」
「いいね。前は親子対決だったから、次は家族ごと……いや、学校と呼ばれる学び舎そのものを召喚するのもいいかもな」
人間と魔族が笑い合い、手を取り合う。
自分たちの星を守るために選んだ道は、理にかなっている。
「最大多数の幸福」イギリス功利主義の理念をふと思い出す。たしかに、この星を守るための尊い犠牲というなら理解も出来る。
だが、自分たちはこの世界の人間じゃない。
あまりにも勝手な理屈に、怒りが込み上げてきた。勝手に呼び出して、利用して、用済みとなったら即処分。ふざけている。
気づけば泣き崩れて叫んでいる声が耳に入った。
みっともなく醜い声だ。
それが自分だと気づくに暫くかかった。
「ああああああああああああああ!!」
沸々と湧き上がる怒り。それは魔王の姿の時には得られなかった感情だ。
体中の血が沸騰して今にも吹き出しそうになる。ああ、今なら魔王の器が怨嗟に塗れていた理由がわかった。
許せない。滅ぼせ。
そう呪いにも似た怨嗟の声の正体。
先代の魔王と勇者たちも、同じ末路を辿ったのだろう。大切な人との死闘。近しい者同士ほど、死したときの解放エネルギーが跳ね上がるという。だから俺と彼女が選ばれたのだと重装戦士は言う。
「……絶対に、許さない」
そう、この世界も。それを作った者たちもろとも滅ぼさなければならない。
「魔王権限により最終術式──発動」
魔王の姿でなくなったとはいえ、魔王そのものの力を失ったわけではない。
なにより彼女が自分を呪いから解き放つために時間をかけたように、自分も一つだけ研究していたことがある。
せっかく魔王になったのだ。ならば世界を破壊するだけの極大魔法ぐらい用意しておかなければならないだろう、と。
魔王なら魔王らしく──昔、好きだったゲームのラスボスのように、
彼・彼女らの敗因は先に勇者である朝霧晴香を殺したことだ。もし、順番が違っていたら、こうはならなかっただろう。少なくとも、彼女になら殺されても良いと思ったのだから。だが、その彼女を殺した者たちを、世界を自分は許容できない。
「
術式の発動範囲に重装戦士や魔法使い、
体が魔法や刃で貫かれても、骨が砕かれ、肉が悲鳴を上げていても──ここだけは譲れない。これ以上、自分と同じ者を作らせないために──折れる訳にはいかない。
口の中で血の味を噛み締めながら、最後の呪文を唱える。
「イヒ・リーべディヒ」
それは魔王の術式にしては、あまりにも幻想的で、白銀色の煌めきは美しい光が灯る。
刹那──
「がはっ……」
素手で心臓を貫いた大悪魔は「すみませんね」と軽口を叩く。だが、自分は魔王らしく不敵に笑った。
術式は既に発動しており、その場にいた者たち全てが一瞬で、桃色の花へと変換される。
音はない。刹那──花のむせ返るような甘い香りが世界を包む。
重装戦士は鎧だけが地面に転がり、僧侶と魔法使いは杖だけが残った。
大魔女は三角帽子だけ、竜王は黒々としたマント、吸血鬼公と大悪魔は服だけ。
みな、桃色の花の養分として消えた。まるで手品のように、一瞬で肉体が消失し、その周囲に小さな花が咲き誇る。
五、六葉を根生やし、十五センチ前後の花茎を直立させ、桃色の花。あと数分で、この世界にいる人間と魔族全てが同じ花になって消える。
魔王はその場に崩れ落ちた。
咲き誇る花畑に囲まれ、目蓋をゆっくりと動かす。
「……朝霧にも、みせてやりたかった」
淡い桃色の花は、古郷である桜をイメージしたものだ。帰れなくとも忘れないように、ここに自分がいたという事を刻む為に術式に組み込んだのだ。
そしてこの花の特性は──触れた者全ての命を吸い取る。人間だろうと、魔族だろうと関係ない。
世界を滅ぼす、というのはそう言う事なのだから。
ただ異世界の者なら死にはしない。
自分は転生したが、前の世界の姿に戻ったからか、術式の範囲外のようだった。
死ぬまでいくばくかの猶予が許されたように思えた。
「朝霧……」
人の姿に戻ったからだろうか感情が、記憶が溢れ──いつの間にか視界が歪んだ。
六月の雨の日から数日後、彼女は上着を返しに自分の教室を訪ねてきた。真っ赤な顔をして、それでも勇気を振り絞って来てくれたことが嬉しかった。
それから帰るバスが同じになることが多くて……。
揺れるバス、赤紫色の夜空。
下らない話で盛り上がった帰り道。
秋になって彼女は、生徒会の扉を叩いた。バスケで足を怪我したから、部活の代わりに生徒会に立候補してきたのだ。
本当はバスケを続けたかったのだろうに。「我慢しないで泣いていい」と言ったあの日、彼女は自分のシャツがグシャグシャになるまで泣いた。
「一つの夢が終わったけれど、新しい夢ができた」と彼女がいつか話してくれた。
その夢は叶ったのだろうか?
両思いだったのは周知の事実だったのだが、生徒会の二人が付き合うのは大人の心証と自分の進学に悪影響を与えるかもしれない。そう彼女が──気を遣ってくれた。
自分はそれに甘えて──しまった。
彼女を──朝霧を好きな気持ちが溢れて止まらない。胸が苦しくて、息が止まりそうだ。
「あ……さぎり。……はる、か」
名を口にするたび、愛が溢れる。
「はるか……。君が……す……きだ」
桃色の花畑の中で、彼女の首がすぐ傍に転がっていた。
自分は最後の力を振り絞って、想い人の元へとたどり着く。
こつん、と額を合わせて重い瞼を閉じた。
約一年越しの告白。
彼女からの答えは貰っていないけれど──もう気にならない。
意識が焼け落ちる瞬間、舞い散る桜吹雪と彼女の笑顔が見えた気がした。
***
とある一つの世界は淡い花に覆われ──
数千年の時を経て、新たな世界が構築された。
自然と精霊だけが存在する
魔王の生み出した
その意味は「愛している」だと精霊たちは囁きあった。
イヒ・リーベディヒ ~世界を滅ぼした魔王の恋~ あさぎかな@電子書籍/コミカライズ決定 @honran05
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