p16.侯爵の最後
怒りで赤黒くなった顔を王や宰相にむけるチチェスター侯爵。息は荒く、正気とは思えない様相だ。
室内にいる護衛の兵士たちが構えるのが見える。
けれども、王族や宰相、伯爵などは皆涼しい顔をしていた。私でさえも、その様子を軽く扇をあおぎながら見ているだけ。
侯爵子息の二人と、イェフォーシュ男爵が動揺している。
「もう一度問おうか。なにか言うことはあるか? バーント・ネビル・チチェスター」
チチェスター侯爵は、荒くなった息を大きく繰り返し、やがてもと通り落ち着いた顔色になると、広角を上げました。
「そんな紙切れが、証拠となるのですか」
「なる。走り書きだからこそ、筆跡をごまかすことは難しいのだ。二年前のもの故、魔力痕は残らなかったが、そのおかげで書いたのはお前以外にあり得ないと結論できた」
魔力痕というのは、その人が持つ魔力の痕跡のことで、ひとりひとり違うのだそう。こちらの世界の貴族には指紋の代わりのように使われる。
「魔力痕がないのにですか」
「ああ、代わりにこの名を調べたらしい台帳から魔力痕が見つかった」
それを聞いたチチェスター侯爵が、笑い始めた。
「フハハハ! 台帳だと? 私はそんなものに触った覚えはない。語るに落ちたな、宰相!」
勝ち誇ったような顔が、ヴァージルさんにそっくりだな、と思いながら、それをぼんやり見ていた。宰相の顔は代わりない。
「ええ。見つかったのはこの走り書きに名前を書いた方の文官です。ほら、あなたの側近の。半年前に辞めた文官の名が書かれたものから検出されました。あなたは触らなかったでしょうが、側近はきちんと退職を確認したのでしょう。だけれどその前に。何の台帳か確かめずによく触ったことがないと断言できましたね?」
語るに落ちましたね、と伯爵が呟いた。
側近は、あなたの指示以外では動かないと有名なあの人ですよ、と宰相が笑った。
チチェスター侯爵は机を見つめながら目を揺らした。まだ抜け道はないかと探しているのだろう。
端から見れば、崖っぷちどころか崖から落ちるのを指一本で耐えているぐらいと思われるのに、本当に彼はしぶとい。
決定的なものを出される前に、受け入れればいいのに。
「そ……そうです。我が派はこの王国最大の派閥です! その派閥の長である私がいなくなれば、国内は混乱するのではありませんかな?」
名案を絞り出したチチェスター侯爵は、目をギラギラさせて顔を上げた。
あー、それ聞いちゃう?
私は、崖の掴んでいた部分を自らの手で崩した侯爵を憐れに思った。
王は威厳のある声を彼にかけた。
「ああ、混乱するであろうな。しかし、このままそなたを生かしておくよりは、被害が少ないであろう」
「は」
ことん。
はい、本日三個めの登場。録音機です。
なんだという前に王の手で再生される、それ。
そこからは、笑い混じりに息子を王配にし、女王を傀儡にして国を支配するのだと、未来を語るチチェスター侯爵の声が聞こえてきた。
侯爵は、椅子に深く持たれかけ、目を見開いたまま俯いて動かなくなった。
侯爵の後ろに立っていた側近たちは、だいぶん前から真っ白な顔をしていたが、一人は崩れ落ち、一人はその場で気絶していたのがわかった。
ヴァージルさんは、頭を抱えて何やらブツブツ唱えていた。めっちゃ怖かった。
◆
チチェスター侯爵子息との婚約は破棄された。
侯爵とその子息ヴァージルは、国家転覆を狙ったとして処刑されることになった。
侯爵の派閥の人も、関わったと思われる者は片っ端から捕らえられ、牢屋に入れられた。
あ、サボってトゥール・ヴェーレに仕事を押し付けていた奴らも捕らえられて牢屋行き。不当に受け取った給料分プラスアルファを強制労働で返すことになるだろうと教えられた。
混乱は起きたが、まぁ、王城内に止まった。
チチェスター侯爵が、財務大臣を降りるのはあらかじめ決まっていたことだし、本人に黙ってこっそり仕事は引き継がれていたので問題ない。その他の要職についていた容疑者たちも同様。本当、たった一ヶ月でよくやったよ! 混乱が落ち着き次第、今回の不正を暴くのに尽力してくれたみんなには、ボーナスと、順に大型休暇を取らせることが決定している。
とりあえず、混乱が思ったほどではなかったからと、トゥール・ヴェーレがまず大型休暇で里帰りしている。母子家庭なのだそう。私からも謝罪の手紙を持たせたのだが、その時のひきつったような顔が印象的だった。
「彼が帰って来る頃には、前と変わらない落ち着きを取り戻しているでしょう」
とは、我らが執政官の言である。
うん、たぶんそうだろうね。
「むしろ、そうなるように頑張らないとね」
「よい心がけです、殿下。追加の書類をお渡ししましょう」
「ぎゃー」
すっごい棒読みで、不満の声を上げた私は、きれいな白い執務机の上でペンを走らせた。
◆
「お姉様」
午前中、書類仕事で酷使した体を、自室で午後のお茶を飲んで癒していると、リスティナがやって来た。傍らには、セスティン。
「あら、いらっしゃい」
人数分のお茶を侍女に頼むと、向かいのソファに二人を座らせる。
「とりあえず、リスティナのおかげでなんとかなったわ。ありがとう」
「いえ、お姉様のお力のお陰です。私は何も」
ふんわりと笑うリスティナだが、セスティンが嫌そうな顔でツッコミを入れた。
「ティナ姉上、何もってことはないだろ。危ない魔道具使ってさ」
そうだ。『審判の……』なんだっけ? 嘘つくと雷落ちるやつ。めっちゃヤバかった。すっごい怖かった。もうあんな死亡フラグの立ち方嫌だ。
「そうよ、リスティナ。あれは肝が冷えたわ。お願いだからこれからは命を危険にさらすようなことはやめてちょうだい」
「……はい。ごめんなさい」
リスティナの手をとって言い聞かせると、身を縮ませてそう言った。うん。反省なさい。
「だけど怒濤の展開だな。父上が退位を決めるなんて」
「うん……」
そうなのだ。
今回の国を二分する派閥の片側による不正事件は、防げなかった王にも責があるとして、王が自ら退位を発表した。
それなら、王太子執務室を放置した私に、最も責があると言って引き止め、私が代わりに継承権を返上すると言ったのだが、ジセには王太子としての情報をきちんと与えない環境を強いていたと言って、そこの責任まで持っていってしまった。
それは、あまりに暴論過ぎると怒って、すったもんだしたあげく、引き継ぎのためにと退位は一年後。そしてセスティンが18歳になるまでの限定の王という形で決着がついた。セスティンは今12歳。彼が13歳から18歳になるまでの5年間限定の王。5年って意外と長いけど、まぁ落とし処がそこだったのだから仕方ない。
これから一年、王としての
「がんばってね、セスティン。とりあえず国はもたせるから(宰相が)」
「なんだったらそのまま死ぬまで玉座にいてもいいんですよ(だから姉上も帝王教育されてしまえ)」
「やだ」
私とセスティンの間では、これが近頃定番のやり取りである。
あの野心家セスティンは、この一ヶ月の私の動きを見て変わってしまった。「王さまめんどくさい」という考え方になってしまったのだ。いやだ、私だって面倒くさい。
「ティナ姉上は、流れるように一抜けしてるし……」
「もともと、15歳になったら神殿に入ると言っていたでしょう?」
「継承権放棄するとは聞いてない」
そう。リスティナはいち早く王位継承権を放棄して、神殿に入り、治癒師としての修行をするらしい。そのうち聖女として崇められるのだろう。
「純潔の誓いを立てるって。仮に聖女でも配偶者を持てるんだから、せめて18歳まで待てばいいのに。素敵な人が現れても知らないわよ?」
「聖女なんてなりませんし、関係ありません。今回のことで家族以外の男性は信用ならないと学びました」
もともと男性に忌避感のあったリスティナは、一生涯異性とは共にならない誓いを合わせて行うという。そのために、継承権を放棄すると。
ちなみに、私の子の継承権は返上しようとしたら、順位を下げるにとどめられた。セスティンの子の順位が一番高く、次に退位後の私とその子が来るという。
「まぁ、ですから二人は頑張ってください」
「うわぁ、リスティナの裏切りものー」
「ティナ姉上ズルいです!」
故に、私もセスティンも早めの配偶者選びを強いられている。ぐぅ、セスティンだけでいいだろ、若いし、複数人選べるんだし!
「姉上だって複数選んでいいんですよ?」
「政略的観点でしか選ぶつもりはない」
「また余計に難しい道を選んでる」
私はセスティンには好きになった人と共になってもらうため、政治、外交的に磐石にするための婚姻を行うと決めていた。今、宰相と執政官にそれぞれリストを作ってもらっている。
「お姉様こそ、素敵な人が現れても知りませんよ」
「そうね、21歳になってから考えるわ。ね、セスティン」
「はぁ、わかりましたよ。けれど姉上と同じく政治的観点から精査して、婚約者を決めますからね」
「そんなこと言って、可愛い女の子が空から降ってきたらどうするの」
「物語の読みすぎです、姉上……」
悪役王女ジセリアーナの企み~無様に死にたくないので、妹は死なせません!~ 三田部 冊藻 @mitabe-kaku
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