【100】時、想い、満ちる時
そして、100年の時が経った。
アステルは重い足取りで、かつて住んでいた村を目指す。
名も無きその村は、60年ほど前に無人となっていた。流行り病が蔓延し、フィリアの両親を含む多くの人間が死に、生き残った者が村を捨てたらしい。
邪神を封じる責務を負った名も無き村は、邪神などまったく関係ない事でひっそりと死に絶えたのだ。
当然、邪神を再封印する巫女などがいるはずもない。なおさらここで打ち倒さなければ、とシェルリーゼが珍しく真剣な口調で言う。
「頼むぞ、アステル――――」
「――――大丈夫か? シェルリーゼ」
僕はシェルリーゼの顔を覗き込む。彼女は額に浮かんだ玉のような汗を拭い、気丈に笑った。
「大丈夫、じゃ。邪神の封印が解きかけているのは、間違いないの。空気が重っ苦しくてかなわん」
村に近づくにつれ、シェルリーゼの顔色がどんどん悪くなっていく。僕には空気の重さはまだ特には感じられないけど、神である彼女は違うようだ。
僕が手を差し出すと、彼女はゆっくりと手を取った。
「さぁ、急ぐぞ。早くせねば、間に合わなくなるでな」
「……分かった」
心配ではあるが、こちらも百年待った身だ。機を逃すわけには、いかない。
僕は彼女の手を引きながら、あの場所へと歩いた。
そして、社の前で僕達は立ち止まった。
「……………………」
石の棺が、そこにある。
百年の時が経ってもなお、昨日の事のように何の変化も見られない。棺の覆う魔力によるものだ、とシェルリーゼが苦しげに言う。
僕は念のために剣を抜きつつ、棺に近寄る。僕の体はあの時から全く成長できていないけど、魔剣士として魔力を操り、身体能力すらも自由自在となった今、蓋を開ける事など造作も無かった。
「…………フィリア」
彼女は、眠っている。あの時と何も変わらない……いや、少し違うか。彼女の体を覆う魔力が、かなり弱まっている。
「……どうやって、起こす?」
「眠り姫を起こすには、王子様のキスが定番……冗談じゃ、そう怒るな。魔力を流し込んで少しびっくりさせよ」
「それで……いいのか?」
「私を信じよ」
……そこまで言われたら、信じない理由は無い。
僕は魔力を手に纏わせ、フィリアの額に乗せた。少しずつ、少しずつ注ぎ込んでいく。と、
「……ん…………?」
フィリアが、少しずつ目を開けていく。彼女は定まらない視線をやがて僕に向けた。
「……え? アス、テル……?」
「あぁ、そうだよ」
「そんな……何で。私、次に目覚めるのは100年後だって……」
「そう。今日がその100年後だ。お疲れ様、フィリア」
今すぐ抱き締めたかった。でも、ぐっと堪える。
彼女が目覚めた今、邪神も解き放たれたはず。状況を飲み込めていないフィリアに笑いかけ、僕はシェルリーゼに振り返った。
「さぁ、最後の仕事だ。邪神はどこにいるんだ? シェルリーゼ」
「ふ……目の前に、おるぞ?」
少し悪戯っぽく笑った彼女は、泣いていた。
髪の色と同じ、真っ赤な涙が頬を伝う。
「さぁ、この100年の集大成を見せてみよ。私を、殺せ」
「……お前。何を、言って……」
「しらを切るな。100年も一緒にいたのじゃぞ? おぬしが私の正体に勘付いておることなぞ、聞かずとも分かるわ」
「…………」
そうだ。僕はずっと、そうじゃないかと思っていた。
それでも、そんなわけがない、と自分を説き伏せ、ここまで来た。
そうであってほしくないと、何度も、何度も。
「私の中には、神と邪神がおる。まぁ、どちらも人間の手で造り出した紛い物じゃがな」
魔術の研究に腐心した、はるか昔の狂信者によるものだ、と彼女は言う。
善なる神と悪なる邪神を同時に入れる事でバランスを保ち、人間の精神を保たせる……という実験の過程で、シェルリーゼと言う一人の少女は犠牲になったのだ。
だが500年ほど前、邪神の力が強まってしまい、シェルリーゼは昏睡状態に陥った。そして次に目覚めた時には、邪神の力を調整する魔術式、そしてその魔術式を維持すべく生贄になった巫女が傍らにいた。
「恐らく、あの狂信者の子孫、じゃったんじゃろうな。じゃなければ、あの魔術式の構築はおろか、そもそも私の状態を把握する事も、出来んじゃろうて」
「……どうしようも、ないんだな?」
「ない……はずじゃ。それに、あったとしても、私はもう生きとうない。生きる事しか出来ぬこの生には、ほとほと絶望した」
きっと、100年ぽっちしか生きていない僕には分からないほどの孤独だったのだろう。それくらい、僕にだって分かる。
「ほれ、はようせい。今はまだ抑えられておるが、じきに暴れだしてしまうぞ?」
「……分かった」
僕は剣に魔力を限界まで注ぎ込む。彼女が魔剣を教えたのは、この日の為なのだろう。
「私が死ねば、おぬしらの仮初の不老不死は終わる。が、僅かに残された力が生き永らえさせてくれるじゃろう。せいぜい数年、長くとも十数年ぐらいじゃろうが」
「そうか」
「なんじゃ、感謝も恨み言も無しか。つまらんな」
「…………」
余計な事を、考えるな。彼女の目の前に立ち、僕は魔剣を振り上げる。
「おおそうじゃ。最後に一つだけ、聞かせてくれぬか」
彼女が呑気に言う。邪神の魔力に全力で抗っているのは明らかなのに、いつもと同じ笑顔を必死に浮かべて。
「おぬしら、離れ離れになる前の日になんの喧嘩をしたのじゃ」
「……そんな事、か。寝る前に飲むのはミルクがいいか、ココアがいいか。僕がミルクで、彼女がココア」
「ふ……ホントに、下らぬ、な……、……っ!」
マズい、一気に魔力が膨れ上がった。一瞬の逡巡の後、僕は全力で魔剣を振り下ろした。
シェルリーゼの体に袈裟に奔る、魔力の斬撃。それは体のみならず、彼女の中に巣食うクソ野郎どもを確かに切り裂いた。
「……アス、テル……」
倒れゆく彼女の体。その顔は、穏やかに笑っていて。
「あり……が、と……」
地面に倒れこんだその刹那、弾けた様に彼女の体は魔力の塵と消えた。魔剣によるものじゃない。神と邪神を宿した代償に、彼女の体もとっくに朽ち果てていたんだ。
「アステル……」
事を見守っていたフィリアが、僕に近づく。
「お待たせ。終わったよ」
相好を崩した僕も、彼女に歩み寄る。
「えっと、フィリア。君の体は、大丈夫?」
「……バカ。100年経っても、変わんないね」
フィリアは僕の肩に手を乗せ、囁くように、言った。
「無理しないでよ、泣き虫」
「…………う、うああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
誰かの為に泣いたのは、久しぶりな気がした。
「これから、どうする?」
「どうするって言っても……フィリアは、どうしたい?」
「まずはご飯が食べたい。お腹空いた」
「はは、変わんないね」
「うるさい。あぁ、あとは傭兵団? だっけ? それも見てみたいかな」
「そっか。じゃあ、とりあえず本部のある王国まで行こうか。美味しいココアも飲めるよ?」
「む、100年前の事を根に持たないでよ」
「そんなんじゃないよ。ただ、飲んで欲しいと思っただけ」
「どーだか」
そして、少年は振り返る。
「ようやく死ねたんだ。地獄で僕らを見守っててくれよ」
赤く腫れた目で、けれど清々しく笑って。
「さよなら、戦友」
空っぽの棺を背に、不死を失った不死人は歩き出す。
生の喜びと苦しみを、精いっぱいに噛み締めながら。
不死人のバラード 虹音 ゆいが @asumia
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