ss05『兄妹会話(ぷち)』

 時は六月。季節は梅雨。雨というのは、大抵低気圧が伴ってくる。


「────つまり、私は意味もなく鬱になってしまうのですわ」


「それ自分で言う人始めて見たかも」


「鬱ですわよ。可愛い可愛い妹様が、鬱。何か言うことはないかしら?」


「……ええと?」


 僕は自分の手元を見た。泡まみれ。片付いてないフライパン、油汚れ、大量のお皿、そして読書中の妹。


「食洗機、買おうかなぁ」


「はぁ。兄さんには失望しましたわ」


「そうか、妹が楽しそうで何よりだよ」


「楽しそう? そう見えましたのね。……私、楽しそうですか?」


 読んでいたラノベをぱたりと閉じて、不思議そうに首を傾げる妹。


 僕はフライパンに向かって熱湯をぶちまけて油汚れを退治して……って、この義手人間の手そっくりだけど触ったら皮っぽい部分薄いし、食器用洗剤に触ったりして平気なのかな……。


「よろしければ、どう楽しそうなのか……教えていただけますかしら?」


「あー……パッとした理由じゃないよ。笑ってたからそうかなぁって。そのラノベ面白いの?」


「……ハズレですわね」


「ハズレ?」


「ええ、これからのことを考えていたらあまりに愉快でつい笑ってしまったのですけれど。あ、ブラッ○ブレットはいつ読んでも面白いですわよ」


「思ってたより昔のやつを読んでらっしゃる」


「まあ無駄に本がありますからね、我が家の書庫。……それよりも、ですわ」


 そう言いつつ妹はどこか嗜虐的な笑顔を浮かべた。なにかと良く目にする、いつもの笑顔だ。


 この笑顔のときはあまり良くない目に遭うんだよなぁ、ぼくが。


「…………」


 妹は笑顔で僕を見てくる。その視線の先には、僕の右腕が。


 僕は静かに蛇口の水量を全開にして皿を洗った。


 ────何か言っても聞こえないように。


 ◇


「腕」


「腕?」


「どこで?」


「どこでって?」


「……兄さん?」


「いやぼくわかんな」


「兄さん、正直に言え」


「え、ちょっ口調崩れ」


「に・い・さ・ん?」


「ちょっと前に白光峰の本社の地下でこう、後ろからバッサリと」


「下手人を教えてくださいまし。そいつ殺します」


「妹様ちょっとなに言ってるのかわかってます!!?」


「ええ。ええ。兄さん。わかってます。兄さんは騙されていたのですよね、噂は聞いています。黒峰藤乃、その女に騙されて、腕を詰める事態に発展した。ですわね。兄さんは優しいので」


「え、ちょっと妹、目が怖いんだけど……??」


 妹の目に、ハイライトが……ない!!?


 えーっと。実際黒峰さんとは殆ど関係ない場面で腕飛んでるんだけども。ちょっと娘思いの母親助ける為だけに腕喪っただけだけども。


 いやそんな事よりどこで黒峰さんの事を────


「伊澄さんは写真まで見せてくれましたよ? 黒峰藤乃。美人ですよね、昔の伊澄さんとちょっと似て」


「……」


 あ、はい。伊澄からか。納得。


「昔からそうです。兄さん、昔もそういうことしましたよね。私が」


「昔の話はどうでもいいでしょ。あと、心配しなくて大丈夫だから。だってほら、右手かなり自然に動くから。ほらほら。どこも不都合なんてないし? だから全然平気だよ」


 右手で、ライトノベルのページを指だけで押さえつつペラペラ捲ってみせる。


 ほら、こんなだから全然気にしなくて良いんだよ。確かに腕なくしたときは凄く痛かったけども、でも見た目も動かしやすさも全然変わらないんだから、なにも変わってない。むしろぶつけても痛くなくなったり得したまである。


 ……まあ流石にもう一本もっていかれるのは嫌だけどね?


「その様子では兄さんには不都合なんてないのでしょうね。でも、私は苦しいですよ。見てないところで傷付いて、それで何でもないような顔をして帰ってくる兄さんをまた見て、それで私が何も思わないわけ、ないでしょう? これで二度目ですよ……あの時もそうやって平然としてましたけど」


「そうなの? それは確かに悪かったかも」


 ……って二度目? え? なんの話だろう。


「兄さん……? 本当に悪いと思ってます?」


「当然だよ。あ、でも伊澄には腕の事を言わないでね?」


「ええ、まあ今のところは伊澄さんも気付いてないようですし、わざわざ教えて差し上げる必要はないですけれど……それはそうと一度兄さんは伊澄さんと仲直りするべきなのでは?」


「仲直り? え、どういうこと?」


「…………まったく」


 妹は眉間に皺を寄せて難しそうな顔をした。


「だから私は本当に目が離せないんですよ、兄さんから……」


「え?」


「またそういうことがあったら、今度は容赦しませんわよ? 命に代えても下手人を八つ裂きにしますし、腕のことは伊澄さんに告げ口しますし、兄さんは何処かで勝手に怪我しないように監禁します。わかったかしら?」


「え、監禁……?」


「わかりました?」


「あっはい」


「ふふ、分かれば良いですわよ」


 終始満面の笑みで詰めてきた妹でした。怖いね。




「────ってあれ!? そもそも鬱って何処に行ったの? ずっと笑顔だったけど」


「あっ忘れてた」


「えっ?? 今忘れてたって言った????? 忘れてたって言った!??」


「ひゅ、ひゅーひゅー、あー、鬱ですわねー、鬱ですわぁー!!!!!」

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