第十二話『怪盗ノワールと失敗』

 ────黒峰さんが


 この知らせは少なからず、教室を賑わせた。聞き耳を立てていれば、話題はそればっかだったくらいには。無遅刻無欠席な黒峰藤乃が、無断欠席。


『めずらしー』『風邪かなぁ』


 まあ、内容としてはそこから大きく逸脱しない。珍しいが変なところが抜けている黒峰さんだ。僕だってそう思いたい。


 だいたい。もう関係ないじゃないか。そう思おうが僕は、ポケットに忍ばせたせいでぐしゃぐしゃになった一枚のチラシを、僕はまた眺めてしまい────?


 ふと、伊澄に聞いた。


「このチラシ、知ってる?」


「は? ……銃器? なにそれ、知らないけど、そのチラシがどうしたって?」


「……っ!! まじですかそれ!? 嘘じゃない!?」


「マジだけど、え、ちょっと!! どこ行くの!!?」


 やっぱり僕は、そう簡単には諦められないらしい。



 ◇



 一月ぶりに入った第二物理室は、以前よりも雑然としていた。


「──科学者ちゃん」


「………珍しい。貴様から勝手にノコノコと来るとは。あと科学者ちゃん呼びやめろ」


「科学者ちゃんに折り入って頼みがあるんだ」


「そうか。科学者ちゃん呼びとタメ語やめろ」


「えーっ、僕と科学者ちゃ「はっ倒すぞ???」


「すいませんでした!!」


 言う間もなくランドセルからアームが十以上伸びてきたのを見て僕は土下座した。まあふつうに失礼だからね。うん。


「貴様がここに足を踏み入れるのはほぼ1ヶ月ぶりか。あの女にでも言われたか、とうに諦めたものだと思っていたが、違ったのだな」


「何を──」


 僕は科学者ちゃんを見上げた。普段の人を馬鹿にしたような嘲笑でも、開発した道具を見せびらかすような笑顔でもなく、何を考えてるかわからないような真顔だった。


 今更なぜ僕が来たかがわからない、といった風に。そりゃそうだ。僕は保身のために一度黒峰さんを突っぱねた人間だ。大体この期に及んでまだ関わるなと叫ぶ声が脳裏に響いている。何がしたいんだ僕は。迷ったまま、ここで。


「………ええ、僕は一回諦めましたよ。諦めた筈なのに、ここに来ちゃったんですよね。まあおかしな話だけど、変な巡り合わせがあって、一番可能性がありそうなここに」


「ほう? 可能性とな。なんのことか分からんし、どんなものかも分からんが聞くだけタダだ。言ってみろ」


「これ」僕はポケットのチラシを取り出した「一緒に行きませんか?」


 取り出したのは当然あの銃器展覧会のチラシ。


「は? ……ちょっと待て。いや、いや待て。何故貴様が。それ、貴様それが何か、……?」


 ────きた。想定の数段大きく戸惑った科学者ちゃんには驚いたが、構わず僕は知っている情報を全て吐いた。


「ちょっとなんの事かさっぱりです。僕が知ってるのは黒峰さんが大事にしてる銃が『ワルサーP38』ってこと。黒峰さんが今日休みな事。今日からこの展示会が始まることと、この展示会の目玉のひとつが『ワルサーP38』っていう銃だってことだけです。これ、繋がってますか?」


「そうだよ。貴様もはやそれ殆ど分かって言ってるよなあ……??」


 やっぱり、黒峰さんに関係していたんだ。僕は確信した。


「いえ、確証が無かったんで。持ってる情報なんてヒントというか、目を逸らして知らない振りできる程度にしか知らないんで」


 なにより自分の考える事が一番信用ならないので。


「いやワルサーの事を知ってるのは」


「あの日、帰りに」


「貴様それ……っ!! それで貴様!!? マジで!!? 正気なのか!?」


 カフェのマスターもなんか意味深なこと言ってたけど、そんなに驚くことなの!?


「黒峰相手でそれ貴様それ据え膳を貴様ちゃぶ台返しする奴だぞ貴様ぁ!?」


「なんですかそれ! 信じられません、そんなことをする奴の面見てみたいです!!」


「貴様だ貴様!! ああいや、それはそれで大層正しい判断だっただろうって言うことはきっとあの腐れ声帯七変化爆弾女も思ってただろうって言うかあの女だろう貴様にそう促したのは!?」


「────そうだよド腐れマッド女。……ってこっち居たんだ碓氷」


 皐月さんが入室しました。そして僕ら二人をさておいて一人だけ着席。


「まあ、たしかに藤乃には悪いとはほんのちょっと思ったけど。巻き込みたくないじゃん? そいつ、一般人だし。一応、私、そいつに命救われてないこともないし」


「そうだがな……」


「ま、助言っぽいことはしたけど最終的にはそいつが勝手にやったことだから。……私が知ったことじゃない」


「どうせ関わると死ぬとでも言ったんだろう? それでは選択肢もクソもあるまいよ、なぁ。関わったら確かに死ぬほど痛い目には遭うだろうが」


「……それでも関わるのを諦めたのは僕だ。いやこの期に及んで何をって感じですよねマジで帰りたくなってきた……」


「帰って、どうぞ」


「ああクソ優柔不断め!! 訳がわからなくなるから皐月鈴音も帰るのを促すなっ!! 話が進まん!! まず貴様が何故今この日この時間に来たかを、要求を、さっさと言え!! 言うんだ!! ジョーッッッ!!!」


「ノリで話すの止めなよ科学者ちゃん? ワケわかんなくなるから」


「もうとっくになってるが!!? なっとるがな!!???」


「……あー。で、碓氷。どうなの?」


「まだ、実は自分でも自分がなに考えてるかよく分かんないんだけど……これ、やっぱり黒峰さんが関係してるってことで、良いのかな」


 皐月さんも科学者ちゃんも頷いた。


「……僕は、知りたいんだ。黒峰さんの事を」


「へええ、一度逃げた癖にそういうことを言うんだ? あれからたった1ページ挟んだだけでそういうことを「1ページとな?」あぁもうそこはどうでもいいでしょ!? で、碓氷!!?」


 科学者ちゃんの指摘に顔を赤くして怒る皐月さん。1ページって?


「分かってる。これは、全部僕のためでしかないんだよ。もやもやするんだ、あの日からずっと。そう、謝りたいって思ってた……んじゃ、ないかなあ? たぶん、きっと、だからもやもやする、んだと思う」


「貴様やけに他人事みたいに言うな?」


「謝るならすぐ謝ればよかったじゃない、ねえ? 1ヶ月なにもしなかった人間が信じられると思ってる?」


 皐月さんがもっともな事を言ってくる。


「ぐ……そりゃあすぐ謝ればよかったのは分かる!! 自分勝手だって分かってる。僕は我が身可愛さに黒峰さんに酷いことを言ったし、もう関わらないようにするべきだって頭じゃ分かってるんだ。関わらないようにする方が賢明だって。でもさわざわざこんな僕に向かってピンポイントで助けを求めて来たのに黙ってるほど、僕はクズじゃないつもりなんだよ……!!」


 僕は自分の事しか考えられないような、そういうクズだ。少なくとも僕はそう考えているし、そういう行動ばかりしてきた。


 だけど、このチラシ────そもそも伊澄はと言った。あいつの家は僕と同じ地区で新聞も同じように取っているし、チラシに目を通していないと言うことはないだろう。だってあいつ、たまに買い出し担当してるし。


 いや今伊澄の家の買い物事情はどうでもいいけど。要するに僕の家にこのチラシがあるのはのだ。


 それはつまり────誰かが意図的に投函したということに他ならない。


 ……まあ伊澄が本当に見落としてただけと言うのはあり得るし、僕の考えとは違うかもしれないけど。考えの通りだとすると、きっと素通りは出来ない。したら一生気に病む気がするから。


 黒峰さんの為に、なんて言い張れたら最高なんだけど、そう言う考えで言い訳しないと動けない僕はやっぱり屑なんだろう。乾いた笑いしか出ない。


「どういうことだ?」


「科学者ちゃん……に聞くより皐月さんに聞いた方がいいか。このチラシ、家に来た?」


「……ひゅー、ひゅー(口笛)(出来てない)」


「…………おい」


 あー皐月さんは家を片付けてないですねこれ。以前と同じように新聞とか溜めてるでしょ。


「……一応、伊澄にも聞いてこのチラシがうちの家の地域にはないって確認をとってある」


「ほぉ? つまり、誰かが貴様の家の郵便受けにでも入れたと言うわけか?」


「そう、だと思う。それで、僕の家にこれを投函するなんて真似、誰がするんだろうね?」


「私はしないわよ」


 なぜか皐月さんがそう言った。そんな可能性微塵も考えなかったけどそうか、その可能性もあるのか。


 ないな。うん。ないわ。


「まあ事情は大体わかった。そうだな皐月鈴音」


「そりゃね」


「あー貴様こりゃわかってねーな、あの能天気怪盗と同じ顔しているぞ」


「失礼な。わかってるっつーの。藤乃が投函したって考えてるんでしょ? まあ、無い話じゃないでしょ。あーもー、からって、何するにも無断でやっちゃって」


 安直かもしれないけど、そういう事だ。


「私はそれでも碓氷には何もしないでほしいんだ。どうせ藤乃が動いちゃった以上こっちはこっちでやる事あるし。ねぇ、科学者ちゃん?」


「あー。まあ……そうだ、一応これでも面倒な事にあの女の仲間ということにされてるしな。だが貴様は違うだろ? あの女の手を払った。……資格はないぞ」


 皐月さんは荷物を持って立ち上がり、科学者ちゃんもランドセルを机に置いて白衣のポケットに両手を突っ込み立ち上がった。


「うん、分かってるよ」


「何故、立ち上がる?」


「そーだそーだ碓井は引っ込んでろー!」


「……前から思ってたが皐月鈴音、貴様はどういう立ち位置のつもりなのだ……?」


「そんなのどうだっていいよ。今は碓氷だよ碓氷」


 科学者ちゃんは半笑いで聞いて、皐月さんが野次を飛ばしてくる。そう何度も聞かれると(聞かれなくとも、だが)やっぱり不安になる。


 昨日までと同じようにただただ黒峰さんを外から見て過ごすのはきっと僕にとって最善の選択肢だ。危険など無いのは、この何も起こらなかった1ヶ月が証明して。


 でも、この1ヶ月はとても苦しかった。


 教室では黒峰さんを見ても話し掛けないようにして、目も会わせないようにして。それでクラスメイトが面白半分で話し掛けてきたのをどうにか逃げて。情報が通じているのか伊澄には冷たい目で見られるし。


 でもそれはしかたないって、無理矢理噛み潰していた。


 ああそうだ、妹に言われるまで気付かないように封じていた。今朝ようやくちょっと笑ったのを指摘されるって、どういう状態だったんだ僕は。


「…………謝ってないんだ。僕は」


 二人とも、それを呆れたように聞いていて。


「だから、まあ、その。こんなのは変だと思うんだけど、謝るために、絶対に黒峰さんの元に行きたいんだ」


「そっか、んじゃ時間無いし行くぞー、皐月鈴音、金はあるか?」


「自分の分しかないから碓氷は入場料千円だから自腹切ってね」


「えっ?」


「行くんだろう? 善は急げ、だ」


「ま。碓井の影のなさ、普通の人よりも使えそうだし。潜入とか」


「あ、はい。潜入でもなんでもやったりますよ!? ええ!!」


 あっさりと第二物理室から立ち去ろうとした二人に、まだなにか言われるような気がしていた僕は拍子抜けしてしまった。



 ◇



『博物館は諸事情により本日休館致します』



 ◇◇◇白板白紙◇◇◇




「さて、言い訳はあるかな、仮面のお嬢さん?」


「えぅぅ……バレないと思ったのに……」


「いやぁ、ばればれどころかすっごいあやしいひとでしたもん。とうぜんばれますよー」


「ええっ!?」


「(わかってなかったんですかー……)」


「……なるほど?(分かってなかったのか……)」


「うう……」


「あなたがかいとうのわーるさんで、あのわるさーぴーさんじゅうはちとかいうじゅうがとうひんだったんですかー」


「そ、そうなの!! あれは私のお祖父ちゃんの、」


「おっとすまない、電話だね」


「……そっか。じゃあ静かにしてるね」


「(まなーのいいかいとうさんだぁ)」


「…………そうですか、いえ、受けた依頼は捕まえるところまでですから。まさか不満なんてあるはずもありませんよ」


「うけわたし?」


「ああ、そうだね。白光峰の方に彼女を引き渡すように、だとか」


「えっ? これ、警察さんに連れてかれる訳じゃ……ないの?」


「…………俺が捕まえた君にこう言うのはおかしな話しかもしれないが、気を付けて。白光峰はあまりよくない噂を聞くからね」


「……え、は、はい……? わかった……?」


「そんじゃー、あとはよろしくおねがいしますねー。しらみつみねのおかたがたー」

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