離したくないこの夜に

「はあぁ…やっとひと段落着いたねぇ…お疲れ様、鹿子かのこちゃん…お疲れ様あたし…」

「…あ、ありがとう…めりちゃんも、お疲れ様…」


 10月も半ばに近づいた、寒暖差が激しいある日のことである。月が南に登り切った頃に、ようやく2人の仕事がひと段落ついた。

 煌々こうこう暖炉だんろ洋燈らんぷの灯りが『かのこや』を内側から照らす。鹿子は規則正しい生活をしているため、夜遅くまで店の灯りを灯したままにすることはあまりない。真っ暗になっている外からお店を見たら、きっと『かのこや』が一等星の如くちかちかと瞬いているのだろうな、と鹿子は疲れ切った頭でぼんやりと考えた。


 事の始まりは、鹿子がめりのにした提案だった。過去数年分、季節毎の売れ筋を記録していた鹿子は、軽い気持ちでめりのに在庫を増やしてみないか、と提案をしたのである。これから寒さはもっと厳しいものになる。年々増えるお客様の冬越えの手助けができるよう、羊毛の羽織や保存食をより多く作り、店の棚に陳列しなければならないと、『かのこや』の未来を想っての提案であった。めりのはいつも通り笑みを浮かべ、快く鹿子の提案を受け入れてくれた。

 ここ最近かのこやの暖簾のれんをくぐる客はそう多くなかった。寒さで客足が遠のいているのだろう、と2人はゆったり各商品の在庫を増やしていた。


 しかしその平穏は、すぐに破られることになる。

 団体客が来店したのだ。

 大道芸人を名乗る彼等は、『かのこや』の保存食、寝具、羽織、毛糸、ありとあらゆるものを購入していった。

『かのこや』としては多くの利益が出るため、団体客が来てくれるのは大変喜ばしいことだ。鹿子は一生懸命商品を梱包し、帳簿を記帳し、忙しなく動いた。慌ててもたつく鹿子を見兼ねて、めりのも梱包、会計を手伝ってくれた。


 団体客が店を出た後に残ったものは、僅かな調味料、香辛料、薄手の襟巻きのみ。盗賊が根こそぎ商品を持ち出したような陳列棚の有様に、鹿の子は頭を抱えざるをえなかった。


『かのこや』が主に卸売りしている商品は食品、めりのが製作した衣類である。幸い、調味料や香辛料などは普段から多めに買い付けてあるため、在庫はある。しかし問題は、鹿子自身が手作りしていた菓子類、保存食、めりのが製作した衣類が根こそぎ売れ上がってしまった事だ。菓子類はそう日保ちはしないし、鹿子が作る保存食も、この季節にはまだそう需要が無い。そのため、在庫が少なくなる頃合いを見て、少しずつ製作、補充をしていくのがこの季節の常だった。


 つまるところ、鹿子は突然団体客が来店する可能性を考慮に入れていなかったのだ。完全に油断していた。このままだと翌日店が開けられない。何しろ売るものが殆どないのだ。最悪お店を休みにしなくてはならない。しかし、こちらの事情で突然休みをもらうだなんて、そんな事はしたくない。


「こりゃ今から在庫を出来るだけ増やさないといけないねぇ。あたしの作った外套がいとう羽織はおりもぜえんぶ売れちゃったし。鹿子ちゃん、ミシン借りてもいいかなぁ?布や型紙は二階に置かせてもらってたよねぇ。今から作ったら多分何着かは出来ると思うよぉ。どうする?」


 決断を迫られ、冷や汗をかいていた鹿子へ投げられた提案に、鹿子は首が千切れるほど頷き、早速自身の仕事に取り掛かかった。こんなに素晴らしい提案をしてくれるなんて、めりのはもしかしたら神様なのかもしれない。先祖返りの自分が言うのもおかしな話だが。


 そこから先は地獄だった。早めに暖簾のれんを下ろした『かのこや』の店内は、始終何かの音が鳴り響いていた。

 ミシンの一定のリズム。ぐつぐつと鳴る鍋。ぱちぱち爆ぜるかまどの火。終わらない仕事。

 最後のほうは疲労もあり、お互い無言で手を動かし続けた。その結果、鹿子は食糧庫にあった食材を半分使い切り、めりのは外套を5着、秋用の羽織を3着拵こしらえることができた。


「鹿子ちゃんはどんな感じぃ?」

「果物は今竃の中で乾燥させてる途中で、糖がおりるのを待ってる…ジャムは粗熱取って瓶詰めして…あっ、焼き菓子、パン、塩漬けは全部完成したよ…陳列はご覧の通り出来てない…それから明日、養蜂場に蜂蜜買い付けに行かないといけない…」

「わぁお。死んじゃうんじゃない?鹿子ちゃん」


 事実その通りである。瓶詰めをする類のものは、粗熱を取っている間に瓶を煮沸しゃふつ消毒しなければいけないし、瓶詰めが終わったらひとつずつ商品名を書いた札を貼る必要がある。まだまだやる事は尽きない。鹿子は自分の段取りの悪さを呪った。

「も、もう無理かもしれない…」

 じわりと涙が滲む。明日店を開けるためには、どう考えても鹿子が2人いなければ、予定通りに事を運べない。


 鹿子はとっても頑張った。めりのにも頑張ってもらった。けれど、明日は臨時休業するしかない。不眠不休で働いたとしても明日の予定がこなせるわけがないのだ。

「鹿子ちゃん」

 不意に頭に手を置かれる。鹿子が顔を上げると、少し疲労の色は出ているものの、めりのはいつも通り微笑んでいた。

「今日泊まっていくねえ。もう夜遅いし、あたし疲れちゃったぁ」

「…うん、わかった。私のベッド、使っ、わぁあ!?」

 抱っこされた。何で抱っこされてるんだろう。鹿子は疲れた頭を必死に回転させるが、結論が出ない。顔が熱くなる。身体がこわばる。

 鹿子の反応を気にすることなく、めりのは鹿子を抱き上げたまま、鹿子の自室に繋がる階段を上っていった。

「め、めりちゃん、わたし、まだやる事あって、あの」

「竃の果物はさっき見たけど、しっかり糖がおりてたから外に出してきたよぉ。ジャムは、大鍋で煮込んでるんだから粗熱が取れるまで一晩はかかっちゃうよねぇ。それに」

 がちゃりと扉を開け、めりのは鹿子をベッドに下ろす。

「お店、臨時休業するんでしょ?」

 鹿子は何も言い返せなかった。鉛のように重たい心が鹿子をさいなむ。

「どうせお休みするなら、ちゃあんと寝ておかないといけないよぉ。それに、お店お休みにしても蜂蜜買う予定は変わらないよねえぇ。蜂蜜は重たいから、買えたとしても、寝不足だったら運んでる途中でへばっちゃうよぉ?」

「う」

 ぐうの音も出ない。めりのの言う事はもっともだ。

「だから一旦寝ちゃおう。一旦寝て、そこからまた在庫増やしたり色々やる事やろうよぉ。お仕事するためには、元気な体が必要じゃん?」

 めりのがベッドに倒れ込み、脇に座っている鹿子の手を取る。

「お風呂は明日の朝入ることにすれば、起きるいいきっかけにもなるしさぁ。どう?あたしと一緒に寝ない?」

 とろりとしためりのの瞳を見つめていると、どうにも眠たくなってしまう。結局鹿子は睡眠欲に抗えず、めりのの隣に寝転んだ。

「明け方から、頑張るね」

「頑張るのはあたしも一緒だよぉ。やりたいこともいくつかあるから、明日もここにいさせてねぇ」

「…うん」

 ああ、もう限界だ。睡魔が鹿子の四肢を捉えてしまった。少しずつ、少しずつ眠りに落ちていく感覚を覚えながら、鹿子は微睡んでいく。眠る前にせめてお礼だけは、と思っていたが、しっかりとお礼を言えたかどうか分からないまま、鹿子は眠りに落ちてしまった。




 □□□




「…寝ちゃったねぇ」

 寝息を立てる鹿子を見遣みやり、めりのはそっとベッドから腰を上げた。

 じっと鹿子の寝顔を見る。睫毛まつげが月光に照らされ、きらきらと輝く様は美しい。

 めりのは階段を降りて、一階の『かのこや』に戻った。

「さて。やりたいこと、やっちゃいますかぁ」

 鍋にお湯を沸かし、瓶をそおっと入れる。沸騰したお湯とダンスを始めた瓶は、嬉しそうにかちゃかちゃとお喋りをしている。

「ジャムの鍋は…まだちょこっとだけ熱いねぇ。蓋をしてお外で冷まそうっと」

 今宵こよい完成したジャムは、月見も星見も出来るのだ。きっと贅沢ぜいたくな、とびきり美味しいジャムが出来るに違いない。

 ジャムを冷ましている間、めりのは瓶に貼る札に品名を書くことにした。この調子で作業を進めれば、開店時間までには全てが終わっているだろう。鹿子ちゃんが起きたらきっと驚くだろうな、と思うと、めりのの頬は自然とゆるんだ。


 真夜中に輝く一等星は、夜が明けても輝き続けるに違いない。

 店内に万年筆を走らせる音が響く。そのかりかりとつづられる子守唄は、家主の安眠と成功を願っているかのように、鳴り止むことがなかった。

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鹿の子まだらの根城より 短編集 姐御 @aquamarine0312

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