鹿の子まだらの根城より 短編集

姐御

恋と呼ぶにはあまりにも

 あたしの胸には大きな穴が空いている。それは蟻地獄のように、際限さいげんなくすべてを飲み込んでしまう。


 食欲。性欲。睡眠欲。その他諸々もろもろ全ての欲。これらをもってしても、この穴は満たされることがない。

 あたしはあの時から空っぽになってしまったのだ。もうこの乾きを潤すことは出来ないのだ。


 彼女に出会うまでは、そう思っていた。


 肌は切り出したての水々しい木材のよう。瞳は彼女のお店の暖簾のれんと同じ深いこけ色。髪は重なり合った落ち葉の絨毯みたいだ。

 彼女を作り出すために、山が自分達の身体を少しずつ寄せ集めたのだろう。そんな気さえした。


 自分の世界が壊れる音がした。


 彼女と顔を合わせる度に、新しい発見がある。

 彼女と一緒にいると、ご飯の味が普段より美味しく感じる。

 彼女といると、空気の匂いが鮮明になる。



 この感覚は何なんだろう。

 身体の芯がむずむずする。


 もっと彼女を知りたい。だが、何故だか怖い。それでも手を伸ばさずにはいられない。


「今度の出張、あたしも一緒に行ってもいいかなぁ?」


 勇気を出して、言ってしまった。少し体温が上がる感覚。心臓が踊る。

 これは、この感情は何なのだろう。

 いつかあたしに分かる時が来るのだろうか。


 欲深いあたしは今日も笑顔で彼女と顔を合わせる。

 ああ、そのんだ硝子玉がらすだまのような瞳で、少しでも長くあたしをい止めて。

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