第2話

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


 昔、この島には海を守る一つの灯台があった。


 その灯台を管理し、海を見守るのはたった1匹の孤独な怪獣だった。


 島民だれもその姿は見たことが無いというが、暗闇を照らす一筋の光が、その姿を影としてごくまれに投影していたという。


 その怪獣はある日、灯台のすぐ近くの家に住む少女に恋をした。


 文字やハートを器用に紙で作って、彼女の部屋の壁に投影した。



 彼女はそれに気づいいて、毎日灯台宛てに手紙を送っていた。


 今日何を食べた、今日は何をして遊んだ、今日は何ができるようになった、できなくなった。

 今日も生きていられた。


 彼女は遠出ができなかったし、灯台の住所も分からなかったから、毎日自分に用意されたペットボトルを飲み切り、丁寧に乾かして、小さな文字が書かれた小さな紙切れをそのボトルに詰めた。

 

 そして、庭先の細々とした川に流していた。


 ちょうど潮の流れが意図した場所に行くかなんてわからないけれど、少女は灯台の元へ届いていると信じていたのだろう。



 その思いを乗せた潮のおかげか、怪獣はその手紙を毎日受け取っていた。


 キャップを開け、手紙を取る。


 ボトルの口に顔を近づけるたびに、だんだん香りが複雑になっていた。


 怪獣は、そのたびに飲む薬が変わっていくこと、増えていくことを知って、塩味のある涙を流した。



 ある日を境に、少女からボトルが届かなくなった。



 

 寝込む少女に怪獣は彼自身の持つ魔法を彼女に使おうと試みた。


 ”一番大切な何かが見えなくなる代わりに、永遠に地球の母である海を眺めていられる魔法”



 ある日の少女の想像の世界、怪獣はそっとノックした。


 「僕のところに来て、一緒にいつまでもいつまでも海を眺めていようよ」


 怪獣は少女に言った。


 「灯台で暮らすの?」


 少女は小さくつぶやいた。


 淡い黄色い地にピンクのドットが散りばめられたパジャマ、手には茶色いテディーベア。


 「いいよ、ベッドの上にいるの飽きちゃったから。」


 少女は元気を振り絞った笑顔で答えた。



 「その代わり、君の大切なものを、君の視界から奪っても良いかな?」


 怪獣は静かに言った。不思議そうに首を傾げる少女。



 「もしも、君の大切なものが灯台から見えてしまったら、君はきっと、きっと元の生活に戻りたくなってしまうでしょう?」


 怪獣はニヤリと笑って綺麗に並んだ歯を彼女に向けた。


 そして彼女の両眼を丁寧に手で覆った。


 

 次の日の朝、ベッドに彼女の姿はなく、数個のピンク色に光る貝殻が枕元に置かれていた…。


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *



「作り話みたいな話だな…」


 僕たちは島で一つの図書館で、埃の積もった分厚い本を開いて呟いた。


「えー、夢がないなぁ。てか、この文面だとどのタイミングで”漁師”って役柄が登場するんだろ。」


 茜音はあっけらかんとしている。

 真面目に信じているのか、いないのか。彼女の表情からは読み取れない。 


 茜音はポケットから財布を取り出して、その薄水色の三つ折りから貸し出しカードを取り出した。

 それと一緒にポケットから出てきた夕日色の飴を僕にはくれた。



 「借りるのかよ、それ」


 茜音は「ちょっと待ってて」と言ってカウンターにパタパタと音を立てながら走っていった。


 彼女が走るたびに本が被っていた微細な埃が舞い、窓から差し込んだ夕日を帯びていた。


 まだ見たことのない雪というものを見た気がした。




 

 「私が読んだらシンも読んでよね」


 彼女は僕から半歩遅れて、両手でその大きくて重い、古い本を広げながらいつもの海風薫る帰り道を歩いている。


 僕は茜音の自転車を押しながら「なんでだよ」と興味なさげに呟く。


 不慣れな寄り道をしたためか、いつもよりも日が沈んで、周辺の家には明かりが灯り始めていた。


 「送ってくよ」


 僕は本に夢中の茜音に言った。


 その勇気と不釣り合いなほど小さな声は、聖なる母のもとへ帰ろうとする引き潮に飲まれてしまったみたいだ。


 「よし、茜音の家まで競争だ!」


 僕はサドルの低い自転車に勢いをつけて乗った。


 「えっ、ちょっと待ってよ!」、と両手で本を抱きかかえた茜音がパタパタと追いかけてくる。


 自動点灯のライトは暗闇を感じて前方を照らす。


 その光はまるで海の安全を守る灯台のもののようだった。


 どこかで怪獣が僕たちを見ている、そんな感じがして、顔をいつもより上げた。


 遠くに見える灯台に焦点を合わせようと目を凝らす。


 でもそれは僕たちが見慣れた灯台だ。怪獣など見えない。


 僕の目に夜を纏った潮風が染みた、ただそれだけだった。

 

 


 



  

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怪獣と海色の君 桜居 あいいろ @himawarisaita

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