022 『左右非対称ソールでコーナーに強い!』


「はい、完成っ」

「やりぃ」


 みなとが何故か蓮花れんかに軽いお化粧を施していた。

 お化粧と言っても、リップを塗って、かるく頬にお粉をパンパンとしたなんちゃってメイクだけど(見た目に変化は全くない)。

 湊曰く、「初めて一人でお外に行くんだから、おめかししないと」とのことらしい。よく分からない。

 その後、蓮花はいつも通り湊に髪を結ってもらい(今日はツーサイだ)、一緒に仲良くお洋服を選んでから(相変わらず動きやすそうな服だ)、僕の所へとやって来た。

 外に行く時は、必ず僕か奈月に声をかけるのが八重垣やえがき家の決まりだからだ。


「おつかいに行きます!」


 元気よく宣言する蓮花に僕は尋ねる。


「何をどこで買うんだっけ?」

「ワガシヤさんで、プリンを買います!」

「よし、お金は持った?」


 蓮花は肩からぶら下げたポーチからお財布を取り出し、元気に「持った!」と、見せびらかすようにお金を見せた。可愛い。


「じゃあ、迷ったらどうするんだっけ?」

「その場を動かない!」


 僕が近くにいるからね、すぐに迎えに行ける。


「車には気を付けるんだぞ」

「大丈夫!」

「よし、行ってこい」

「出荷進行!」

「いや、出発進行だろ」


 出荷されてどうするんだ、全く可愛いな。

 靴を履いて意気揚々と玄関を出て行く蓮花を見送ってから、僕も後を付けるため、急いで靴を履く。


「パパ」

「なんだ?」


 玄関を出たところで、湊に声をかけられた。


「今更だけど、みぃなはパパがおつかいに着いてきてたの気付いてたからね」

「いや、気付いてなかったろ」

「気付いてたけど、気付かないフリをしてあげたの」

「なんでだよ」

「一人でお買い物をするのに憧れてたからだよ」

「……そうか」

「多分、れんちゃんも」


 これは湊なりの遠回しに言った、今回の蓮花のおつかいに僕の尾行は邪魔で不要ということだろう。それは何となくは分かる。『一人で出来た』という気持ちが大事なことくらい、僕だって分かってる。


「お前の言いたいことは分かるけど、今回は絶対に見つからないよ」

「どうして分かるの?」

「小さい方が隠れんぼは有利だろ?」



 *



 家を出て二つ目の角を曲がった所で、蓮花をとらえた。だが、かなりギリギリ捉えられたと言ってもいい。

 なんと蓮花は、全力疾走で和菓子屋に向かっていた。しかも、角を曲がる直前でしっかりと停止をして、周囲を見渡してから、曲がっている。とても偉い!

 偉いが、早過ぎる。トップスピードに入る速度と、そのトップスピード自体が早過ぎる。ポルシェか、あいつは。いや、ブガッティだ。

 蓮花に追いつくためには僕も全力で走る必要があり、急いでギアを上げて駆け出した。もう頭の中がドレミファソラシドだ。


 でも、焦る必要はない。

 僕は小中高とマラソン大会では常に上位だった。一位になったことも何度かある。僕は足には結構自信がある。

 翔太しょうたの翔はな、かけるって書くんだぜ!

 僕は上半身を深く沈め、地面を強く蹴り、加速する!

 たっ、たっ、たっ、たっ、たっと。

 跳ねるようにスライドを広げて加速し、上半身を起こしながら、トップスピードをキープし、前へ突き進む!


 ………………あれ、おかしいな、思ったより速くないし、全然追い付かないぞ。


 あっ! 身体が小さいんだから、筋力も減ってるわけで、速く走れるわけないじゃん!

 しまった、これは去年の学年対抗教職員リレーで、ビリになって学習したやつじゃん!

 しかも蓮花は、幼稚園ではかけっこが一番速い。もうぶっち切りだそうだ(ちなみに翔奈と湊も足が速い)。


 僕は走りながら、車や危険物が無いかを確認するため、周囲を見渡す。

 この辺は都市開発の一環でオシャレな住宅街という感じで、同じような形をした家がいくつも存在する。

 都市開発としては中々成功した方であり、住民も多く、立地も悪くない。沢山の複合施設がある総合公園に、病院や駅も徒歩圏内にあり、とても住みやすい街だ。

 それに全体的に開けた場所なので、車が急に飛び出して来る––––みたいな心配もない。


 で、今回の目的地である和菓子屋は、大人の足なら徒歩七分程度の場所にあり、そんなに遠くはない。だがこのペースなら、三分くらいで着くぞこれ。


 僕はもう軽く息切れをしているが、蓮花はさらに加速していく。なんだこれ、こんなに足が速いのか蓮花は。くそ、走るなって言うべきだった。作戦ミスだ!


 でも大丈夫、僕の靴は『俊足』だ。奈月なつきにねだって買ってもらった甲斐かいがあったぜ! この靴ならコーナーで差を詰めていけるはずだ! 左右非対称ソールで、次のコーナーを攻めるぜ! よし、次の曲がり角が勝負だ。

 二十メートル程度の直線を抜け、左を見る。進行方向に自転車や人は居ない。僕は身体を左に傾けながら、左脚を軸に強く踏み込み加速する! 遠心力を利用し、身体を外に膨らませないように気を付けながら、右足を前に踏み出し、パワーをダイレクトに伝え、前へ! 速い! 身体が軽くなったようだ! 自然に足が前に出て、スプリントが伸びる! これなら追い付けるぞ!


 そんなことを思いながら、僕は前を走る蓮花見る––––差が縮まってない⁉︎ むしろ離されている⁉︎ なぜだ、俊足はコーナーが速くなると言っていたではないか⁉︎ ちゃんと左曲がりだったぞ⁉︎ 左右非対称のソールはちゃんと仕事をしていたぞ⁉︎


 いや、原因はそこじゃない。僕の靴のせいじゃないし、それを履く僕の運動能力のせいでもない。

 僕は蓮花の靴を見る。ピンク色の子供用のスニーカーを。

 マジックテープの所に可愛らしいリボンがあしらわれており、女の子らしい靴となっているが、あれはただの靴ではない!

 あれは、ムーンスターのスーパースターだ! バネの力で地面を踏み込む時に力を蓄積し、蹴り出すと同時に、一気にパワーを推進力に変える靴だ! くそ、一歩一歩毎に爆発的に加速していく! 追い付けない!


 ……そうだよなぁ、動きやすい靴なら、自然とそういう靴になるよな。

 同じ足の速くなる靴同士なら、個人のスペックが物を言う。身体の大きさは若干蓮花の方が上、運動能力も蓮花の方が上、スタミナも蓮花の方が上。


 蓮花は前から糸で引かれたように、グングンとスピードを上げていく。将来はオリンピック選手だ! と親バカを言いたくなってしまう程のスピードだ。

 追い付くどころか、ドンドンと離されていく。


 だが、コーナーではこちらの方が上だ。俊足は左右非対称ソールにより、コーナーで差をつけられる靴だ。コーナーで詰めていけば、差は縮まるはずだ。全部拾い集めていけば、徐々に追い付くはずだ。


 だけど僕の脚には乳酸が溜まり、息もかなり苦しくて、もう全力では走れなくなってきている。というか、フラフラのバテバテ状態だ。

 ……これ、追い付けないね、無理だね。

 諦めたら試合終了と漫画では言ってたけど、無理なものは無理だ。すまん、安西先生。

 僕はゆっくりとスピードを落とし、走るのをやめた。


 いつだって子供というのは、信じれないスピードで先へ進み、見えなくなってしまうものだ。

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