017 『あなたは、赤ちゃんの匂いがしますね』
子供というのは、食べられる量が基本に少ない。それはもちろん、僕も例外ではない。
でも、重いものを食べても胃もたれしないので、どっちがいいかは正直分からない。サラダから食べて胃の状態を整えてから––––とか考えずに、好きなものから食べられるのは子供ならではの特権といえるだろう。
まあ、ディナーはフレンチなので強制的にサラダから食べたんだけどね。
しかしそう考えると、サラダから食べるというのは理にかなってるし、食べる順番を強制するフレンチというのは、実は健康的なのかもしれない。これなら
そんなわけで、僕はメインでもある牛フィレのステーキを口に運び噛み締める。うっま。
「でもいいのかな、僕たちだけこんなに美味しいもの食べてさ……
「あなたはそういう所、本当にお父さんって感じですよねっ」
今のどこにお父さん要素があったのだろうか? 正直不明だ。褒められてるのは分かるけど。
そういえば、同じようなことを湊にも言われたっけな。翔奈とケンカした時だった覚えがある。でもどのタイミングだったかは忘れた。歳かな(中身は大人だ)。
そうだ、翔奈と言えば、
「翔奈にさ、『夜とか奈月とデートしてくれば?』って提案されたんだけどさ、どう思う?」
「どう思うも何も、今しているではありませんか」
確かに! スイートルームに泊まって、ディナーとか、大人のデートだ! こんなデート今までしたこともなかったよ!
こんなデートを出来る男は、きっとモテるんだろうなぁ––––って、僕じゃん! うわっ、僕すごい!
セッティングしたの娘だけど!
「なるほど、デートコースを湊に考えてもらえば……」
「私はどこでもいいですよっ」
奈月はにっこりと笑い、言う。
「初めてのドライブデートも楽しかったですし、あなたと一緒なら、私はどこへ行っても楽しいですっ」
「…………」
なんだこれ、ちょー嬉しいんだけど! ワインがあったら一気飲みしそうだ。ないから、リンゴジュース飲むけど!
「げほっ、けほっ」
むせた。変なところに入った。
「もう、そうやって慌てて飲むから……大丈夫ですか?」
「……大……丈夫」
むせながら、口を拭き、水を口に含む。ふぅ、やっと落ち着いた。
蓮花もよくこれやるからな、その気持ちがちょっと分かった。
「蓮花みたいですよ」
奈月も同じことを考えていたらしい。流石は夫婦だ。
蓮花は元気なのはいいが、もう少し落ち着いて欲しいと思う。悪いことじゃないとは思うけどさ。
奈月は思い出したように、「蓮花言えば」と話を切り出した。
「蓮花が、最近やたらと『一人でお買い物行きたい!』って言うんですよ」
「そろそろ蓮花もお使いデビューしてもいい年頃だもんな」
ちなみに湊も、そのくらいの歳でお使いデビューをした。湊の初めてのお使いは、百均でヘアピンとマニキュアを買ってくることだった。
当時の湊がやたらとその二つを欲しがり、僕が「じゃあ、一人で買ってくるならいいよ」とお小遣いを渡し、行かせた覚えがある。
心配で、こっそり付いて行ったけどね。
「私もそろそろ行かせても大丈夫かな––––とは思っているんですけど、どこに何を買いに行かせるのか……とか考えてしまうと、中々思い付かなくて」
「分かる」
その気持ち、ちょー分かるぞ。子供の為を考えたら行かせるべきなんだけど、子供のことを考えると、行かせるのを悩んじゃうんだよなぁ。
「子供だとさ、お店に行ってもどこに何が置いてあるか分からないからさ、知ってるものじゃないと買えないんだよなぁ」
「そうですね、『近くのスーパーでバナナを買ってきて』と言っても、スーパーの中で、バナナを見つけられるかは分かりませんものね」
「だな」
今日の経験で分かったが、子供の低い視線というのは索敵能力がほとんどない。蓮花がスーパーに行けたとしても、バナナを置いてある場所を覚えているかは不明だし、その場所まで
「買ってくる物も、種類の多いものだと迷ってしまいますよね––––蓮花が普段飲んでいる牛乳とかなら分かりやすいんですけど」
「そうだな、牛乳は種類豊富だけど、家はいつも同じの買ってるからな」
蓮花は身長を伸ばしたいらしく、毎日牛乳をゴクゴクと飲んでいる(あと湊も)。なので我が家の牛乳は、二日で一本無くなる。
でも、牛乳をお使いの品にするのは別の問題もある。
「牛乳は子供の力だと長距離の運搬はキツいと思う。あとは、ネギみたいな長い物とかは、大き過ぎて袋を引きずっちゃいそうだ」
「それは、あなたの経験からですか?」
「……そうだ」
この身体になって初めて気が付いたのだけれど、牛乳はマジで重い。しかも身体の半分もあるような商品は抱えるようにして持つ必要があるので、前が見えない。
そもそも、子供に『抱えて持つ』という発想が出来るとは思えない。
子は親を見て育つ。レジ袋を抱えるようにして持つ親はいない––––大人だから。
なので、重いから、大きいからという理由で抱えて持つという判断の出来る子は、滅多に居ない(翔奈はやってた、すごい!)。
「まあとにかく、お使いデビューさせるなら、僕が休みの日にしてくれ」
「はいはいっ」
奈月は知り顔を浮かべていた。尾行するのバレてる……。
「あとスーパーじゃなくて、コンビニの方がいいな、大きな交差点が無いし、渡る道路の数も少ない」
「あなたは少し心配し過ぎだと思うのですが……」
「何を言う、このご時世、何があるか分からないからな」
実際、小さな子供が行方不明なったというニュースは毎年のようにある。心配にもなる。
なら、一人で外出させなければいい––––と考えるかもしれないが、それは違う。
子供はいつか大人になる。親にとってはいつまでも子供であっても、大人になる。
子供の面倒を最後まで見れる親はいない。
悲しいけれど、それが現実だ。
「とにかく、僕はお使いに着いていくからな」
奈月は「それはお使いとは言わないんじゃ……」と小声で言ったが、聞かなかったフリだ。
その後も、僕たちは楽しく談笑しながらディナーを楽しみ(大体娘たちの話だった)、仲良くお風呂に入り(髪を洗われた)、明日も早いからと、早めにベッドに入った(ふかふかだ)。
そして奈月は案の定、僕のことを抱き枕にしてきた。
「あなたは本当にいい匂いがしますねっ」
「シャンプーが良かったからだろ」
流石はスイート、アメニティも高級なブランド物だった。湊が数ヶ月に使ってるやつだったけど(湊は毎月のように新しいシャンプーを買ってくる)。
「シャンプーもそうですが、何て言うか––––赤ちゃんの匂いに、似てますね」
「それ、翔奈にも言われた」
「翔奈は赤ちゃんの匂いが大好きでしたからねー」
「確かにな」
赤ちゃんというのは、本当にいい匂いがするので、ビックリしたものだ。甘い匂いというか、ミルクとかパンケーキみたいな、ふんわりとした優しい匂いがする。
翔奈は産まれたばかりの赤ちゃんの匂いを、よく嗅いでいた覚えがある(僕も嗅いでたけど)。
「あ、私はもちろん、昔のあなたの匂いも好きでしたよ」
「おじさんの匂いだろ」
「あなたの匂いですよ」
『あなた』の部分をやたらと強調された。
「それに、こうして小さくなってもその匂いはしますよ」
と奈月は僕の首筋辺りに鼻を寄せ、くんくんと匂いを嗅ぐ。鼻息が首筋にかかり、ちょっとこそばゆかった。
「うんっ、私の好きな匂いですっ」
「そんなに匂いを嗅いで……犬か」
「バウワウ」
「欧米か」
僕たちは二人して、顔を見合わせ笑う。まったく、冗談みたいなやり取りだ。
*
次の日、五月四日みどりの日。僕はみどりの日があるんだから、きいろの日とか、あおの日とかも作っていいと思う。
祝日が増えたらみんな喜ぶし。
まあ、みどりの日のみどりは、自然を意味する緑なので、色の祝日ではないんだけどね。
てなわけで、旅行二日目。
朝食を取り、チェックアウトを済ませ、半日ぶりくらいに三人の娘と再会した。
翔奈はいつもどおり、湊はニマニマが顔でこちらを時々チラッと見ながら奈月と話し、蓮花はちょっとご機嫌だった。
「朝食がバイキングで、好きなものを沢山食べれたのが嬉しかったみたい」
翔奈は蓮花を見ながら、微笑んだ。
「そっか、蓮花のこと見てくれてありがとな」
「べ、別にお礼を言われるようなことなんてしてないし」
「あ、ねぇねがツンデレしてるー」
ニンマリ笑顔の湊がやってきた。
「してない」
「してたよー」
「してない」
「してた」
なんてやり取りを三回くらい繰り返してから、今日も二手に別れる。
昨日言った通り、僕は翔奈と。
奈月は湊と蓮花に両手を掴まれ、近くの売店へと向かって行った。とりまタピるらしい。
「じゃあ、僕たちもとりまタピるか」
「てい」
翔奈に迷子シールをペタリと貼られた。
「何するんだよ」
「これを貼っておけば、迷子になってもすぐに私のスマホに連絡がくるから」
「いや、それは分かるけど必要ないだろ」
「昨日、迷子になった人ー」
「……はい」
大人しく、手を挙げた。大人らしいかは知らない。
「お母さんからも、お父さんが迷子にならないように気を付けてって念を押されたんだから」
と翔奈は人差し指を突き出してきた。僕はそれを無言で握る。迷子にならないように娘に手を繋がれるこの気持ち、なんかやるせない。
「それとタピオカってカロリー多いから、太るらしいよ」
「そうなのか?」
「原材料はイモって言うし、イモってことはデンプンでしょ?」
「となると、炭水化物の塊ってわけか。そりゃあ、太るな」
なんて会話しながらも、タピオカをちゃんと二つ買った。タピオカの誘惑からは逃れられないのだ。
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