006『見た目は子供、中身はお父さん』

「行ってきます、お母さん」

「はーい、気を付けてねー」


 土曜日の午後、翔奈かなは英会話スクールに行く為に家を出た。

 当然、僕も「行ってらっしゃい」とは言ったものの、返事は無かった。


「はあ……」

「嫌われていますね」


 奈月なつきは心配そうにこちらを見つめていた。

 ちなみにみなと蓮花れんかは、一緒に友達の家に遊びに行っているため留守だ。

 蓮花は、湊に付いて行った形になるのだけれど、湊は意外に面倒見がいいため、こうやって時々一緒に友達の家に行くことがある。

 僕も湊が一緒なら、安心だ。


 余談になるが、湊は友達がとても多い。多分百人はいる。

 他校の友達もかなり居るらしいし、幼稚園からの友達とも続いていたりする。

 僕なんて小中高大と合わせても、付き合い続いている友達は五人くらいしかいないので、素直にすごいなって感じだ。

 まあ、それは置いといて。現国の先生らしく四文字熟語で言うなら、閑話休題かんわきゅうだい


「どうすればいいかな……」

「またその話ですか? とにかく話し合うしかない––––と言いたい所ですが、会話を拒否されていては、それも難しいですね」

「奈月からなんとか言ってくれないかな……」

「難しいと思います。少し話しましたが、どうしても留学したいそうですし、意思は硬いようですよ」


 私に似たのかもしれませんね––––と奈月は微笑んだ。

 見た目的にも翔奈は高校時代の奈月に近付きつつあるのだが、それは中身もだ。

 奈月は昔から頑固者だった。

 一度決めたら、それは絶対だった。僕と結婚すると決めたら、あらゆる手段を使ってそれを実行してみせた。

 そういう所は僕も見習うべきかもな。


「ところで僕って翔奈に嫌われてるのかな……」

「そんなことはないと思いますよ」


 即答だった。


「翔奈はああ見えて、小さな子供が好きですから」

「いや、そっち⁉︎」


 父親として嫌われてるんじゃなくて、小さい子供だから好かれてるのかよ!

 だけど僕はそんなことさえ知らなかった。僕は翔奈のことを何も知らないのかもしれない。

 娘なのにな……。


「留学させるべきなのかな……」

「あなたはどうしたいんですか?」

「僕は––––」


 娘の為を思うならどうすべきか。

 途中で挫折して帰りたくならないだろうか? 食べ物が合わなくて、お腹をくださないだろうか? テロは大丈夫だろうか?

 留学先の情勢。日本とは違う国、違う文化だ。

 イギリスなんかユーロ離脱の話でずっと不安定な状態だし、アメリカの学校で銃乱射事件があったのは記憶に新しいことだ。

 もちろんそんなのはレアケースだって分かっているし、そんなことがおきる可能性は飛行機が墜落するよりも低い。


 ただ、それを除いたとしても問題は沢山あるし、国ごとにその問題は変わってくる。

 カナダ、オーストラリア、ニュージーランドとかとかとか。どこもそれぞれ違う国なのだから、違う問題があるのは当然だ。

 それを高校生になったばかりの娘に何とか出来るのだろうか?

 分からない。こればかりは分からない。


 娘を信じてやれ––––と言えば聞こえはいいかもしれないが、何かあっては遅いし、何かあってはダメなのだ。

 出来ることなら一緒に行ってやりたいくらいだ。

 でも僕は仕事があるし、蓮花はまだ小さい。家族が一緒に行くのは無理だ。

 仮に奈月だけ一緒に行くとしても、僕の仕事が遅くなったら湊と蓮花はどうなる?

 それはダメだ。ダメに決まってる。

 絶対に無理な話だ。


 やっぱり子供と大人は違う。

 どうにもならないことを僕は知っている。

 この問題をみんなが綺麗に納得して解決出来る方法は無い。どちらかが––––、もしくは双方が納得して妥協しなくちゃダメだ。


 そうやってお互いに妥協点を見つけて、落とし所を探す必要がある。

 話し合う必要がある。

 だけど。

 だけどさ。

 ––––それは、大人の意見なのではないだろうか? とも思う。

 苦楽を知り、人生経験を積み、大人になった僕の意見じゃないだろうか?


 翔奈の目的は『留学』であり、短期留学でもなく、交換留学をしている高校に行くでもなく、インターナショナルスクールに入学することでもない。


 目的は最初から『留学』一つなのだ。


 そこを話し合いでお互いの納得出来る妥協的を探すという行為は、如何にも大人の考えであり、それをいくら大人びているとは言え、中学二年生の娘に強制するのは間違っているのではないかとも思う。


 だからと言って、やっぱり僕は留学を認めることは出来ない。

 それはシンプルな話で、娘が心配なのだ。

 しかも付け加えるなら、娘と離れるのが寂しいという父親のエゴ全開の最低な理由だ。


 ならば答えは二つしかない。

 落とし所などない。

 留学するか、しないかだ。


「僕は翔奈に留学しないで欲しい」

「なら、そう伝えないとダメですよっ」


 あなたは現国の先生だと言うのに、感情表現が下手なんですから––––と、奈月はにっこりと笑った。

 僕もそれは自覚している。

 子と親だからと言って、言葉無しで思いが伝わるわけじゃない。

 だから、僕は自分の気持ちを恥ずかしくも翔奈に伝えよう。


 もう僕は、恋人と別れるのが嫌で情けなく彼女に泣き付くダメな彼氏のごとく、翔奈を説得しようと思う。

 大人になれよ––––とか。

 大人ならそのくらい我慢しろよ––––とか。

 僕は知らないね。

 だって僕の見た目は子供だもの。

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