007『お父さんの黒歴史』
生徒には解けない問題は先送りにして、解けるところから解くように––––と、教えた事がある僕だけども、テスト問題なら先送りにして解けなくても問題ないが、親子問題はダメだ。
「翔奈と離れると僕は寂しい」
「は?」
次の日、いきなり翔奈の部屋に突撃した僕を、部屋の主は意味の分からないような目で見ていた。
ちなみに
「だから、僕は翔奈が海外に行っちゃうのが寂しいから行かないで欲しい」
「ちょっと、いい歳した大人が何言ってんの? それに部屋に入ってこないで」
明らかな拒否反応だが、僕は引かない。
「大人? 僕は子供だ。見た目も中身もな。だから子供らしく駄々をこねるのさ、娘が海外に行っちゃうのが寂しいってな!」
「急に父親ズラし始めたと思ったら、今度は何? 意味分からない」
急に父親ズラか……、まさにその通りかもしれない。
思えばこうやって翔奈と話をすること自体、かなり久しぶりな気もする。
翔奈は小さな頃から手のかからない子だった。自転車の補助輪も一時間で取れたし、歩くのも喋るのも早かった。
大人びている、大人しくて、大人っぽい。
そう思ってたし、そうだった。
だから成長した翔奈に、僕は世話を焼かなかったと言えばその通りだ。
僕が手助けすることなど何も無かった。下手したらオムツも自分で変えちゃうくらいだったからな、お前は。
でもな、ミルクを人肌に温めてたのは僕だし、寝る前に絵本を読んでたのも僕なんだ。
そのことを今更言う気は無いし、覚えているわけもないそのことを今更言って父親ぶる気もない。
だがな、例え何歳になっても僕は翔奈の父親なことに変わりはない。変わらないんだ。
翔奈は強い目で、僕のことをキッと睨み付けるように見る。
「お父さんは、私よりもミナやレンの方が大事なんでしょ」
「お前、何言って……」
「だっていつも二人の事ばっかり構って、私のことはほったらかし! 私なんて居ない方が良かったんでしょ!」
意外な一言だった。まさか、翔奈がそんな風に思っているなんて考えもしなかった。
確かに、僕は下の娘達の方に構っている時間の方が長かったとは思う。それは間違いない。
だがな、翔奈の言っていることは間違っている。
「そんなわけないだろ!」
「嘘! 私に何かしてくれたことある⁉︎ 私の頭も洗ってくれたことないし、教師だっていうのに勉強も見てくれないじゃない!」
「それはお前が勉強が出来るからで……」
「私はお父さんに勉強を教えて欲しかった!」
「…………」
物凄い剣幕に圧倒された。翔奈がこんなにも大声を出し、意思表示をするなんて思わなかった。大人しくて、大人っぽい翔奈がそんなことを言うなんて、考えもしなかった。
……もしかしたら、僕は誤解していたのかもしれない。
翔奈は手がかからないのではなく、僕がそう思っていただけで本当は––––我慢していただけだったんじゃないだろうか?
『長女なんだから』とは、言わないようにしていた。
言う必要が無かったから。
出来のいい翔奈に、そういうのは不要だった。
それは、本人が我慢をしていたからだ。
それを僕は、大人しいとか、手がかからないと決め付けて、下の娘達との時間を増やしてしまっていた。くそ、父親失格もいい所じゃないか……。
「お父さんは……、お父さんは私のことなんか、好きじゃないんでしょ! 寂しいって何よ! そんなの私のこの前言ったことに合わせて言ってるだけでしょ!」
「そんなわけない、僕は翔奈のことが好きに決まってるだろ!」
「今更信じられるわけないじゃない!」
「なら、教えてやるよ! 僕はな! お前が産まれた時すごく嬉しくてな、自作の詩とか書いちゃったんだぞ!」
「……ちょっと、急に何言って––––自作の詩って……それ本当なの?」
翔奈の反応は絶対に引くと思ってたのだけれど、意外にも興味を示しているようだった。
まさか僕が奈月にも内緒で、十年以上封印してきたこの黒歴史とも呼べる詩が役に立ち日が来ようとはな。
僕は予めポケットに忍ばせておいた紙を取り出した。
そして、声高々に読み上げる!
「もしも神様がいるとしたら、こんなに感謝すべき事はない。初めて君を見た瞬間に天使が舞い降りて来たのかと錯覚したくらいだ。なんて愛らしいのだろう、なんて愛しいのだろう、僕の人生においてこんなにも素晴らしい日が訪れるなんて想像もしていなかった。何もかもが尊い。僕は幸せだ、君に会えて幸せだ。この幸せを君に返すことが僕の使命だ。まずは君に最初のプレゼントとして、名前を送ろうと思う。僕の
翔奈はポカンとした表情でこちらを見ていた。
「どうだ参ったか、現国の先生舐めんなよ。奈月にも見せたことないんだぞ、これ」
「…………」
翔奈はしばらくこちらを見つめた後、「ぷっ」と笑った。
「もしかしてそれ……、スティービーワンダーの真似とか?」
「……そうだ、娘が好き過ぎでやっちゃったんだよ」
それくらい僕にとって翔奈が生まれたことは嬉しかったんだ。
「だから、父親面なんて言わないで欲しい。こんなのだけれど、翔奈を好きな気持ちは世界一なんだ。僕はお前を愛している、大切に思っている。だから、父さんの言うことを聞いて欲しい」
留学は大学からにして欲しい––––と、僕はお願いした。
翔奈ら数秒間僕を見つめてから、口を開いた。
「…………分かった」
「へ?」
よく聴き取れなかったので、僕は情けない声で聞き返した。
「だから……、分かったって言ったの」
「……本当か?」
「本当よ、そんな恥ずかしい詩を読まれるなんて思ってもみなかったわ」
そんなに愛されてるなんて思ってなかった––––と、翔奈は視線を逸らした。
「私、お父さんはミナとレンの方が大事で、私のことはどうでもいいんじゃないかって……思ってた」
よく見ると翔奈の瞳は少し潤んでいた。僕もちょっと目頭が熱くなってきた。ええい、これも言っちゃえ。
「ついでに付け足すと、翔奈が初めて喋った言葉が『パパ』だったこともな、僕にとっては一生の思い出なんだからな」
そのことで奈月に半年くらい同じ話をしたもんだ。
翔奈が一番最初に話た言葉は、『パパ』だから––––って。奈月は嫌な顔せずに、毎回ニコニコとしながら、「良かったですねっ」と言ってくれてたっけな。
「……そんなことまで覚えてたの?」
「大事な娘のことならなんでも覚えてるよ」
「じゃあ初めて取った100点の教科は?」
「小一の時の国語、クリアファイルに入れて取ってある」
現国の先生としても、父親としても、それは嬉しいことであり、僕の宝物の一つだ。
翔奈は小声で、「ばか」と呟いてから、目元をぬぐい、
「……ただ、一つだけお願いがあるのだけれど」
「なんだ、何でも言ってみろ」
そして、にこっと笑い、僕の詩を指差した。
「それ、みんなの前で読んでね」
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