勇者に自由を

小田 ヒロ

第1話

 私は出来るだけ邪悪に勇者コウキに笑いかけた。


「リュダ! 目を覚ませ! 魔王に飲み込まれるな!」


 わかってるくせに。魔王に飲み込まれるんじゃない。私が魔王を取り込んだの。魔王は実体がなかった。何かに憑依させなければ殺せない。


 たまたま魔王の玉座に一番乗りしてしまった私は、直ぐに事実に気づいてしまった。

 私はパーティーで一番幼いけれどバカではない。


 本来一番にこの部屋に入るはずだったのはコウキ。異世界から無理矢理連れてこられて働かされている勇者。

 いつも、早く討伐を終えて自分の世界に帰りたいと、残してきた家族に会いたいと、唯一年下の私に本音を打ち明けてくれた。帰りたい。なんで俺なんだ。俺を元の世界に返せ!

 私はひたすらごめんなさいと謝るほかなくて……。


 その勇者に憑依させる前提だったのだ。勇者に魔王を取り込ませて殺しても、この世界の誰も痛まないから。


 ああ、私の世界は……なんて冷たい世界なの。


 私は覚悟を持って魔王を吸い込んだ。


「リュダ! 気を確かに! 吐き出しなさい!」

 聖女様が私に光魔法をかける。

 騎士カールは苦虫を潰した顔をして、私に刃を向けている。なるほど、カールは国の騎士団に所属する私たちの最年長。魔王の正体を聞かされていたんだ。


「リュダ!!」

 コウキ、叫んでる場合じゃないって。早くしないと、私の意識が呑まれちゃう。抑えられなくなる。

 私はコウキに向かって最大級の雷撃の刃をこしらえて、ニヤリと笑って投げつけた。


「うわあああ!」

 コウキが泣きじゃくりながら、私の魔法よりも一瞬早く、私の懐に飛び込んで私の心臓を聖剣で貫いた。


 ゴフッ!


 血が吐き出た。同時に断末魔と共に魔王の残滓も吐き出され消滅した。

 私の雷の刃はコウキの鼻先で消えた。だって幻影だもん。聖女が驚いてる。攻撃力がないから出番がなくて、これまで見せなかった術だからね。


「リュダ! リュダ! どうして!」

「リュダ! 今回復するから!」


 ああ……痛みすらもわからなくなってきた。もう眠りたい。何もかもが煩わしいのに、女の声がする。何? 女神? 魔王を滅ぼした褒美を言え?

 決まってる。


「勇者に自由を」



 ◇◇◇



 また、あの夢だ。

 死の森と呼ばれる場所の奥深くの小屋に住む私、ソフィーは前世の……リュダの記憶がくっきりある。

 死んだのがイレギュラーだったのか、殉教と捉えられたのか。迷惑な話だ。


 16年前、勇者一行は魔王を滅ぼした。その翌日、私、ソフィーは生まれた。


 聖女は大神殿の生き神になり、カールは英雄となった。

 コウキの行方は誰も知らない。聖女とカールは知ってるんだろうけど、聞くツテもソフィーにはない。

 願わくば、コウキが、よく寝る前に話してくれた、面白そうな彼のふるさと、チキュに帰っていればいい。そう思うだけで心は休まる。


 ソフィーはリュダの魔法の才と凡庸な焦げ茶の髪をそっくりそのまま持って生まれてきた。しかし誰にも話していないし隠蔽しているので、前世のように討伐やら戦争に駆り出されることもないだろう。この森でひっそりと生きていくだけだ。

 今世の唯一の家族だった祖母は三年前に死んだ。優しい祖母の記憶があるので一人暮らしも寂しくない。自分が特別であることは重々承知しているので、誰とも関わりあうつもりはなかった。


 それにしても、何故生まれ変わってしまったのか? 時間がたっぷりある一人の生活のなか、ちょくちょく脳裏に浮かび考えこむ。幼い頃は、壮絶な記憶に引っ張られ、布団に頭を突っ込んで泣き叫ぶこともあった。

 しかし前世は13才で死んだ。16年というソフィーの人生の方が長くなった。過去は過去であることをゆっくりと受け入れ、今世での経験と合わさって、私はあくまでただのソフィーとなった。



 雨の降り続く夜、遠くで人の気配がする。人のいい私は雨宿り……なんてさせない。

 ただ飢えて死なれるのも困るので、雨をしのげる大樹の足元にお供え物のように果物やパンを置いておく。もし不要であっても森の獣が食べるだけだ。


 そして小屋には幻影をかけ、存在事態を消した。

 人の気配は数日で消え、食べ物は消えていた。


 そんな出来事は何度か続き、住まいを移す決断をした矢先に、小屋の戸がノックされた。

 幻影が破られた。


 めんどくさいことのなったと思うのと同時に神童リュダの編み出した幻影を破った奴がどんなやつか興味を持った。私は防犯のために睡眠魔法を準備してから戸を開けた。


 黒目に少し白髪の混じった黒髪の……ガッチリした男が立っていた。顔立ちはこの世界のものではなくて……

 ああ、コウキだった。大人になったコウキ。

 私と同じように全身をまじまじと見分される。


 何故……チキュに帰っていないの? そう思いながらも、必死で平静を装った。

「なんの御用ですか?」

「お前に会いにきた」

 声が、低い。


「どのような御用件で?」

「リュダ……お前をぶちのめすためだよ」


 瞳孔を揺らし、わずかに動揺を見せてしまった。

 幻影は一度術を見られた相手にはかかりづらくなる。だから見破られたのか。

 もはや……しらばっくれても無駄。


 リュダをぶちのめすためか。

 積年の恨みってとこ? チキュに結局帰れていないから?

 何にせよ、この世界の罪。私ごときで贖えるだろうか。

 いやむしろそのために私は転生したということ?


 私は自分にかけている全ての防御系の術を解いた。髪の毛を後ろに流し、そして眼を閉じた。


「勇者コウキ……ごめんなさい」


 コウキの重い拳はなかなか飛んでこない。恐る恐る眼を開けると、悲しみに顔を歪めたコウキがいた。

「お前はっ! 俺がお前に手を上げると思っているのか!」

「だってあなたが……」


 乱暴に腕を引っ張られコウキの体にぶつかる。そしてそのまま抱きすくめられた。


「リュダ……」


 恐る恐るコウキが私の頰を触る。生きているのを確認しているの?

 懐かしいコウキの香りはタバコやら何やら大人の匂いが混じっていて……涙が滲んだ。


 コウキは私を逃がさないとばかりに抱きしめたまま室内に進み、ドアを閉めた。私はそろそろと顔を上げる。成人したコウキの顔のなかに、私の知る表情を探す。とりあえず、健康に見える。ホッとする。


「何故ここに私がいると?」

「置いてあったパンがリュダの作ってくれてた味だった」

「そんなの、覚えてるの?」

「覚えてるさ。リュダは俺のこの世界でたった一人の親友だった」

 過去形に傷つく。でもそうだ。私はソフィーだもの。


「でも、何故私が生まれかわってると……」

「リュダと同様に俺たちにも女神が聞いたんだ。褒美は何がいい? と」

 ああ、やはりあの声は女神だったのか。


「俺はすぐさまリュダを返せと言った。すると聖女も泣きながらそう言う。あの裏切りものの騎士も、その場ではそう言うしかなかった。しかし、リュダを復活させると魔王を復活させてしまう。ということでリュダをどこかで生まれかわらせるってことで落ち着いた。見つけたらすぐにわかるから勝手に探せと」


 私のこの転生はコウキ達の意思によるものだったのか。


「なんで私だとわかったの?」

「リュダとそっくりだぞ! 自覚ないのか? 顔も、オーラも」


 前世では最後の一年は特に鏡見る余裕なんてなかった。今も一人暮らしに鏡は必要ない。しかし前世よりもずっと粗末で無防備な格好をしているし、髪が腰まであるだけで、全然違うと思うのだけれど。


「チキュに戻らなかったのですか?」

「……ああ。リュダを見つけてからと思っていた」

「それは……申し訳ありません」

 ちっとも悪いと思ってないけれどそう言う。


 とっととリュダのことなど忘れて戻ればよかったのだ。感じる必要のない罪悪感から私を黄泉より引き戻した。私とて、こんな残酷な世界、二度とまっぴらだったのに。


 私がこんな目に合うのは……やはりコウキへの仕打ちの罰なのか。ずっと隣にいたのに救えなかった私への。

 死んだだけでは足らないのか。


「リュダ?」

「私はこうしてここにいます。もう心配は無用です。チキュの家族のもとにお戻りください。勇者コウキよ。この世界のためにご迷惑をお掛けして、誠に申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げて、何の返事もないので顔を上げる。コウキは茫然と佇んでいた。私が首を傾けると、

「また来る」


 そう言い残し、去った。



 ◇◇◇



 それからコウキは度々ここを訪れ、私を驚かせた。

 リュダが好きそうな魔道書や、ハッカ味のキャンディを手土産に。

 ソフィーである私はあまりそれらに興味はないのだが、ありがとうと受け取り、丁寧に片付ける。

「読まないのか?」

 リュダなら受け取るやいなや寝食を忘れて読む本のようだ。

「あとでゆっくり読ませてもらいます」


 私は森の幸で作った簡素な食事をコウキに出す。コウキはそれを食べながら、街の様子や、最近の旅の出来事を話す。こんな普通の話は意外だなと思いつつ相づちを打つ。前回は討伐の話と懐かしいチキュの話しか出なかった。

 この地が平和になった、ということでいいの?


 ならば何故チキュに帰らない?

 またしても私が足枷になっているのだろうか。

 討伐の折、一人犠牲になったメンバーの生まれかわりが独り立ちするまでは……とか?


 やめてくれ。

 私は自分のしたいようにしただけよ。勝手に責任を感じて勝手に生まれかわらせて勝手に様子を見に来て、勝手に私の静かな一人の生活をかき乱すのはやめてくれ!

 私はリュダじゃない。ソフィーだ。


 元から尊敬し、憧れ、影のある面立ちを力になれればいいのにと見つめていた相手が更に精悍に、になって、一人ひっそり生きてきた女のもとに足繁く通ってきて、心乱されないがいるだろうか?

 髪をかきあげる様子、窓辺で雨を眺める横顔、寝る前に思い出しては胸が痛い。大好きだった親友を想う気持ちはあっという間に恋心に変容してしまった。


 ああ、神よ、何故、私にこのような思いをさせるのですか?

 コウキはやがてチキュに戻ってしまうのに! いえ、戻らねばならないのに!

 こんな苦しい思い、知りたくなかった!森奥で一人、静かに生きていければそれでよかったのに! こんな想いをするのなら見つかりたくなどなかった!


 私は居を移す準備を始めた。


 ◇◇◇



 夜、戸がノックされた。コウキは昼しか来ない。

 でも、この気配は知っている。私の幻影を破る人。


 戸を開けると、光り輝く女が立っていた。

「聖女様」

 私が跪くと聖女は大慌てで私を立ち上がらせる。


「止めてちょうだい。あなたは私がどれほど聖女に相応しくないかわかっているはずよ」

「いえ、聖女様こそ聖女様だと思っておりますが」

「ならば私はあなたを英雄、聖リュダ、幼子の姿を借りた慈悲神と呼ぶことになるわ」

「……何ですか?それ?」

「あなたの死後、送られた称号。あなたは聖者になったのよ?」

「……意味なきことを」

「本当にね。じゃああなたの本当の名を教えてちょうだい」

「……ソフィーです」

「『賢き者』、あなたにぴったりね」


 月日は姉のようだった聖女を少しふくよかにして、貫禄を与えていた。

「聖女様、どうしてここが?」

「勇者に聞いたの。コウキの瞳に光が戻ってホッとしているわ」


「勇者様は……お元気ではなかったのですか?」

「ソフィー、大事な仲間が仕方がないことだとはいえ、目の前で死ぬのよ。平気でいられると思う? 自分の立場で考えてごらんなさい」

「…………」

「ましてコウキは自分の手であなたを殺したの」

「私は! コウキに殺されたと思ったことなど一度もない!」

「わかってるわ」


 手を強く握りしめ、感情を抑える。息を整える。

「誰かが果たすべき役目だった。私が一番年若く、孤児で、悲しむ人も残してきた人もいなかった。リュダが適任だった。それだけよ」


「私達が悲しむと思わなかったの?」

「それは四人誰でも同じ。世界を救うためにしょうがなかったでしょう? ならば最小の影響ですむ私だった。私は何も後悔してない。現に世界は平和になっている。リュダなしでも問題なく。これが聖女様ならばそうはいかない」


「……あなたの言うとおりね、ソフィー。でも、でも私はあなたを妹のように思っていた。ひたむきで努力家で聡い、優しい優しい私たちの妹。私はあなたより大人だったというのにあなたの優しさに甘えて、あなたの心の内に気がつかなかった。あの場で代われるものなら私が代わってやりたかった。でも私は愚鈍で、あの場があんなに悪意に満ちているなんて信じられなくて、気づいた時にはなにもかも手遅れだった」

「…………」


「それに、コウキにとっては無理矢理召喚したこんな世界より、唯一の親友であるあなたの方が、天秤にかけるまでもなく大事だったの。あなたの亡骸を抱き、リュダが死ぬくらいなら世界なんて滅びてしまえと泣いていた」


「…………コウキ……」


「愛するあなたを失ったことが、信じられず、許せず、私とコウキはリュダの復活を願った。その願いは叶えられ、コウキは世界のどこかにいる、リュダを探し旅を続け16年。ようやくあなたを探しあてた」

「…………」


「見つけたあなたは前世でのまだ子供らしさの残る愛らしい姿ではなく、既に一人前の女性で、森の奥でたった一人、静かに、贖罪するように生きていた。あなたほど堂々と生きていい存在はいないのに。コウキは戸惑って私を訪ねてきたの。俺たちの願いは間違いだったのか? そっと眠らせてあげたほうが幸せだったのか? と」

「…………」


「私はこう言った。私達は我儘にもまたリュダと会いたいと願った。そして、リュダの魂を持つソフィーに会えた。こんな幸せなことはない。どれだけ利己的であったとしても、後悔はない。とね」

「聖女様……」


「あなたは私達に二度と会いたくなかったかもしれない。でもこれは、私達の愛を軽んじて勝手にさっさと死んだ罰よ。己の未熟を恨みなさい」


 いつのまにか、涙を流していた私を聖女様が胸に抱き入れた。

「リュダ、ありがとう。そしてさようなら。はじめまして、ソフィー。私はあなたを生涯愛する姉。二度と私より先に逝くことは許しません」


 ほら……やはり聖女様の方が、この世界には必要だ。

 こんなにも温かい。


「コウキは私を見つけるために、元の世界に戻らなかったのですね。私、ココでキチンと生活していきます。命を粗末になどいたしません。何の心配もいりません。早く、コウキを元の世界に返して上げてください」

 召喚は神殿の秘術。神殿のトップである聖女が動けば準備は直ぐに整うだろう。


 聖女様はハッと驚いた顔をされた後、顔を歪め……涙を零した。初めて見た、聖女の涙。


「ソフィー、あなたって人は死してもなお自分ではなくコウキの幸せを願うのか……、ああ、ああ、リュダ、ソフィー、許して……神殿に、召喚元に返す術などないのです」

「え?」


「私達はっ…ううっ、騙されていたのです! だってそうでしょう? 勇者は魔王の玉座で死ぬのだから、返す術など不要なのです。コウキは始めから……帰れないのです……」



 ◇◇◇



 バタン! と大きな音を立てて戸が開いた。コウキが息を弾ませてやってくる。


「リュダ! 引越すのか? っておい、何でそんなに目を腫らしているんだ! 何で泣いた⁉︎ 誰にやられた⁉︎ 言えよ!」


 コウキに大きく肩を揺すられ、私は慌てて、コウキの腕を掴む。

「く、苦しいって。誰にもやられてない、ちょっと情緒不安定になっただけです。どうしたのですか? こんな朝っぱらから」

「……聖女から、リュダが引越すみたいだって聞いて、慌てて……」

 聖女様、ちょっと片付け始めただけなのによく見てる。


「わかりました。引越す時はキチンとご連絡します。それより勇者様…」

「コウキだ!」

「え?」

「何故コウキと呼んでくれない⁉︎」

「私は……リュダでもありますが、やはり見ての通り別人格なのです。16も年下ですし、呼び捨てはよくないと……」

「別人格になったら、もう友達じゃないのか? 年が離れたら心も離れるのか?」

「そんなことありません! でも声も違いますしコウキ様がイヤではないかと……」

「コウキだ、言って?」

「……コウキ」

「やっとだ……」

 コウキはぎゅっと私の手を握り、私の隣に腰掛けた。


「聖女様に、もうチキュに戻れないとお聞きしました」

「……はあ、それで泣いたのか。チキュじゃない、チキュウだって何回も言ってるだろ?」

 コウキが穏やかに微笑むのを見て、私の目に再び涙が浮かぶ。


「あんなに! あんなに帰りたがっておられたのに! 優しいけど怒ると怖いお母上がいらして、剣術のお強いお父上と、読書家の兄君と待っておられるのに! 学舎で、ご学友と球を蹴る戦いを早くしたいと! 将来は医術を学ぶ学舎に行きたいって! 可愛らしい女性と歌を歌いに行きたいって!こんな汚い世界じゃなくて、平和な元の世界でいっぱい寝たいって! なのに! なのに! うう、ううう………」


 私は手を掴まれているせいで涙が拭えない。

 コウキはそっと私の手を引き抱き上げて、頭に手をやり泣き濡れた私の顔を自分の胸に押し付けた。私は昔はなかった体格差に戸惑いつつも、恐る恐るコウキの背に手をまわす。


「俺ってば、ほっんとリュダに甘えてたんだな。そんなにぼやいてたっけ。そして、そんなに覚えてくれてたんだ。もう俺の記憶よりも詳しいかも」

「コウキ……」


「クソみたいな大人だらけの中、リュダだけが年が近くて話しやすかった。リュダだけが真剣に俺の話を聞いてくれた。リュダだけが信じられた。リュダだけが友達だった。俺は心の澱を吐き出して楽になってたけど、リュダは逆に重荷を募らせてた。それに気づいてた。でも、それでもいいと思ってた。オレも苦しいんだからお前も少しくらい苦しんでもいいだろって。ガキで最低な甘ったれだ。リュダが一番大事だったのに」


 私は違うと首を振る。あなたの苦しみとは比べようがない。


「あの日、お前はオレの何百倍もデカイ器と、俺への忠誠を見せつけて死んだ。俺が殺したのに最後の望みは俺の自由。自由って何だ? お前いないのに」

「あなたはっ! 殺してなどいないっ!」

 思わず悲鳴のような声をあげる。


「呆然としたまま王の元に帰還すると、何と地球には戻れない。約束を反故したことで俺が暴れるとでも思ったのか俺を取り込もうとしたり、逆に俺を排除しようとしたり。お前を殺した罪人にもされそうになった。まあそれは否定できないけれど」


「なんて……愚かな……」

 あまりの国の仕打ちに私はますます涙を流す。すると、コウキがそっと親指でそれを拭った。


「でもね、リュダの最後の願いが俺を何ものからも守った。『勇者に自由を』。権力も武力も魔法も俺の自由を遮るものは全てはねつけた。俺の前に立ち塞がるやつはいなくなった。俺は自由に旅をした」


「もう…………チキュウに戻ること、諦めたのですか?」

「諦めたというか、優先順位の変更だ。チキュウに戻るより、リュダを探すほうが先決だった。リュダを探しているうちに……じわじわともう帰れないと実感した」

「そうですか……」


 俯く私のアゴをコウキの指が引き上げる。目を合わせられる。

「俺は自由に旅をしてきたけれど、自由とは縛られはしないが一人で寂しいもんだってわかった。で、最初に戻る。自由って何だ? お前いないのに。異界で一人、いよいよ俺の精神も限界だなって思った矢先に……見つけた」


 コウキが私の頰を撫でる。

「お前を見つけたら、最初は勝手に死んだこと、めっちゃ怒って、その後は一緒に旅したいとか、店を持って商売したいとか、色々夢みてた。だけど見つけたリュダは、俺と一緒に泉で行水してた……まだ性別を感じさせない仲良しのリュダじゃなくて、しっかり女性になってて……ちょっとショックだった」


 私がコウキと旅に出たのは九歳。コウキも私もパンツ姿に帯剣しマントを羽織り、髪も邪魔だからお互いにナイフで切り合っていた。確かにあの頃は性別など関係なかった。


「私が男であれば……よかったですね」

 男であれば、コウキの望みとあればどんな旅でも、どんな夢でも付き合えた。チキュウに帰れないコウキの力になれたのに。


「まあ男であれば、こんなにも心配しないで済んだな。こんな森深くに住んでることとか。かといって街に住まれたら他の心配が生まれる。でもそれよりも、俺の知らないところに引越すとか絶対勘弁してくれ」


「えっと……では、私、女を捨てましょうか? 私が女であることでコウキが不自由を被るのなら」

「はあ? 何言ってんだ? お前は俺が女を捨てろって言ったら捨てるのか?」

「はい。コウキが少しでもそれでこの世界で生きやすくなるのなら」

「…………」

「コウキには、ほんのちょっとでも、幸せになってほしいのです」

 この残酷な世界にコウキの望むものがあるのかわからないけれど、私にできることならば、何でも努力しよう。


 コウキが目をしばらく閉じた後、私の瞳を見据える。ごまかしなどできないように。

「お前にとって俺は何だ?」


 私にとってのコウキ……友、憧れ、尊敬、愛、弱さすら愛おしい。

 前世……命を捧げたコウキ。

「全て、です…ん!」


 言い終わらないうちにコウキが強く私を抱きしめた。グッと背中を逸らされて……口づけをされた。

 触れるだけ。次は唇で挟むように、何度も。


 上から覗き込まれる。

「俺にとっても、この世界、お前が全てだ。以前のお前は親友だった。でも、ソフィーはもう大人の女だ。女だからこそ二度と離れないで済む。親友以上に一緒にいられる。女は捨てるな」


 何が起こったのか? そっと中指で自分の口元をなぞる。


「ソフィー、俺を幸せにしてくれ」

「……どうすれば?」


「俺と、結婚してほしい」


 驚きのあまり、目を見開く。

「……正気ですか?」

「正気だけど」

「でも……あの、私をそういう対象として見ることができるのですか?」

 リュダとの時間のほうが長いのに。


「再会した瞬間、戸惑いと同時に恋に落ちた。誰にも渡さないって決めた。16の年の差には怖気付いてるけど。一番大事な人と再会し、まざまざと女性そのものの美しさを見せつけられたら、友情が恋情に変わるのは自然なことだと思う。ソフィーは俺を親友としか思えない? 男として意識してもらえない?」

 私は顔を真っ赤にして、ふるふると首を横に降る。


「今のソフィーだからキスできるし抱きしめられる。俺の気持ちを最大限に表現できる。でも間違いなくお前はあの、いつも俺に寄り添ってくれた大好きなリュダで……全てひっくるめてお前しか見えない。頼む、ソフィー……俺をもう一人にしないでくれ……」

 コウキはとても切なそうな顔をして、私にすがる。思わずその頰に手を当てる。

 私はコウキに16年間も……こんな顔をさせてしまったのだ……。

 コウキが私の手の上から手を重ねる。


「私はもう……コウキの苦しむ姿など見たくないのです……」

 あなたの慟哭を見るたび聞くたびに、己の力不足に絶望した。

「ならば一緒に幸せになろう。ソフィーが俺の横で笑っていてくれれば、俺も笑っていられるから」


 コウキの隣で、コウキの笑う姿が見られるの? そんな夢、願ったこともなかった。


「『帰れない』コウキの上で、幸せになってもいいの?」

「ソフィー、俺はそれだけを望んでいる」


 ああ……女神よ……


 涙声を紡ぐ。

「……勇者の……『自由』にしてください」

 きちんと笑えているだろうか?

「ソフィー……愛してる」

 コウキの声が震えた。


 額を合わせ、瞳の涙が混ざる。

 どちらからともなく口づけた。


 ……時を超えて、私達はそっと、ずっと近くに、重なった。



 ◇◇◇



『死の森は安息の地。何人も近づいてはならぬ』


 魔王討伐に同行し、最大級の回復魔法を誇り、歴代最高の権力を手にしていた三代前の聖女の法度。


『彼の地の『自由』を脅かしたものには、天罰が下る』


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勇者に自由を 小田 ヒロ @reiwaoda

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