第11話 両軍激突 謙信本陣へ突入
武田方の武将初鹿野源五郎忠次は、勘助とともに敵陣に突入した。前方には信繁隊が苦戦しているのが見えた。その信繁隊から抜け出してくる上杉勢があった。須田右衛門尉の部隊だった。
「信繁殿をお助け申す。ものども上杉を蹴散らせ!」
忠次は郎党三〇人ばかりと須田隊にぶつかっていった。忠次は自慢に槍をもって次々と須田の郎党を討ち取っていった。またたくまに十数人が倒れた。それを見て、須田の郎党らは躊躇してしまい、行き足が止まってしまった。
「何をやっておるのだ!臆するでない」
郎党を叱咤して再突撃を命ずる。
「敵は少ないぞ。取囲んで一人ずつ組み伏せよ」
忠次の郎党谷専九郎は須田の赤尾源太兵衛と槍を合わせたが、ついに突き伏せられ、他の郎党も次々と討たれていった。忠次は周囲を見るともはや自分だけが取り残されたいた。周りは上杉ばかりであった。
「武田の将、初鹿野忠次なり!われの首みごと取ってみよ!」
忠次は一人でなお奮戦し、十人ほどの騎馬、雑兵を斬ったが、ついに槍衾を受けて倒れた。享年二十八歳であった。
武田義信が奮戦する中、飯富三郎兵衛もまた獅子奮迅の働きをくりひろげ、上杉の攻撃を防いでいた。四尺三寸の大太刀を奮う飯富の姿は遠くからでもよく眼に映った。上杉の雑兵の繰り出す槍はなすすべもなく返されている。上杉の中から赤皮の胴丸に烏帽子肩の冑をかぶり、朱柄の槍を手に、白地に朱で“三国一”と書いた指物の際立って目立つ出で立ちの騎馬武者が現れた。
「やあやあー、われこそは小島弥太郎なり。人は鬼小島と呼んでおるそうな。飯富昌景殿とお見受け申す。立ちあいそうらえぃー」
「そこもとが弥太郎と申す武者か?お相手つかまつろう」
二人は刃を交え始めた。が、何手かかわしたかわからぬが、一向に勝負のつきようがないほどだった。
(さすがは、越後に弥太郎ありといわしめるほどの腕前よ)
と昌景は馬上で思った。弥太郎もまた、(さすがは、飯富昌景は豪の武士よ)と思った。
二人の勝負に周りの両軍の将兵はしばしその光景を目に焼き付けていた。いつ終わるのだろうか。果たして勝負の行方は?だが、この勝負は決着がつかぬままとなった。昌景は、横目に武田義信が越後勢に囲まれて苦戦しているのを見たのであった。主家の御曹司が危ないのを見捨ててはおけないのだ。
「弥太郎殿ッ!しばしお待ちを。我が主人義信が危うござる。武士の情けにより、この勝負お預けねがいたい」
と昌景は弥太郎に声をかけて心情を問うた。
「何と、昌景殿の忠節、その御心に免じて、この勝負お預け申そう。またご縁あらば、お手あわせ願いたいものよ」
「これはありがたい。ご縁あらばこの続き果たしましょうぞ」
と昌景は、馬首を義信の方へ巡らし、駆けつけていった。
(弥太郎は誠の忠ある武士。誰が鬼小島とつけたか)と思いながら、馬を走らせた。
戦いは乱戦の様相を強くしていた。上杉・武田とも一歩も引かず、そこここで激闘が繰返されていた。本陣以外はどちらが味方か敵か分らない様相であり、ただ旗印だけが頼りであった。
武田方の武将で名門出の小笠原若狭守長詮は、白地に三蓋菱の旗をたてて、手勢を率いて上杉勢の中に切込んでいった。激戦により長詮は頭に疵を受けて、顔面が血だらけになっており、甲もおち、鎧の袖もちぎれて、鬼神のような姿となって闘っていた。旗印から上杉は小笠原氏に縁ある武将として突進している。さすがの長詮も最後を覚悟したが、家臣の桑山茂見なる者が、
「新羅三郎義光の苗裔小笠原若狭守長詮ただいま討死!」
と叫んで、主人のまえに立ちふさがり、寄せる上杉勢とわたりあった。宇佐美の家臣であった三浦与左衛門が桑山とわたりあって、桑山を組む伏せてその首級をあげた。
「武田にその人ありと聞えた小笠原若狭守殿を、三浦与左衛門が討ちとったり!」
と声をあげた。が、血まみれの長詮は、雑兵らにまぎれて落ちのびることができた。
小笠原長詮には、伝説が伝わっている。それは、長詮は三条宗近という刀工が鍛えた狐丸という名刀を振るっていたが、乱戦の最中に打ち落とされ、戦闘後に附近を捜したが、見つけることができなかった。激しい戦闘であったので、のちに死骸や武具をあちこちに埋めて塚としたが、ある塚だけ夜になると狐が多く集まっていた。あまりに奇異なことなので、その塚をほりおこして見ると、その狐丸の名刀が眠っていたのである。この塚は狐塚と呼ばれることとなった。
信玄も謙信も本陣で戦いの推移を見守っていた。信玄は新手新手を繰り出して、先鋒、旗本衆を切り崩して迫る上杉の勢いに不安を感じ始めていた。信玄から上杉勢の旗印の模様がよく見えるような距離にせまっていた。まもなく別働隊が上杉の後方より現れるであろうが、まだその兆候は見えなかったし、百足衆からの報告もなかった。
謙信もまた、新手を繰り出しての突撃を繰り出してはいたが、武田の堅陣をそうたやすく切り崩すことは難しくなっていた。はやくしないと、後方より武田の別働隊が押し寄せることは必定であり、ほとんど無傷で到着する武田軍と激突する余力はのこっていないことは一目瞭然として脳裏に刻み込んでいた。ここは信玄の本陣に切込んで見るしか活路はあるまいと思いはじめていた。また、この乱戦で信玄の旗本衆も陣形は乱れており、その策は可能に違いないと感じていた。
「道儀、願わくば信玄を討ち果たしたい。この日をのがせば他日はない」
「御意、信玄は影武者を必ず置いております。見極めれば可能かと思われます」
「うん。わかれば、一気に突入する」
道儀は馬に飛び乗り、信玄の本陣と思われる先を目指して走った。当然、その先は両軍入れ乱れての戦陣の中を突っ切っていくこととなる。
その頃、山吉玄蕃、平賀志摩守らも謙信に命ぜられて、信玄の本陣を探っていた。信玄のいでたちは、黒糸縅に金で武田菱を打った鎧に、諏訪法性の甲、黄金作りの太刀をはき、緋の衣の袖を肩にかけ、軍配団扇を持って床几にかけていた。いた、信玄に違いない。しかし、その少し向うにも床几にかけた同じ出で立ちの武者がいた。これも信玄か。はて、どちらが信玄本人なのか。
信玄は、野戦で本陣にいる際は、必ず弟の逍遥軒信廉入道が信玄に扮して側にいた。それだけ、兄弟ゆえ似ていたのである。遠目では、どちらが信玄か皆目わからぬままいた。このままそこにいても、武田との死闘の仲では、戦陣にまみれ信玄を打つときを失ってしまう。そこへ、道儀が現れた。
「道儀殿、信玄を見つけたが、影武者がおる。どちらかわからぬ」
「うーん、それでは。それがしが突入する。信玄ならばそれを見て、必ず采配する。それを見極め、お屋形様に合図せよ。そなたたちの手下の者を少し借りるぞ」
「よし、小平太他の者と道儀殿に従い行動せよ」
「はっ」
道儀は二十名ほどの従者を伴い、隙間をねらって本陣めがけて突入した。しばらくすると戦況を見つめていた床几に腰掛けていた武将が軍配団扇を振り上げた。信玄の旗本衆に道儀らの突入を阻止するよう命じたのだった。
「わかったぞ、道儀殿。玄蕃、早くお屋形様に知らせよ!」
「わかり申した」
玄蕃は、槍先に布をつけて馬上高く振り上げて振った。
謙信はその合図をしっかりと両眼で捉えていた。
「信玄見つけたり!ものども突入する。狙うは信玄ただ一人!」
「おぅー」
謙信の出で立ちは、紺糸縅の鎧の上に、萌黄緞子の胴肩衣をつけ、金の星の甲の上から、白綾の絹で顔をつつみ、三尺一寸の小豆長光の太刀をよこたえ、放生月毛の馬にまたがり、まさに毘沙門天に如く、疾走していった。遅れじとばかり従う近臣旗本衆は、千坂内膳、市川主鈴、和田兵部、岡喜兵衛、宇野左馬之助、大国平馬、芋川平太夫、永井源四郎、清野国生、岩井藤四郎、竹俣長七、稲葉彦六ら十二騎で、謙信を守り包むように一個の弾丸のように、信玄の本陣めざした。
一方、妻女山別働隊の武田軍は背後から攻めたが、欺くための見張りの者だけであり、主力は蛻の殻となっており、謙信に先手を打たれた格好になり作戦はすべて狂ってしまった。
「弾正殿、八幡平に布陣するお館様が危ない。この深い霧ゆえ乱戦になるやもしれぬ。急いで、下山いたし八幡平へ馳せようぞ」
飯富兵部少輔が高坂弾正に言った。
「さもあらん。しかし、海津城も僅かな兵しかおらぬ。万一占領されるやもしれぬ。某は海津に向かい、城の安否を確認いたすゆえ、兵部殿は、残りの兵を率い、謙信を背後から挟み撃ちしてくれまいか」
「うん、わかり申した。それでは、ただちに下山する」
馬場民部や小山田らも同意し、すぐさま妻女山を降り下って、八幡平へ向けて進撃した。
信玄の本陣を守る旗本たちは、疾走してくる騎馬軍団を見つけた。見るからに他の武将たちとは違うものを感じた。
「お館様を守るのじゃ!」
「オゥー」
謙信の守護神十二騎をまた保護するように、十数騎の旗本衆がいつのまにか前衛となって槍衾のように突進してくる。乱戦により隊列を乱している武田軍の足軽兵卒は瞬く間に蹴散らされて四散している。
信玄の本陣は二層で守られていたが、義信の応援に向かったために一層だけであった。
しかし、残る武将は一騎当千の豪ある武士ばかりである。一歩も通さずと、前面に立ちはだかり、上杉軍と刃を交えた。謙信の守護神将は、最初つきかかったあと、一旦馬首を廻らすと、刃を揃えて突きかかった。これには、武田の名だたる武将達も盾のように立ちはだかることが困難であった。
謙信は、戦いの様相をしばらく眺めていたが、奥に床几に座して行方を見守っている信玄を発見した。謙信は刀を抜いて、馬を走らせた。
後に続くのは、その謙信を最期まで付き従う二人の武将がおり、謙信の後につづいて馬を走らせた。謙信は先頭となって、立ちはだかる武田の侍を切り捨てて信玄のもとへと急いだ。逃げられては大事をかけた一戦が不意になる。信玄も戦いに必死で逃げることも忘れて、采配を振るっている。まさに不動の大将であると謙信は思った。だからこそ今が絶好の機会なのだ。
「おのれッ、信玄め!」
あと数歩のところで、信玄を守護する武士がたちはだかり、謙信の勢いを止めていた。従う二人のうち荒川伊豆守が、手薄になった隙間を縫って信玄に切りかかった。
「エィッー」
信玄は軍扇でしっかりと受け止めた。小癪なと荒川はさらに打ちかけるが、軍扇で受け止めて防いだ。それでも一太刀は刀の勢いに押されて、肩先を掠めていた。
信玄の危急を救ったのは、旗本の原大隈守で、槍を荒川に向けて突き出した。が、わずかにそれ、返す槍は慌てたのか馬の尻をしたたか突いた格好になった。これが逆に功を奏して馬は驚き信玄から離れ去ってしまった。
「いや、残念!お、お屋形様!」
荒川は謙信の方を見た。信玄の周りにはさらに多くの旗本が取り巻いており、もはや信玄を斬る機会は失われた。それを見た謙信は馬を走らせた。戦の潮時であった。
十二神将も謙信の後を追うように信玄の本陣から走り出そうとしていたが、さすがに数騎はその数を減らしていた。
謙信にとって、あとは後続の武田の別働隊の動きであった。もうこれ以上戦場に踏みとどまれば、包囲殲滅の恐れがあるばかりであった。しかし、謙信自信が動いてしまった以上後の采配は、それぞれの長の采配によって難を脱していくしかなかった。
謙信は馬上より遠ざかりつつある信玄の眼差しをしばし見つめながら駆けていった。
(いま少し運あらば、信玄を討ち取れたろうに。絶好の機会を失ったか)
謙信は運が我に向いていないことを悟っていた。信玄もまた遠ざかっていく謙信の後姿を追っていた。
(さすがは謙信じゃ。かような武将は二人とておるまい。そう簡単には討ちとれぬ相手よ。まさに越後の龍じゃ)
「謙信を追えぃ!」
旗本衆が叫び、馬にのりこんで、謙信の後を追うものが続いた。当然、敵の大将が逃げたのであるから、追うのは武将としての本能としてそうさせるのだ。
(逃げるのも大将としての器の一つ。討死してはどうしようもない。また機会あらば戦いたいものよ)
まだ、しかし戦況は混乱しており、上杉、武田の様相はまだ皆目わからなかった。
『毘沙門天の風 激突川中島-上杉謙信物語-』 木村長門 @rei-nagato
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