はじめての遊園地

紺道ぴかこ

はじめての遊園地

 遊園地って、楽しいのかな。

 きっかけは、誰にでもなく呟いた言葉だった。

 テレビのニュースで、新しいジェットコースターがどうのと言っていた。遊園地なんて行ったこともなければ、ジェットコースターに乗ったこともない。テレビの中では笑顔と笑い声が溢れていて、すごく興味をそそられた。

 でも、興味があるからといって行けるわけではないことはわかっていた。だから、側で食事の後片付けをしてくれていた母が「行ってみる?」と聞いてきたときは、一瞬意味がわからなかった。

「……いいの?」

 躊躇いがちに伺うと、母は笑顔でうなずいた。

「今度の休みに、お父さんと三人で行こっか」

 はじめは信じられなかったけれど、後から躍りだしたくなるような感覚がじわじわと沸き上がった。外に出るだけでも大層なことなのに、あの遊園地に行けるなんて……! あたしにとって、遊園地は憧れの場所だった。名前を聞くだけでキラキラしている、夢のような場所。

 遊園地に行くまでの数日は、わくわくがいっぱいで落ち着かなかった。いつも飲んでいる薬を飲み忘れそうになったり、病院に行く日を間違えたり、慌ただしい日々を過ごした。それでも、私の心はただ一つ、遊園地への期待で満たされていた。

 そして、ついに夢の場所へ足を踏み入れる日が来た。


 はじめての遊園地は思った以上にキラキラしていて、入った瞬間目が回りそうだった。ジェットコースター、コーヒーカップ、お化け屋敷……今まで話でしか聞いたことのなかった場所を実際に体験できるなんて、言葉に表すことのできない感動を覚えた。

 お父さんもお母さんも、笑っていた。二人はいつも私に笑顔を見せてくれるけれど、あたしはそれが好きじゃなかった。でも、遊園地で過ごした時間の笑顔は大好きだ。あの瞬間は、本物だったから。

 はしゃぎすぎないでね、と言われていたけれど無理な話である。こっちのアトラクションの次はあっち、とさんざん親を引っ張り回したから、二人ともたぶんヘトヘトだったと思う。

 風船を配るうさぎの着ぐるみを見かけると、あたしは一目散にうさぎへ駆け寄って赤い風船をもらった。うさぎに「ありがとう」と伝えて、元の場所へ戻ろうとした。でも、そこにいるはずの両親の姿がなくて。あれ、と思って周りを見回したけれど、たくさんの知らない顔ばかりだった。

「お父さん、お母さん……?」

 呼んでも返事はない。風船を両手でぎゅっと握りしめて近くをうろうろしてみたけれど、見つからなかった。

 弾んでいた気持ちが、嘘のようにしぼんでいった。遊園地のキラキラが、怖い。楽しそうな人たちの波に呑まれたようで、ぐらぐらした。立っていられなくてうずくまったあたしの上に、大きな影がかぶさった。

「おい」

 投げかけられたぶっきらぼうな言葉に、体がびくりと震えた。驚いた拍子に手を離してしまい、風船が空へと飛んでいってしまった。

 怖々顔を上げると、鋭い目つきの男の子があたしを見下ろしていた。まっすぐ向けられた視線に、息が詰まったのをよく覚えている。

「おい、どうし」

「う、うわぁぁぁん!!」

「はっ!? お、おい!?」

 男の子の目つきがあまりにも怖くて、「なにかされるのではないか」という恐怖を覚えた。もうわけがわからなくなって、気がついたら大声を上げて泣いていた。要するに、パニックというやつ。

「いや、あの……」

「やだぁ!!」

 男の子が伸ばしてくれた手を振り払う。今思えばあたしをなだめようとしてくれてたんだろうけど、そのときはとにかく怖くて仕方なかったのだ。

 しばらく泣きわめいて声が枯れてきた頃、ビニールの紐がおずおずと差し出された。見上げると、青い風船を持った男の子が、ばつの悪そうな顔をしていた。

「悪かったよ、コレ」

 男の子から青い風船を受けとる。触れた手は、暖かかった。お母さんやお父さんと同じ、優しいぬくもりを感じた。

「……ありがとう」

 目は腫れて痛いし喉もからからだったけれど、がんばって声を絞り出す。風船を渡してくれた男の子が、安心したように息を吐いた。

「どうしたんだ?」

「……お父さんとお母さんがいなくなっちゃった」

 男の子がやれやれといったように首を振る。眉を寄せてしばらく考え込んだ後、あたしに手を差し出した。

「迷子センターまで連れてってやるよ」

 あたしはぽかんと口を開けて、差し出された手を数秒間ただ眺めていた。この人はあたしを助けようとしてくれてる、と時間をかけてようやく理解して、空いている方の手で男の子の手をつかんだ。さっき触れたときよりも柔らかくて暖かくて、心地よかった。

「おまえ、名前は?」

「のぞみ」

 そうか、と短く返して、男の子がゆっくりと歩き始めた。それに合わせて、あたしも歩き出す。男の子に対する恐怖心は、すでに消えていた。


 迷子センターで、係の人が放送で呼びかけてくれた。ここで待つように言われたあたしを横目に、男の子は「じゃ、これで」とあたしから手を離した。

「えっ!?」

「えっ」

 声をあげたあたしに驚いたのか、男の子が目を丸くする。離された手を、もう一度ぎゅっとつかんだ。もうすぐ両親が迎えにくるとは聞かされていたが、それまで一人でいるのは嫌だった。

「やだ、寂しい」

「寂しい、って……」

「まだここにいて。ね、ね?」

 どうしても引き留めたくて、必死で男の子にすがりついた。やがて男の子は根負けしたのか、「しょうがねえなぁ」と不機嫌そうに頭をかいた。

「もう少しだけだからな」

「ありがとう! ……えっと」

 そういえばまだ名前を聞いていなかったっけ、と思い至る。

「お名前、教えて?」

「……マサキ」

「マサキくん、ありがとう!」

 口元を緩ませて、ありったけの感謝の気持ちを言葉に込める。そのときのまなじりの下がった顔を見て、全然怖くないな、って思った。


 三十分ほどで、親が迎えに来てくれた。それはもう慌てた様子で、抱き締められたときは力が強すぎて苦しかった。持っている風船の紐をまた手放してしまいそうになるくらい。でも、嫌じゃなかったことは確かだ。

「じゃあな、もう迷子になるなよ」

 迎えが来るやいなやそそくさ去ろうとした彼を、「待って!」と慌てて呼び止めた。

 彼は嫌そうな顔をしながらも、ずっとあたしの話を聞いてくれた。しりとりやじゃんけんで遊んでもくれた。この遊園地に来て、一番楽しい時間だった。もちろん、いろいろなアトラクションに乗れて楽しかった。でも、彼と過ごした短い時間は、そのどれにも負けないほどキラキラしていたのだ。

「今度会ったら、また一緒に遊んでくれる……?」

 口をへの字に曲げた後、彼がしょうがなさそうにうなずく。

「ああ。今度会ったら、な」

「やったぁ! 約束だからね、絶対だよ!」

 ただ迷子になっていたところを助けてもらっただけで、彼のことはなにも知らない。そんな彼ともう一度会うなんて、不可能に近いだろう。それでも、あの時のあたしは交わした約束に舞い上がっていた。約束さえすれば、いつかまた会えるのだと、信じて疑わなかった。

「はいはい。それじゃあな」

 あたしに背中を向けたまま手を振り、彼は人混みの中へ消えていった。人波に完全に溶ける前に、彼の背中へ呼びかける。

「約束、絶対守ってね!」

 あたしも、守るから。心の中で呟いて、深く誓った。

 でも。

 生きて約束を果たすことは、できなかった。


 遊園地に行った次の日から、あたしの体調は日に日に悪くなっていった。もともと体が弱くて、物心ついた頃からずっと病院と自宅を行き来するような生活をしていたけれど、あの後からどんどん調子が悪くなっていき、病院にいる時間が長くなった。

 もしかしたら、両親はこうなることがわかっていたのかもしれない。身動きが完全にできなくなる前に、遊園地に行きたいというわがままを叶えてくれたのかな、と今になって思う。

 でも、諦めたくなかった。だって、彼と約束したから。今度会ったら、もう一度一緒に遊ぶんだって。だから、がんばって生きた。約束を果たすその日まで、がんばって生き抜こうと思った。

 約束があったから、あたしは14歳まで生きていられた。お医者さんはあたしがここまで生きられるなんて予想外だったみたいで、「奇跡です」なんて言ってたっけ。

 でも、奇跡はもうおしまい。

 生きて約束を果たしたかったけれど、ダメだった。

 ゴメンね、お父さん、お母さん。

 ……マサキくん。

 みんながあたしを呼ぶ声を聞きながら、深い暗闇の中に落ちていった。約束をしたあの日の光景が頭をよぎる。

『約束、絶対守ってね!』

 そんなことを言ったくせに、当の本人が約束を破ってしまった。悔しい、悲しい。胸を痛める感情の中に浮かんだ、彼への想い。

 会いたい。

 

 気がつくと、あたしは知らない部屋にいた。目が痛くなるほど真っ白な部屋じゃなくて、ほどよく散らかっていて生活感のある部屋。

 顔の前に掌をかざすと、掌が薄いフィルターのようになって天井が透かして見えた。床に視線を落とすと、そこについているはずのあたしの足がない。

 もしかしてあたし、幽霊になっちゃった? テーブルの上に乗った空のペットボトルをつかもうと試してみるが、どうやってもペットボトルをつかむことはできない。ぶつかった感触もなにもない。どうやら、本当に幽霊になってしまったようだ。

 お世辞にもきれいとはいえない部屋の中を見回して(見回すほどの広さはなかったけれど)、ベッドの上でいびきをかいている人がいることに気がつく。彼の顔を覗きこみ、はっとした。

「マサキ、くん……?」

 成長していたけれど、すぐにわかった。眠っていても不機嫌そうな顔に、あの頃の面影が残っていたから。

 どうして。そう思ったけれど、すぐに忘れた。理由はわからないが、また彼に会えたのだ。考えることに意味はない。

 きっと、これが本当の奇跡だ。神様があたしにくれた、最後の奇跡。

 うめき声を上げて、彼が目を開ける。とろんとした目は、あたしを認識してくれなかった。単純に気がつかなかっただけか、それとも姿が見えないのか。

 一つ、試してみよう。神様が本当に奇跡をくれたのかどうか。

「おはよう、マサキくん」

 

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はじめての遊園地 紺道ぴかこ @pikako1107

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