12.T.T.T(Twelve Tone Tune)

田上についての決着は早いほうがいい。


当然、普通に考えれば杏子との同居生活にも区切りをつけるべきでもある。


でも、それをしたくないと考える私がいる。


ところで、この状況を松戸さんはどう思うんだろうか。














実は、今日は松戸さんと初めてデートに出かける日だったりもする。


しかし、よく考えてもらいたい。世の彼氏彼女たちはデートと言って何処に行って何をするというのだろうか。安くない給料をもらってはいても、一度に大量の出費をしようものなら生活苦になるのは一瞬だ。


そんな私の初デートは、杏子と行ったあのカフェだ。いや、ここは精一杯の敬意をこめてジャズ喫茶とお呼びするべきだろう。デートスポットとしての雰囲気も抜群だから提案させてもらった。


「いい店だよね、ここ。桑畑の紹介って所も信用できるね」


昔好きだった人の名前を出されても、この場合は特に嫉妬も湧かない。あの人、ここを教えてくれたときに善意しかなかったろうし、そもそも告白された場所もあの人が教えてくれた店だった。それで不快に思うこともない。


「あ、ごめんね。こういうときに他の女性の名前を出しちゃ拙かったね」


「樹さんなら大丈夫です。他の人なら嫌だったかもしれませんけど」


「そう。でも、気をつけるよ」


円満に彼氏彼女の関係を続けていくには。お互いに気を遣い、思いやり、話し合うこと。そんな模範解答の一例を目にしたような気がする。


いや、自分自身が当事者なんだけど。一応、隼さんには結婚も踏まえての申し込みをしてもらったけど、そこに至れるかどうかは不透明だ。杏子から駄目出しを喰らってしまった私のコレクション。趣味の否定まではされないにしても、女子の部屋じゃないとの厳し目のお言葉。


「隼さんって、付き合ってる相手に望むこととかってありますか」


だからこそ聞いておくべきなんだ。私が直すべきところを。


「好きなことして、楽しく生きてくれてればいいかな。で、その好きなことの中に俺と一緒に過ごしてくれることが入ってくれてれば嬉しい」


何なのこの人。聖人か。


「別に自分の不幸語りをするつもりもないんだけどさ、俺、昔1課からドロップアウトしたのは知ってるでしょ」


その話なら付き合う前から知ってる。成績を上げようと新規の顧客を獲得したものの、休日や深夜を問わない呼び出し、社の能力を超えた要求にすり減らされた隼さんは一度壊れてしまった。そんな彼を桑畑課長が掬い上げ、2課に引き擦り込んだんだ。


最初はオフィス内での仕事から。そのうち一緒に外回りに行くようになり、そして独り立ちした。


私が知っているのは独り立ちした後のことで、この話は1課で陰口を言われていたのを聞いたことから知ったことだった。当然、こんなことを言った連中は桑畑課長にお仕置きされている。


「で、一応その頃には大学から付き合ってきた彼女もいたんだよね」


本当の元カノさんの話はこれが初めてだ。気にならないわけじゃない。いや、気になる。でも、このまま聞いてていいのかと不安にもなる。


「元カノの話はそんなに比重は大きくないよ。ただね、彼女は毎日のように俺に言うんだ。“頑張れ”、“負けるな”、“大丈夫だ”ってね。一生懸命励まそうとしてくれてるのはわかるし、最初は嬉しかった。自分を応援してくれる人がいるってことがね」


「嫌に、なったんですか」


「うん。段々とね。だって、頑張れないから潰れてしまったんだし、負けたから潰れてしまったんだし、大丈夫じゃないから潰れてしまったんだから。その頃には呪いの言葉にしか思えなかったね」


ああ、偶に聞く話だ。もう既に十分以上に頑張ってる人にもっと頑張れよって言っちゃう話。善意のつもりなのに、それで相手を傷つけてしまう。


「俺は自分の好きなことができなくなっていったし、好きなはずの人を好きでいられなくなったんだ」


それはそうだろう。呪いの言葉をぶつけてくる相手に好意を抱き続けることは難しい。それができるとすればとんだドMだ。


「俺はね、ただ一緒にいてくれれば、言葉なんて要らなかったんだ。ただ傍にいてくれればそれでよかった。自分が一人じゃないってことを実感させてくれればそれでよかったんだ」


「一緒にいるだけでよかったんですか、本当に」


「人が人の力だけで人を変えようなんて思うのは傲慢だ。言葉は大切だけど、全ての想いを誤解も無く伝えることは難しい。だからこそ、敢えて何も語らず、傍にいてくれるだけでも人は十分に報われる、救われるんだ」


当時の桑畑課長がしたことはそんなに難しいことじゃなかったそうだ。ただ、環境を変えること。でも、大きく変えるのではなくて、今までの経験や知識が活かせる場所であること。そこで少しずつ自信を取り戻せる環境を作ることだった。だからこそ、最初はオフィスでの雑務からだったそうだし、一緒に行動して、仕事を引き継いだりして結果を積み上げていった。


時間はかかったと聞いている。それでも、その時間がこの隼さんを作り上げた。


「だからね、俺の好きな人が、俺の傍で好きなことをしてくれていればそれでいいんだ。そんな人と一緒にいたい、それだけ」


言葉は溝を埋めてくれるのかもしれない。でも、時に言葉は溝を深いものにしてしまう。だからこそ、時に言葉にはそっと蓋をして。想いを胸に傍にいる。


だけど、言葉にしなければ伝えられないこともある。


「隼さん。今こうして話をして、改めて思いました。私、ちゃんとあなたのことが好きです。趣味とか、色々引かれることもあるかもしれませんけど、それでもあなたと一緒にいられたらいいと思いました」


思い返してみれば、私は隼さんに対して、「好き」という言葉を口にしたことがなかった。想いはあった。でも、それを口にはしなかった。25にもなって、私は未だにあの日のままだった。恋愛というものについて、あの日、あの駅のホームに置き去りにしたままだったんだ。


「私も、ちゃんと話しておいたほうがいいような気がしてきました」


きちんと話そう。そして、お互いに分かり合おう。分かり合おうとする気持ちを忘れないようにしよう。



























「私、以前に彼氏がいたことは無い、と言いましたが、あれは正確ではありませんでした」


自分の汚点ではあるけれど、そこも含めてこの人には知ってもらいたい、わかってほしい。


「高校を出るときに告白されて、そこにOKを出したことがあります」


「そうなんだ。でも、それを無かったことにするあたり、いい思い出ではなさそうだね」


「ええ。最低の思い出です」


そう、最低の。


「名前は、いいですね。その後の話だけです。私は大学に、彼は自衛隊にと進路はばらばらでした。一応連絡は取り合っていたんですけど、彼のほうが訓練が忙しくて。中々連絡はつかなかったですね。私も積極的にしたわけじゃなかったんですけど」


「最低って言ってるくらいだから、その後浮気でもされたの?」


「いいえ」


浮気されたほうがまだ良かったのかもしれない。


「ゴールデンウィークに私、初めて帰省したんです。彼のほうも休暇だったそうで、でも、地元で会うこともなくて、その代わり、彼のいる駐屯地の近くの駅で会うことになったんです」


ホームで落ち合うだけだから青春18切符のお陰で何もする必要もなかった。


「そこには彼と、その同期の人たちがいたんです」


「それで?」


「彼は、私の名前を大声で言って、その人たちの前で笑い者にしてきたんです」


あのときの恥ずかしさと屈辱は今でも忘れられない。別に、自分の名前、苗字が嫌いなわけじゃない。それでも、自分自身の証たる名前を笑われるというのは屈辱だった。


「同期の人たちの中に、今の私と同じくらいの歳の人がいて、“自分の彼女を笑い者にするとか何考えてるんだ”って怒ってくれた人がいて、それで私も自分が何をされたのかはっきり自覚できたんです」


あの人には本当に助けられた。あの人がいなかったら私はかなり捻くれていたことだろう。


「そこからはビンタ一発入れて、最低、の一言を添えて別れてきました。いえ、別れるも何も、真剣じゃない私と、珍獣を自慢したい彼ではそもそも彼氏彼女ではなかったんですよ」


そのまま一瞬で消滅した関係だ。別れてその場では何度か着信があったみたいだけど、着信拒否にしていた以上、こちらが気づくことはなかったし、気付いてもかけ直したりもしない。


それくらい私にとって許せなかった。でも、今になって気付いた。


「私、それからずっと何の決着もつけず、ただ蓋をしてきただけだったんです。鍵をかけて、奥底にしまいこんで」


それに気付けたのは、


「隼さん。あなたが見つけてくれた。鍵を持ってきてくれた。開けてくれた」


あなたのおかげです。


「今このとき、漸く、私は前に進めた。そう思うんです」


「そんな大層なことをしたつもりはなかったけど、風ちゃんがそれで良かったと思えるんなら、それで良かったよ」


何だこの人、やっぱり聖人か。


「でも、そのエピソード、何故か聞き覚えがあるんだよね」


「私、誰かに話したことはないですよ」


「あ、そうだ。その諌めてくれた人、名前を覚えてないかな」


あの人か。えっとたしか……


「高松さん、だったと思います」


この名前を出した途端、隼さんの顔が綻んだ。


「ああ、やっぱり高松先輩か」


どうも知り合いみたいだけど、どういう知り合いなんだろう。多分、隼さんよりは少し年上だったろうから同級生って事はないだろう。


そもそも先輩って呼んでたし。


「高松先輩はね、昔会社にいたんだよ。俺に仕事を最初に教えてくれた人だったりするんだ。桑畑課長の同期だったよ」


「へぇ。自衛隊にいるってことは辞められたんですよね。何かあったんですか?」


この会社、給与面でも福利厚生とかの面でも待遇は悪くない。まともに勤めてれば辞める理由は早々ないはずだった。


「あの人の場合はちょっと特殊でね。昔から自衛官になるのが夢だったらしいんだけど、家族に反対されてたらしいんだ」


そういう話は結構聞く。どうにも旧日本軍の赤紙の話とか、海外で人殺しになるとかそういう話をする人は自衛隊そのものに否定的だし。そういう家族がいるとしたら反対されるのもわからないでもない。


「それが理由で、一度普通に就職して、実家を離れて、そのまま誰にも言わずに入隊試験を受けて入隊。辞めるために会社に入ったのは申し訳ないけど、それでも諦められないって言って出て行ったのをよく覚えてるよ」


話をしながら隼さんはどこか嬉しそうだった。きっと、慕っていた先輩なんだろう。そのポジションは結果的に桑畑課長が引き継いだわけになるんだろうけど、それでも、最初の教育係というのは忘れられなかったんだろうな。


私の場合、入社時期と樹さんの産休突入が見事にすれ違いで営業の皆さんに訊きつつ、樹さんの残してくれた引継ぎ資料を見ながら覚えていった口だ。あまりまともな教育環境はなかった。


まぁ、それについてはどうでもいい。樹さんの資料は完璧だったし。


「素敵な方だったんですね。私も、あそこで止めてもらえたので助かりました」


「じゃあ、今、俺達がこうしていられるのは先輩のお陰ってことでもあるね」


この瞬間、私の最低の思い出が少しだけいいものに変わった。あの日があったから今がある、そう思えば、あんな日でも少しだけ許せるような気もした。




























後書



風に例の話をしてもらうに際し、回想にするか、今回のような語りにするかは少し迷いました。結局はそれ単品で1話使ってしまいそうになるということ、それに至るまでの部分が私の1話の基準を満たしていないことを理由に語りにしました。


後悔やトラウマは誰しも抱えるものではありますが、それがどこかで少しでも救済される日が来てもいい。辛い記憶をいつまでも辛いままにしておく必要もない。そんな気持ちでこの話にしました。


因みに、高松さんは多分本編には登場しません。いつか彼を主役に一本書けたらいいとは思いますが。隼が今30なので高松さんはこの時点で32くらいと想定しています。入隊が少し遅かったとしても、年齢的にもう陸曹にはなっているはずです。ていうか、なってろ。


私の理想としては高松さんについては偵察隊に行って、演習とかでバイク乗り回してて欲しいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Pioggia セナ @w-name

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ