11.JUST FRIENDS

人が友のために命を投げ出すのはとっても尊いことだという。


私の行動がそれにどれだけ適っているのはわからない。


私は私の決意に後悔はない。


ただ、彼氏の出来たばかりの自分にいきなり同性の同居人が出来るのはどうなんだろう。













家に上げてから、杏子が言葉を失っているのがわかった。


別に汚いわけじゃない。掃除は気をつけてるし、整頓もしてる。


ただ、CDが棚を埋め尽くしているだけだ。そこに流行モノのポップスのようなものは一切ない。ジャズ、クラシック、オペラ、落語の類ばかり。


「風さん、趣味に関して男前すぎませんか」


「拘るとこうなるってだけの話。レコード置いてないだけ良心的だと思ってよ」


「…… 持ってはいるんですか」


隠すことじゃないから素直に白状するとしよう。


「実家にね。お祖父ちゃんの昔使ってたレコードプレイヤーがあったから、部品を扱ってるお店を調べて、修理して、それから蒐集に走ったかな。ジャズからのスタートで、そのうちクラシック、オペラ、昔の映画のレコード音源とか」


「もういいです」


杏子の言いたいことはわかる。所謂、女子力が低すぎる部屋だと言いたいんだろう。それに、最近、自炊した痕跡がないことも。


「どういう生活してるんですか」


「家と会社とスーパーを行き来する生活、かな」


あ、凄い渋い顔をしてる。


「明日から残業はあまり引き受けないようにします。ちゃんとしたご飯を食べましょう。作りますし、教えますし、覚えましょう」


これからは私が教わる役、か。いい先生にはなれなかったけど、いい生徒にはなろう。



























いい生徒になるとは決めたけど、いい先生になることは諦めていない。


そう、実の所、ジャズ仲間、それも同年代で同性の相手が欲しいんだ。


「今日のところはゆっくりしようか。いいのかけてあげるから」


チョイスはビル・エバンス。ある有名なアニメ映画で使われた曲が収録されたアルバムがある。というか、話の種にしやすいんだ。こういうときには彼かジョン・コルトレーンに限る。ただ、コルトレーンについては、映画が好きじゃないとちょっと通じないんだよね。


「ジャズって結構男性的って印象があるんですけど、どうなんですか」


「それについては多分間違ってないかな」


事実、お母さんは聞いていて気が急くと言ってた。落ち着かない、とも。


かたや、お父さんは聞いてて落ち着くとか、気分が乗ってくるとか。曲や編成、演者によって変わってくる。勿論、使われる楽器によっても変わる。


ジョー・パスのソロギターアルバムなんかは女性向じゃないかなんて思ってたけど、これについてもお母さんによって一蹴された。


実際、私のジャズ仲間の地元の喫茶店のマスターにも「男性目線で女性に合うと思うというチョイス」という評が下された。


案外、会社のおじ様方にも仲間になりそうな方がいるのかもしれないけど、ほぼ全員が既婚者なので、余計な誤解を招かないためにも必要以上に親密になるのは避けたい。


うちの会社、クラブ活動みたいなことしてないからなぁ。


「間違いではないけど、全部じゃないよ。じゃなきゃ、女性ファンはつかないよ」


そんなわけでかけてみる。夜だから音量は控えめ。さっきまでお茶してたから何か飲もうという気分じゃないけど、少しだけお酒を入れたい気分でもある。


「少しだけ飲まない?」


「明日に響かない程度なら」


2人で飲むんなら休み前にしか空けないスパークリングワイン1本とかいけそうかな。おつまみは、冷蔵庫に何かあったかな。


「チーズは大丈夫?」


「大丈夫です」


6Pチーズが手付かずだったのがある。ワイングラスは1人分しかないから、もう片方はガラスコップ。ただの1人暮らしの部屋だし、ワンルームだし、物は無いで締まらないけど、これから始まる新しい日々がいい日々であることを願って。


「乾杯」


「乾杯」


甘い、殆どジュース感覚で飲めてしまうものだからこそ、1人で飲むのは休み前だと決めていた。だけど、2人ならそこまで心配は要らないかな。


「これ飲みやすいですね」


「でしょ。でも、1回で空けないと炭酸が抜けちゃうんだよね。その所為で普段はあまり飲めないのよ」


実の所度数はそんなに低くない。


「風さん、普段からこんなの飲んでるんですか」


「そうでもないよ。お酒はそんなに入れないことのほうが多いよ。店で飲むようなこともあまりないし、実の所外食もそんなにしないんだよね」


代わりにお惣菜のお世話になることが多いだけで。それもあまり褒められたことではないけれど。


自炊も一時はしてたんだけど、なんというか、可もなく不可もなくという代物ですぐに飽きが来るというか、だれるのよね。


「風さんって自炊はしないんですか」


「全くしないわけじゃないんだけど、続かないの。暫くすると飽きたり、だれたりして」


そう言うと杏子は少し考え込んだ後、言った。


「レパートリーが少なくて、わかりきった結論しか出ないんじゃないですか。決まりきった味というか」


言われて納得した。


ああ、私に足りないものってそういうことだったのか。やる気がないわけじゃないけど、続かないのはある種のご褒美のようなものがないからなんだ。


「なので、まずは作れるものを少しだけグレードアップする方向性で行きましょう。基準は私の味付けになるので、一度作った後は自分なりに変えていってもらえばいいと思います。ただし、薄味で」


「ああ、それはわかるよ」


忍さんの所でそのあたりは重々。


「気をつけなくちゃいけないのは塩分なんですけど、逆に言えば、塩分以外で味を整えればいいんです」


塩以外って何だろう。私の場合、醤油やソースなんか使いそうなんだけど。


「スパイスとかですね。好みは分かれますけど、使いやすいのは生姜ですね。ニンニクみたいに後々で臭いに困るということもあまりないので」


生姜か。あまり考えたことなかったな。


「おろしたものも売ってますから使いやすいと思いますよ。胡椒も、塩胡椒じゃなくて胡椒だけのものを買えば塩も入っていませんし、色々出来ると思います」


「凄いね。スパイスって、意識高い人が自慢げに使ってるイメージしかなかったよ」


「何気に酷いこと言ってますね。食品会社の社員としてそれでいいのかって気もしますけど」


たった今自信がなくなってきたところ。


「スパイスは先人の知恵の賜物ですよ。小難しく考えることもないです」


何となく、飲みながらする話じゃないなとか思いながらも夜は更けていった。


もう少しくらい、色気のある話は出来ないのか、私たちは。私なんて彼氏できたばかりだよ? それでこの体たらく。


とはいえ、杏子は他人の傍迷惑がすぎる恋路に付き合って破滅しそうになった身。暫くそういう話は聞きたくないのかもしれないね。



























朝。


我ながらひどいと思うけど、いつも卵かけご飯で終わる。おかずはない。


「風さん、いつもこんなのなんですか」


「ごめん」


流石に謝るしかない。人に一緒に暮らそうと言っておいて、いきなりこのざまなんだから。


「今日の帰り、一緒に買い物に行きましょう。朝に時間がなくても用意できるようにしましょう。ついでにお弁当も作りましょう」


いきなりハードルが上がったような気がするんだけど。


「別に女子力高いお弁当をいきなり作れなんて言いません。目標として設定するのはいいかもしれませんけど、今は最低限必要なメニュー構成と、誰かに見られても恥ずかしくない程度を目指しましょう」


昨日からずっとこんな調子。一体、どっちが励まされているのやら。


「風さんの最終目標は松戸さんに食べさせることに恥ずかしさを覚える必要のないレベルに到達することです。あと、もう少しくらい部屋に女子っぽさを出しましょう」


「そこに返るのね」


「趣味まで否定しません。それに、風さんも可愛らしいアイテムとか嫌いじゃないでしょう」


「嫌いじゃないし、好きな方だけど、今までの優先順位は音楽だったから」


家族からも言われるのが、整頓された男の部屋、だった。女としてそれはどうなんだろう、と思わなくもない。でも、ファンシーな実用性のないアイテムにお金を使うより、実際に聴ける音楽にお金をつぎ込んだほうが有意義だと思ってしまうのが私なんだ。


「まあ、それはそれとして、流石にこのメニューは寂しすぎます。ちょっと冷蔵庫とか調味料を見せてください」


杏子は言って、冷蔵庫と調味料が納まった棚を物色し始めた。


「お豆腐とお醤油と、顆粒だしがありますね。簡単なお吸い物ならすぐに出来ますね。ちょっと待っててください。あ、ご飯はまだ食べてないですよね? マナーとしてはどうかと思いますけど、炊飯器に戻しておいて下さい。冷めます」


さっき言われたものと塩を取り出した杏子は慣れた手つきで豆腐を切りながらお湯を沸かしていた。鍋は二つ。


「杏子、何で鍋が2つもいるの。吸い物だけでしょ」


言った瞬間、杏子のまとう空気が一変した。


「吸い物に冷奴ぶち込む人がどこにいるんですか。気が変わりました。風さん、今すぐにやりましょう。練習です」


どうやら私は非常にまずいことを言ったようだ。


「豆腐は食べやすいサイズ、お味噌汁でイメージするサイズに切ります。ごめんなさい、それじゃ小さいです。もう少し大きくていいです」


包丁を握らされ、豆腐を切ることに。


因みに、私の冷蔵庫に豆腐が入っていた理由を杏子に知られるとまた煩くなると思う。何せ、醤油をかければそのまま食べられるから、という実に消極的な理由からなのだから。


「計量カップはまた買いに行きましょう。今はこのペットボトルで代用します。これ1本でも2人分には少し多いくらいなので、ちょっと加減します。


 だしも、全部は多いので、半分くらいでいいです。お醤油も塩もちょっとだけです。一つまみなんていってもわからないですよね」


はい、わかりません。


「豆腐もだしで茹でたりしてちょっと味をつけるといいんですけど、今日はスルーします。これくらいでいいです。豆腐は笊に揚げて水を切ってください」


「箸で適当につまんで入れちゃだめなの?」


「豆腐の水分で吸い物が薄くなります」


面倒だな、と思いながらも笊に揚げる。


「吸い物のほうも湧きました。水気を切った豆腐は汁椀に入れて、そこに吸い物を丁寧に注いでください。勢いよくやると豆腐が崩れます」


料亭じゃあるまいし。


「普段から気をつけてやらないと、ズボラ飯しか作らなくなっちゃいますよ」


はい。気をつけます。


「さ、随分時間を使ってしまいました。早く食べて仕事に行きましょう」


私の家なのに私以外の人が仕切ってる……



























美味しかったんだけど、顆粒だしについての話を杏子に知られたのは拙かった。


そもそも、何であんなものが我が家にあったのかというと、会社の試供品なのだ。そして、私はあれをお湯に溶かすだけで吸い物のようなものが出来ると思い込んでしまったのだ。当然、出来上がったものは少しばかり昆布の風味のする出し汁だったわけで。当時の私は商品が悪い、と思い込んでそのまま棚の奥に仕舞い込んでいたのだ。


そして、それが杏子にばっちりばれた。


「風さん、なんでそんなに料理の知識がないのに食品会社なんて受けたんですか」


「その辺の話は多分長くなるから帰りにでもね。あ、あそこ、あの自転車の人、桑畑さんだよ」


めんどくさいことは後回し。取り敢えず、仕事に行かなきゃいけない。で、その前に私の出勤時に必ず見られる景色になった樹さんの出勤。最近はバギーを背負ってるようなことはないけど、後ろに子ども椅子のついたクロスバイクで爆走している姿は相変わらずパワフルだった。


「話を聞いたときには半信半疑でしたけど、本当なんですね」


あんな人が田上ごときに負けるわけがない。あの人は強い。


「あーあ。私もちゃんと話を聞いておけばよかったです」


「後悔してる?」


「してます」


苦い顔をしてる。


「でも、この後悔も、この痛みも、全部私が背負い込んだものですから」


この子も強い。こうやって悪いことも認められるのは、強い。私には中々出来ないことでもある。


だからせめて、この子の背中くらいは押してあげたい。折角出来た友達なんだから。



























後書



風さん、女子力ゼロ問題発生。


彼女の部屋、内容がジャズのCDというだけで、実質的にはオタク部屋です。趣味のものが溢れる部屋ですから。


勿論、ジャズ関連の雑誌は定期購読しています。


趣味に全振りした所為で、女子力は低下しています。そこにつぎ込むべき時間とお金は全てジャズに還元されています。


聴く方に特化し、今でも音源収集に没頭しているため、自分で演奏しようという方向には発展していません。あくまで消費者としてのオタクです。


こいつ、よく彼死できたな……


編集後記:彼死、誤字なのですが、面白かったのでそのままにしてます。

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