Chapter 39:療養期間
《…セロトニン分泌量増加、脳波の変化を確認。
起床モードに移行します》
聞き慣れたリュシオンの声がする。
まだ閉じている瞼越しに点灯した室内灯の明るさを感じた。
おかしいな。
俺、いつの間に寝てたんだっけ…。
体を上下から包み込んでくれているベッドの温もりを感じながら薄っすらを瞼を持ち上げた。
《おはようございます、マスター》
「おはよう…。
俺、いつベッドに入ったんだっけ?」
データクリスタルを使ってポンタを創り出して、それから…?
《マスターの意識がブラックアウトしたので、仕方なく強制ログアウト処理しました》
リュシオンは呆れた様な顔をしつつも、俺に説教しようとする姿勢はとらなかった。
だが。
強制ログアウト?
嘘だろ?
「ポンタは!?う゛っ…」
掛布団を跳ね上げて飛び起きようとした途端にひどい頭痛がしてバランスを崩し、俺はベッドに再び沈み込んだ。
左右のこめかみがズキズキと痛み、後頭部は気怠くなりそうなほど重く感じる。
手足には上手く力が伝わらず、意識はぼんやり霞みがかっている。
《安静にしてください。
脳を使い過ぎたせいで腫れあがっています。
今日はゲームも編集も禁止です。
ゆっくり休んでください》
「脳が腫れてる?
どうして…」
枕に頭をのせて横になると幾分か頭痛がマシになる。
リュシオンに言われずともこれでは確かに何もできないだろう。
だが、どうしてそんなことになっているのか。
それと腕に抱いていたはずのポンタがどうなったのか、確認しなければ落ち着かない。
《マスターがデータクリスタルを使用した後、丸二日間かけて許容データ領域の約数十倍のデータ量の書き込みを検知しました。
その間、一睡もしないどころか同じ姿勢のまま微動だにもしなかったので、当然の結果でしょう》
リュシオンの言っている言葉の意味を1つ1つ理解するのにとても時間がかかるし、億劫に感じてしまう。
これも脳が腫れているせいなんだろうか。
「二日間?
嘘だろ。
体感的には1時間もなかったのに」
《それはあくまでもマスターの主観です。
信じられないというのであればカレンダーをお見せしますよ?
それともマスターにはアップロード済みの3DVを観せたほうが早いですか?
とにかく、これでいい加減に懲りて下さいね》
俺がすぐに信じなかったのが気に食わなかったのか、リュシオンは嫌味たっぷりめに俺の問いかけに答えた。
残念ながら今の俺の脳内環境ではそれをいつものようにするっと理解することはできないのだけど。
「ポンタはどうなった?」
もう瞼を持ち上げているのも億劫なんだけど、それだけはどうしても確認しておきたい。
《マスターの作成したアイテムですか?
それはわかりません。
要求ワードを口にしてから1ミリも動かないまま静止して、そのまま意識がブラックアウトして強制ログアウトになったので。
成功していれば次回ログインの際に取り出すことができるでしょう。
もし失敗でもしていたら、貴重なアイテムだっただけに炎上ものでしょうけど》
“炎上”というカクタスのイメージから遠くかけ離れた単語を使ってリュシオンが脅してくる。
だがもし失敗していたら確かに3DVのコメント欄やゲーム掲示板が荒れるであろうことは容易に想像できた。
いや、きっとそれ以上に失敗していたら俺自身への精神的ダメージが多すぎる。
ちゃんと抱き締めた感触がまだ腕に残っている気さえするのに、ポンタまであの風景と同じように消えてしまったんだとしたら当分立ち直れない。
「ちゃんと完了の要求ワードまで言ったのに失敗したなら欠陥品だ。
でも、やっぱりゲーム画面内では微動だにしてなかったのか。
撮影は失敗だな」
《作成風景の撮影には、です。
少なくともアイテムを使用してみたという内容の3DVはカット編集すればアップロードできます》
俺としては実際の作業風景を記録として残しておきたかったのだが、確かにそれがなくても十分に貴重な3DVが作れるかもしれない。
丸二日間のほとんどをざっくりカットしてしまって画面を暗転させ、完成品を紹介するという形にすれば3DVは1本作れるだろう。
姿の見えないリュシオンに向かってポンタがカメラ目線になれるのかどうかは心配だが、あの愛くるしい姿と動きがあれば十分に視聴者の目をくぎ付けにできるだろうし。
「なぁ、やっぱりちょっとだけログイン」
《ダメです。
脳の腫れが引くまで眠ってください》
言いかけていた俺の言葉に被せるようにしてリュシオンは俺の望みを一刀両断する。
目の前がパッと暗くなって、照明器具の電源をオフになれたのだと一瞬遅れて理解した。
どうやら俺が食い下がらないよう先回りして実力行使したらしい。
「ケチ…」
《復帰明けの3DV編集はお一人でやるんですね。
わかりました。
予定していたよりだいぶ復帰までに時間がかかりそうですから、さぞやり甲斐があるでしょう》
ボソッと呟いただけだったのに、リュシオンはスルーしてくれなかった。
それどころか無理難題をふっかけてくる。
そんなの、絶対に無理だってわかってるくせに。
「そんなこと言ってないだろー!
大声出させるなよ。
頭ガンガンするー…」
《自業自得です》
大声を出して否定してみたものの、酷い二日酔いの時のように頭がグラグラする。
そんな俺にリュシオンは暗闇から呆れた様なトーンで言い返してきた。
理解はしていても改めて指摘されるとそれはそれで腹が立つ。
「早くポンタに会いたい…」
俺にとっての最高の癒し要員。
ポンタならすぐにみんなのアイドルにもなれるだろう。
《でしたらさっさと寝て、回復してください。
あまり長期間になると3DVのストックが無くなってしまいますよ》
リュシオンがさっさと寝ろと煩いので俺も瞼を閉じる。
目を使わなくなったことで鈍痛にも似た重さがまた少し軽くなった。
「そういえばさ、データクリスタルを使ってる最中に知らない人が入ってきたんだ。
俺がイメージした世界には存在しないはずの、俺の知らない人。
未来の…現代の人みたいな黒いボディスーツを着ててさ。
あれ、誰だったんだろ…」
瞼を下ろすと脳が披露しているからか、すぐに眠気がやってくる。
それに耐えながら俺は不思議だった出来事を思い出してリュシオンに尋ねてみた。
データクリスタルのプログラムデータを一通り見てきたリュシオンなら何か知っているんじゃないかと思って。
「それは“バグ”です。
たまにあるんですよ。
マスターが気にすることではありません」
ハグだと説明されると、確かにそういう感じだったかもしれないと納得する。
姿も声も、なんだかおかしかった。
全体的にノイズが走ってるっていうか、そこにいるはずなのにいないようでもあるような、不思議な存在。
インディーズゲームやパソコンソフトにもあったようなバグと似たようなものだろうか。
それとも…
《マスター、早く眠ってください。
でないと回復が遅れますよ》
「うるさいな。
寝ようと、思っているし…」
寝入りばな、つらつらと考えているところに横槍を入れられて寝入りかけていた意識が中途半端に引き戻される。
しかもそんなリュシオンの言うことが“早く眠れ”だ。
妨げたのはリュシオンじゃないかと文句を言いたかったが、もう言い返す元気もなく意識が眠りに引き込まれていった。
それから数日間、俺は眠り続けた。
もともと食事やトイレが必要がない環境なので、本当にただひたすらに眠り続けた。
最初は起き上がることすら辛くてできなかったけどただひたすら休息に徹した結果、脳の腫れが引いたようだ。
30分だけでいいからゲームにログインさせてくれとリュシオンに頼んでみたのだが、“それより減ったストック分を補充してください”と3DV編集画面を開かれた。
アイテム作成準備から療養まで、思いがけず長期間になってしまったので確かに貯めておいた3DVストックの残数も少なくなっていたので仕方ない。
あらかじめ告知していた日時を過ぎても俺がゲームにログインしないので、3DVにはそれを心配するありがたいコメントがいくつも書き込まれていた。
リュシオンには“今作れる分の3DV編集を全て終わったらログインさせてあげます”と宣言されてしまった。
仕方ないのもわかるけど、そう言われると意地でも早く仕上げてポンタに会いたくなってしまう。
とはいえ、準備期間に作れる分の3DVは作り終えてしまっていたのでそれを視聴しての最終チェックとデータクリスタルの3DV編集だけだ。
療養からのリハビリとしては丁度良かったのかもしれない。
データクリスタルを使用している時の録画内容はリュシオンが言っていた通りだった。
水晶玉を手にした俺が要求ワードを口にしたまま延々と静止し続ける。
本当にピクリとも動かないので一時停止でもしたかと思ったが、市場を歩くプレイヤー達の気配が増えたり減ったりしていたのでそういうわけではなかった。
言葉の綾ではなく、撮影中の俺はピクリとも動かない。
撮影事故かと思えるくらい、本当に動かない。
最初こそ等倍速で再生していたのだが、その内2倍速にし、4倍速にし、最終的に10倍速で流しつつ飛ばし飛ばしで確認することになった。
それでも本当に彫刻かと思うくらい動かない。
やがて突然画面が暗転したので少しだけ撮影データを巻き戻して、等倍速に戻して再生し直した。
するとそれまで1ミリも動く気配がなかった俺の体が支えていた糸をぷっつりと失ったように椅子から転がり落ちた。
ゲームだと分かっていても、あまりにも痛そうな角度で頭を打ち付けていたので思わず顔が歪んでしまった。
俺の名前を繰り返し呼ぶリュシオンの声が聞こえてくるが、撮影中のカクタスのアバターは床に倒れ込んだまま動かない。
それどころか体が半透明に透けていく。
“血流量さらに増加、昏睡状態から意識が戻りません。強制ログアウト処理します”とリュシオンの落ち着いた声が聞こえ撮影データはそこで途切れた。
この撮影データをどこまで使うかが問題だ。
データクリスタルを使用した直後でカット処理してしまって字幕だけでシーン展開をするのが一番スマートだろう。
だが脳の腫れがおさまるまであらかじめ予告していた期間をオーバーしてしまったので、ただ単に時間だけ字幕で表記してシーン転換するわけにもいかない。
かといって椅子から転げ落ちる様を3DVにしても、それはそれでコメント欄が荒れそうな気がする。
俺自身が観てもあまり気持ちのいい映像ではないので、さすがにそのまま使うことはできないだろう。
「俺が倒れて消えかかってもリュシオンは冷静沈着だよな。
もうちょっと慌ててもいいのに」
もうお説教タイムはこりごりなので本気で慌ててほしいわけではなかったが、それでも雑用でもするように処理されるとそれはそれで複雑だ。
《学習できないマスターとは基本スペックが違いますから》
リュシオンは撮影データと同じ冷静な声で俺に言い返してきた。
ちょっとつついてみただけのつもりだったのに、水入りのバケツをひっかけられたような気分だ。
言い返せない。
言い返せないが、なんかちょっと悔しい。
「じゃあ初回は慌てたってこと?」
《見返したいのであれば撮影データを視聴しますか?
その分、ゲームにログインするのも遅くなりますが》
「いや、いい…」
もちろんのこと、あの大盛況状態は3DV化している。
その時に俺自身も一度撮影データを確認したはずだが、そんなシーンはなかった。
慌てていたリュシオンの言動を見た記憶がないのだ。
俺が倒れたと同時に撮影データが途切れていたのかもしれない。
それをまた何時間もかけてわざわざ確認しようとは、さすがに思えない。
リュシオンに言い返す材料を探しても、喧嘩になるだけだ。
それよりも早くポンタに会いたい…。
俺はそれだけを考えつつ3DV編集に集中するのだった。
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