Chapter 38:クロス・ファンタジー実況 アイテム創造 後編
深く息を吐き出して脳内でイメージを構築していく。
俺の実家は商店が増えてきつつもまだ周囲に田んぼも多かった、そんなのんびりした地域にある。
一番近所にあるコンビニさえ微妙に遠くて、買い物しに行くには歩きじゃなく自転車だった。
けれど愛犬の散歩も兼ねればそこまで苦ではなく、俺は川沿いの土手をのんびり歩いてコンビニに向かったものだった。
愛犬の名前は“ポンタ”。
命名は近所で一人暮らしをしていたお爺さん。
もともと迷い犬だったのを保護したらしく、老人ホームに入るからというので譲り受けた仔犬だった。
命名の理由は仔狸に似ていたから、らしい。
その言葉通り、ポンタはうちに引き取られてからも元気よく走り回った。
茶色い毛並みの豆柴で、人懐っこくて表情がコロコロ変わる我が家のアイドルだった。
難があったすれば、人懐っこすぎた点だろうか。
家族の誰かを見つければお構いなしに突進してくるので怪我をすることもあったし、足元にまとわりついて勉強や家事の邪魔になることもあった。
散歩をすれば人にも犬にも見境なく寄っていくので、警戒心が強い犬や飼い主をとらえるのではと心配した犬に吠えられることも多かった。
それでもめげずに寄っていくので小柄な体格に反して神経は図太いほうだったのだろう。
傍にいてくれたら、きっともっと楽しくなる。
風が頬を撫でる。
川のせせらぎと遠くの線路を走る車や電車の音が聞こえてくる。
近くの公園ではしゃぐ子供声と川沿いに建つマンションのどこかの部屋から香ばしい夕食の香りが漂ってくる。
あぁ、もしかしてこれは…そこまで再現してるのか…?
瞼を持ち上げてみたい。
実家の傍にあるあの風景が今そこに広がっているような気がして。
けれど、同時に怖くもある。
そこまで風景に集中していたわけではないから、目を開けてしまったら幻のように消えてしまうような気もして。
「ワンッ!」
そんな俺の不安を掻き消すように高く元気な鳴き声が聞こえたと思ったら足の
「いっ…!」
久しぶりの衝撃。
思わず目を開けると元気な茶色い毛玉が俺の足元を元気に走り回っていた。
「あはは。
そんなに走り回っているとまた転ぶぞ」
放置しているとリードが脚に巻き付いて身動きがとれなくなってしまうので、急いで抱き上げる。
茶色い毛並みのポンタはそれを待っていたように俺に素直に抱き上げられる。
二つの幼い愛らしい目が俺を見上げてきて、千切れんばかりに尻尾を振っている。
「おまえ、いくつの時のポンタだ?
引き取って間がない頃からなぁ?」
抱っこして頭を撫でようとするとすかさず首を伸ばしてきて顔を舐められた。
くすぐったくて、懐かしくて、俺は声をたてて笑っていた。
俺がギリギリ小学生の頃に引き取ったポンタは、今や立派な老犬だ。
散歩のときにリードをぐいぐい引っ張っていたポンタだが、今や一日中ずっと日向ぼっこをしていることが増えた。
だが俺が抱いているポンタはまだまだ仔犬のように体も小さく、そんなに重くない。
そもそも顔立ちからして成犬ではなく仔犬の顔つきをしている。
大学進学を機に実家を離れて暮らしてきたので、なんだかんだ一緒に散歩した頃のぽんたの印象の方が強いらしい。
「一緒に来るか?
マップが広いから、散歩コースには困らないぞ」
「ワンッ」
ポンタは期待するような眼差しで俺を見上げて元気に返事をしてきた。
俺の言っている言葉の意味を理解しているのかどうかは分からない。
いや、もしかしたら理解しているのかもしれない。
なにせ俺が望んで詳細にイメージしているものだから。
それに、そもそもポンタは人一倍寂しがりだった。
眠る前にケージに入るのが嫌でよく脱走しては誰かのベッドに潜り込もうとしていた。
そんなポンタだからこそ、俺の誘いにのってくれたのかもしれない。
「ありがとう、ポンタ」
俺は温かくて柔らかくい毛並みを撫でながら深く深呼吸した。
周囲に目をやってみると、そこには思い出の中にある風景がそのまま存在していた。
今となっては遠く懐かしい世界。
ぐっと目頭が熱くなって、喉元まで感情が込み上がる。
“帰りたい”
たった五文字のシンプルな言葉だったが、それを口にするのはどうしても憚られた。
言ってしまったら気持ちを抑えきれなくなってしまいそうな気がして。
今想像もしていなかったような世界に連れてこられて、遊んでいるゲームが楽しいという気持ちも嘘ではない。
だが、俺にとっての
ゲームのように全てが楽しい思い出ばかりだったわけではない。
苦い経験も辛かった過去もある。
でもその痛みも含めて全てが懐かしい。
今この道を歩いて家に向かえば、変わらず両親が迎えてくれるのかもしれない。
でも仮に触れることができたとしても、幻だ。
俺自身が創り出した幻だ。
会えば、きっともっと離れるのが辛くなるだろう。
再現した風景がここで良かった…。
もし実家だったら、きっと会わずにはいられなかっただろう。
そしてもっと辛い気持ちになったはずだ。
俺は腕の中で俺の鼓動より少し速いスピードで脈打っている小さな体を苦しくないように抱きすくめた。
懐かしいポンタの匂いがして、さっきよりもっとたっぷり顔を舐められた。
俺が落ち込むといつもそうしてくれたように。
「あはは、くすぐったいよ」
ポンタの舌先から顔を離そうとしたら、ぽろりと流れたものが頬を濡らした。
けれどそれも“あっ”と思った瞬間にはもうポンタに舐めとられていた。
この風景の中から連れ出すのは、ポンタだけで十分だ。
俺はポンタの毛並みを撫でながら改めて周囲の風景を目に焼き付ける。
俺の記憶がベースになっているとはいえ、目の前の風景はそうと知らなければ本物と勘違いしてしまいそうなくらい違和感がない。
だからこそ目に焼き付けておきたかった。
この風景をもう一度本物の目で見るためなら、きっと頑張れる。
いや、頑張ろう。
そう自分を鼓舞した。
「不思議な風景だね」
不意に背後から声がしてビクッと肩が震えた。
まさか俺に話しかけてくる人がいるとは思わなかったから。
「え…?」
振り返ると、そこに立っていたのは俺の見覚えがない人物だった。
顔を背丈も大人しそうな青年のものなのだが、なんというか目に力がない。
寝ぼけているというか、まだ夢の中を漂っているという風な顔をしている。
それに何より、着ている服が変だ。
全身を覆う黒いボディスーツ。
ほんのり光る蛍光色ラインのその出で立ちは俺の記憶の中にあるものではない。
俺が暮らしていた過去ではなく、5000年後の未来にいそうな服装をしている。
だが残念ながら顔に見覚えがないので、俺が出会った誰かというのでもないだろう。
「どうして…」
ここは俺の記憶が創り出した空間なのではなかったのか?
出会ったこともない未来人がどうしてここに…。
「“どうして”?
不思議なことを言うね。
君は僕の夢の住人なのに」
「…っ!?」
俺は思わずポンタを抱いたまま数歩後ずさってしまった。
言われた言葉がショックだったわけではない。
目の前の彼が言葉を発する度に彼自身の体の一部が不規則に乱れたのだ。
まるでそこだけモノクロカラーの砂嵐を起こしたように。
そしてそれに呼応するように声にもノイズが走ってうまく聞き取れなかった。
「あなた、誰ですか…?」
「僕、ハ…」
俺の問いに不思議そうな顔をして答えようとした彼だったが、ふっとその姿は不自然に掻き消えた。
声も途中でわざとチューニングを狂わせたボイスチェンジャーを通したかのようなおかしな具合になり、その姿が消滅すると同時に声もぷっつりと途絶える。
無性に胸がざわついた。
ここに長居してはいけないような気がする。
これは理屈じゃなく、本能でそう感じ取った。
「行こう、ポンタ」
「ワンッ」
腕の中のポンタに視線をやると変わらず元気な返事が返ってきた。
いつものポンタだ。
その姿を目にするとふっと一瞬だけ安堵して、口元に笑みが浮かんだ。
「要求ワード、“
ギュインと目の前の風景が音もなく歪んだ。
風景全体が俺達を残してまるで圧縮されていくみたいに小さくなっていく。
やがて目に見えないサイズまで風景が縮んでいくのを、腕の中に確かな温もりを感じながらじっと見守っていた。
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