Chapter 19:クロス・ファンタジー実況 旅立ち編



「うわ…っ」


 神殿で神様から“自由に思うまま生きていいよ。でも他のプレイヤーに迷惑をかけたら怒っちゃうよ(意訳)”という有難い言葉をもらった後で俺が転送されたのは、小高い丘の上だった。


 丘の向こうには緑の草原が広がっている。


 遠くに立派な外壁に囲まれた巨大な街も見えるし、それとは違う方向にある森には鹿の角をもつ魔物らしき生き物がいて池の水を舐めている。


 どこからか小鳥のさえずりが聞こえ、遠くの草の間からは茶色い毛並みのウサギが顔を覗かせてこちらの様子を伺っている。


 悪戯な突風が吹いて髪を弄っていく、その冷たさもリアルだ。


 限りなく現実リアルに近づけたおとぎ話の世界。


「すごい…。本当にすごい…!」


 それ以外に言葉なんて出てこなかった。


 とにかくアバターと同化したことによる五感で感じとれる世界のスケールとクオリティが違うのだ。


 肩に担いでいる最低限の水と食料と小銭が詰まった“初心者パック”の感触や重さが非常にリアルなのだ。


 付近は俺と同じように様々な種族を選択したのであろう他のプレイヤー達で賑わっている。


 さすが期待の新作ゲームだ。


 プレイヤー達の目の輝き方が違う。


 俺は深呼吸して青空を見上げる。



 さて、まずは何から始めようか…。



 俺が神殿で選択した種族はエルフ。


 もともとゲーム公式サイトを見た段階で暫定的にではあったが選んでいはいたので初志貫徹した形となった。


 初志貫徹と言えば聞こえはいいが、時間…もといリュシオンにせっつかれてそれ以上迷うことができずに口走ってしまった結果だ。


 リュシオンが1時間を超えた時点で、それ以降はただの1秒も待ってくれなかったからだ。



 エルフがダメだったわけじゃないけど、あともう少しくらい悩ませてほしかった。


 あれだけずらっと並んでいたら魔族だってまだちゃんと読み込みたかったし、亜人種の種族特性も確認したかったのに…。



 “1時間もかけて選べないなら、いっそランダムで決定します”と宣言されたので思わずエルフでいいと叫んでしまった形だ。


 リュシオンにはもう少しロマンを理解してほしい。


 黒歴史とはいえ、その姿を俺が生み出すのにどれだけの情熱と時間とを消費したのか知らないのだろう。



 とはいえ、選んでしまったものは仕方ない。


 エルフならエルフなりの遊び方があるはずだ。


 エルフの種族特性は聴力、俊敏性、森の動植物に関する知識だ。


 選択する職業が弓に関わったり、あるいは弓を装備した場合は知識や技能に補正値がつく。


 同じように魔法を扱う職業だったり、習得した魔法を使うようなことがあれば、その時にも知識や技能に補正がかかる。


 種族特性と言ってもそこまで極端な数値補正がついているわけでなく、多種族でも努力さえしていれば余裕で追い抜ける程度だ。


 ただ基本的にどの数値も低い序盤だからこそ恩恵を感じられる程度、といった感じだ。


 様々な名作を生んできたゲーム会社ならではの絶妙な塩梅なのだろう。


「そこのエルフの方、失礼ですがご職業はお決まりですか?

 必要であればギルドをご紹介しますよ」


「あっ、すみませんっ。

 まだそこまでは決めてなくて…」


 背中から声をかけられて慌てて振り返ると柔和な笑みを浮かべた女性が微笑んでいた。


 栗色の髪を後ろで一つに結び、スカーフを首に巻いたワンピース姿の女性だ。


 エルフの種族特性によるステータス補正のおかげか女性の柔和な声がより綺麗に聞こえる。


 慌てて苦笑いを浮かべながら詫びの言葉を口にする俺の前にウィンドウが表示される。


 思わず固まってウィンドウと女性を交互に見るが、女性は俺に笑いかけたまま動かない。


 揶揄ではなく本当にピクリとも動かない。


 動かないどころか暫く待ってみても瞬きすらしない。


 まるでよくできた彫刻のように。


《NPCですよ》


 脳内で笑い声を堪えて少しだけ失敗したような微かに震えるリュシオンの声が響く。



 えぬぴーしー?


 N…P…C…?


 NPC…



「そっ、そうですよね!

 そうだと思ったんですよ!

 あはははは!」


 普段の倍は大きな声を出しながら笑って恥ずかしさを誤魔化す。


 が、顔が熱い。



 この人がただのNPCとか、さすがにクオリティ高すぎませんかねぇ!?


「職業ね!何にしようかな!

 いやぁ迷っちゃうなぁっ!」


 ウィンドウにずらりと並んだ職業一覧をよく見もせずにスクロールする。


 だが勢いよく流れていく文字列はどれだけ流していこうとも止まらない。


 一体どれだけ選択肢があるというのか。



「リュシオン、あのさ」


《30分です。

 それ以上は待ちません》


 リュシオンの鬼ぃっ!!





「おっ、また新しい植物を発見しました。

 これはどんな薬効があるのかな?」


 弓を背負い森に入って数分、一歩踏み出すごとにそこら中に植物系のアイテムを発見することができる。


 なにせエルフの種族特性として森の動植物についての知識が最初から備わっている。


 具体的には森に生息している動植物を手にするとその採取アイテムについての知識が小ウィンドウに表示されるというシステムだ。


 森に生息していることという制約はあるものの、その範疇に入るアイテムであれば素材の説明文に主な生息地やレアリティが表示される。


 今も地面から抜き取った植物をじっと見つめると視界の端に小さなウィンドウが表示され“毒消し効果のある薬草”との説明がつく。


「これは毒消しの効果がある薬草みたいですね。

 自分ですり潰して使ってもいいですし、薬師のところに持っていったらこれも買い取ってもらえそうです」


 とれたての薬草を薬学スキルもない人間がすり潰すだけなのでどこまで薬効があるかはわからないが、ないよりマシだろう。


 こんな状態なものだから、森がまさに緑色の宝石箱に見えてしまう。


 特に収集癖のあるコレクターというわけではなかったが、視界に入るものどれもこれもどんな成分を有しているのかどうしても気になってしまう。



 …狩人の職を選んだつもりが、これじゃ森専門の収集家だな。



 本筋から離れているというのは頭の片隅で理解している。


 ただ噛んでいれば徐々にHPを回復してくれるハーブとか眠気覚ましの効果がある木の実とかを発見してしまうと、“狩人としても役に立つものだから。いつか必要になるものだから”とつい手を伸ばしてしまう。


 貧乏性だろうか。



 いやいやいや!


 獲物が見つからないだけだから!


 狩猟する気はあるから!



 森に入ってから今までの撮影データが全カットになる可能性は高い。


 なにせ3DV的な取れ高がゼロだという自覚はある。


 しかし、それはそれだ。


 森の動物は慎重で臆病だ。


 闇雲に探してもそう簡単に見つかるものでは…



 ガサガサガサッ



「おっ、イノシシ!?」


 茂みの向こうに茶色い毛むくじゃらの塊が見える。


 だいぶ鼻息を荒くしながらこちらの様子を窺っているようだ。


 採集している間に彼らの縄張りに入ってしまったということだろうか?


 5000年後のゲームに登場するモンスターのAIがどれくらいのクオリティかまったく予備知識がないことが余計に俺を焦らせた。 



 取れ高!?


 いや、まずは心の準備が…っ!



 慌てて弓を体に括りつけている縄紐に手をかけるが焦っているせいかうまく外せない。


 弓矢が詰まっている筒に引っかかっているのか、背中でガシャガシャと音をたてるだけで弓本体を背中からとることができない。


 一方で茂みの向こうの気配は地面をガリガリと削るような音をたてている。



 くっそ!


 真面目にヤバいんだって!



 じれったくなって弓を体に括りつけている縄紐を掴み腰に巻き付けていた革のベルトに収めていたサバイバルナイフを抜き取る。


 その刃を縄紐にあてがい懸命に左右に動かす。


 細いくせに編まれた縄は意外にも頑丈なのかすぐには切れてくれない。


 それがようやく切れたところで間髪空けずに茂みの中から丸々とした毛むくじゃらの塊が突っ込んできた!


「ちょっとたんまーッ!」


 叫んだが全速力で突っ込んでくる塊は止まらない。


 俺は咄嗟にサバイバルナイフを掴んでいる手を突き出したが、それごとあっさりと突進してくる巨体に吹き飛ばされる。



「ぐえっ…!」



 潰されたカエルのような声が喉から飛び出した。


 が、そんなの気にも留めていられないくらいの衝撃が背中から全身に伝わった。


 一瞬呼吸ができなくなって、頭が真っ白になる。


 自分の身に何が起きたのか、理解するギリギリで意識がホワイトアウトした。



 こんなんで全ロストとか、嘘、だろ…



 …………。


 ………。


 ……。


 …。




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