Chapter 12:ピクニック(前編)



「……」


 瞼を持ち上げると見慣れてきた暗闇が見える。


 どうやら数か月前のことをダイジェストなスピードで夢に見ていたらしい、と理解する。


 半年前の出来事なのにひどく遠く感じる。


 郷愁とは少し違うが、懐かしく心がほんのり温かくなる。


 どちらかと言えばこちらの方が夢であってほしかったのだが、どうやら無理ゲーを飛び越えてクソゲーになりつつあるこちらのほうが現実のようだ。


 お日様の匂いがする枕に頬を擦りつけてもう一度寝入ろうかぼんやりした頭で悩んでいると、聞き慣れた言葉が鼓膜を震わせて脳に届く。


 いや、本物の鼓膜はないんだけど。


《セロトニン濃度上昇、脳波のパターン変化を観測しました。

 起床モードに移行します》


 リュシオンの声が聞こえ、照明の光量がゆっくりと強くなっていく。


 もう日常になりつつある“朝”だ。


「あと5分…」


《了解しました。

 では1秒もオーバーすることなく5分後に起床して頂きます》


 漫画ではお馴染みのやり取りをしようとしたが、リュシオンにそんな冗談は通用しないらしい。


 その上、きっときっかり5分後に叩き起こされた後には、たっぷり腹いっぱい嫌味を言われるに違いない。


 リュシオンの蔑みの目が簡単に頭に浮かぶ。


 出会って3カ月近く経つせいか、最近のリュシオンはそのあたりの遠慮をしない。


 自重しなくなったのは決して良い変化なんかではなく、むしろ悪化しているせいであると言える。


 いつまでも数字という結果を出せない俺に対する敬意がマイナス値、ということだ。


 自分の性能に自信を持っている分、余計に拍車がかかったのだろうとは思うが。


 とはいえ、今朝の俺はちょっと違うぞ。


「取り消す。

 起きるから照明つけて」


 暗闇の中から溜息こそ聞こえなかったが指を鳴らして室内が明るくなると無言で突き刺さってくる視線が言葉以上の感情を伝えてきていた。


《おはようございます、マスター。

 お早いお目覚めで》


「うん、おはよう。

 ところで、今は何時?」


 リュシオンの皮肉をスルーして問いかけるとリュシオンも一応は矛先を収めたのか溜息付きだが答えてくれた。


《現在時刻は8時35分です》


「よし、ピクニックに行くぞ」


《は?》


 唐突な俺の提案を聞いてリュシオンが眉根を寄せる。


 怪訝そうな視線が顔に痛いほど刺さるが俺は敢えてそれを無視して次の指示を出した。


「いいから、いいから。

 ほら、必要なもの買うからショップのサイト開いて」


 文句はあるようだがナビゲーターとしてマスターの指示を無視することは出来ないらしい。


 リュシオンは怪訝そうな顔を崩さないものの俺の希望通り大手の通販ショップのサイトにアクセスしてくれたのだった。





「お~。相変わらずの再現度だな」


 春の野原クリスタルは初投稿の3DVで紹介した砂浜クリスタルと同じ“お出かけシリーズ”の一つだ。


 寝起きしている10畳ほどの“寝室”と違ってお出かけシリーズはデータ量が多いので展開すると比較にならないほど広々とした空間になる。


 温かい陽光とまだ少し肌寒い風もしっかりと再現されており、青空が広がる野原に立つと室内に閉じこもっている閉塞感はだいぶ薄れる。


 両腕を天に向けて伸ばして背筋を伸ばす。


 凝る肉体なんてもっていないはずだが、妙にスッキリする。


 深呼吸するついでに大きな欠伸が出たが、大口を開けて欠伸をしていたらリュシオンが冷めた目で俺を眺めていた。


「いいだろ、別に。

 生身だった時の癖なんだよ」


《私は別に何も言っていませんが》


 よく言うよ。


 相変わらず可愛くない。



 ひっそりと胸中で言い返しつつ、苛立ちはほとんどない。


 もうこうやりとりすら慣れつつあるのだと思うと複雑な気分にはなるが、リュシオンとは仲良くなれないと今後の未来が闇に沈んでいくような予感がする。


 結果オーライだ。


 そう思っておこう。


「じゃあせっかくのピクニックだし、ちょっと歩こうか」


《はぁ…》


 歩き出す俺を放置することも出来ないのかリュシオンは俺の後方からついてきた。



 俺が何を企んでいるのか探ろうとしているようだが、残念だったな。


 リュシオンに俺の企みは見抜けないだろう。


 なんたって何も企んでいないからな!


 ふははははっ!



 今日はなんだか気分が高揚しやすい。


 大葉社長や弥生先輩との楽しい夢を見たからだろうか。


 あの夢とまったく同じ…というのは無理かもしれないけど、もうちょっとリュシオンと打ち解けたい。


 そうでなければきっと仕事も上手く回らない。


 そんな気がする。


「なぁ、このクリスタルも他のアイテムと同じようにデータの塊、なんだよな?」


 瑞々しい草の上を歩くとかさかさと音をたてる。


 春の野原らしく色とりどりの花が咲き乱れ、白い蝶がヒラヒラと飛び回っている。


 見上げれば青空をゆっくりとした動きで雲が流れていく。


 肌に触れる暖かな陽光もいたずらな春風も、全部が幻だなんて本当に未来の科学は恐ろしい。


《はい、その通りです》


「ふむ。

 じゃあこのアイテムのデーター解析もリュシオンにはできるってことでいいか?」


《解析の内容にもよりますが。

 一体どんなデータ解析をお望みで?》


 後方にいたリュシオンが自分の出番を察して俺の目の前に移動してくる。


 まだその視線には俺の様子を伺っている気配もあるが、サポーターとして本来の役割をこなすことは決して苦ではないらしい。


「んー、例えば空に浮かんでいる雲の数とか、咲いている花の色や種類とか?

 蝶は何匹いて、それ以外の動物は潜んでいるのか、とか」


《その程度であれば造作もありません。

 ご要望のデーターです。どうぞ》


 俺の質問を受けるなりリュシオンは期待外れだという顔をしたが、指を鳴らして半透明のウィンドウを表示させる。


 俺の問いかけに対する答えが一覧表として表示されていた。


「ふむふむ…。

 お、このクリスタルってウサギやモグラまで棲んでるのか。

 へぇ~」


 学名で書き出された数多の花の名前はどれがどれだかさっぱりだったけど、生息している生物一覧はなんとなくそれっぽい名前が並んでいるからぼんやりとだが理解できる。


「なぁ、このウサギとかって捕まえられる?」


《ウサギの行動予定先に罠を仕掛けて捕獲することはできるかもしれませんが、そもそも割り振られているデータ量が少ないので直に触れたりすることはできないでしょう》


「じゃあそのまま連れて寝室に戻ったりもできない?」


《はい、できません。

 ウサギは風景の付属品ですので。

 クリスタルを閉じた段階で全て格納されてしまいます》


「ふむ…」


 リュシオンの明瞭な回答を聞きながら腕組みをして考え込む。


 リュシオンの問いかけにはリュシオンの性能チェックと共に新しい3DVのネタ探しも含まれていたのだが、実現は難しそうだ。


 俺がいた時代でも虫取りの動画をアップロードしている人たちがいたのを思い出し、もしこの空間から外に何かを持ち出せたら3DVのネタにならないかと思ったのだが甘かったようだ。


 そもそも実在していない動物の飼育なんて非現実的だろうか?


 餌やりもできなければ懐くこともないとしたら、ただの置物にしかならないだろうし。


《マスター?》


 考え込んでいたら存外近くまでリュシオンが近寄ってきていた。


 こんなに傍でリュシオンを見るのは久し振りだ。


 ついでにマイナスの感情を込めていない視線を向けられるのも。


「んー、ちょっと考えてたことがあったんだけど無理そうだなって。

 ちなみに形状記憶はどうだ?

 例えばここで花冠を編んでこのクリスタルを閉じるだろ?

 で、次にもう一度展開したら花冠は残ってるか?」


《いえ、残りません。

 あくまでもこのクリスタルのデータは上書きできませんので、以前に起こったことは全てなかったことになります》


「なるほど…」


 つまりデータの上書きはできない、ということなのだろう。


 仮にここで火事が起きても次に展開した時には今見ているこれと同じ風景が広がるということだ。


 逆にこのデータ内に思い出になるようなものは残せないということでもある。


 長所と短所。


 俺はどちらかというと形状記憶してくれるほうが嬉しかったかもしれないが仕方ない。


 例えば一日かけて砂浜のクリスタル内で豪華な砂の城を作ったとしてもクリスタルを閉じた途端に消えてなくなってしまうのだとしたら、寂しいと感じないだろうか。


 見ているもの聞こえてくるものが全て幻想だというのなら、確かに自分が今ここにいるのだという証を何処かに残したくなるものではないだろうか?


「じゃあさ、このピクニックシートをここに敷いたままクリスタルを閉じたらどうなる?」


 先程ショップで手に入れたばかりのピクニックシートを地面に敷きながら問いかける。


 地面に直に座っても汚れることはないが、こういうのは雰囲気も大事だ。


 ピクニックにはやっぱりピクニックシートが必要だ。


 ちなみに俺が選んだのはオレンジと白のチャック柄。


 少しでもピクニック気分が増せばいいと思って。


《クリスタルが閉じた後、ピクニックシートだけ寝室サイトに放り出されます》


「なるほど。

 上書きも異物も受け付けませんってシステムなのか」


 レジャーシートに腰を下ろしてそのまま寝転がる。


 なかなか頭の中でぼんやり描いていることを形にするのは難しいようだ。


 5000年も経って随分と便利な社会になったはずなのに上手くいかないものだな、と思わず苦い笑みが零れた。




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