Chapter 9:カクタスによる初めての3DV撮影
「うへ~。
目が疲れた~」
《マスターは実在しない器官の疲労を感知する才能があるんですね。
さすがです》
床にゴロンと転がった俺の背中から皮肉が降ってくる。
リュシオンは相変わらず性格が悪い。
どうなってんの、このツンケンしてるAI。
開発者は何を考えてこんなAIを組み込んだの。
これだったらまだあの棒読みの女性音声アナウンスの方が十倍はマシだったと思う。
あれからかれこれ10時間ほど人気のある
3DVの視聴時間が4時間を過ぎたあたりから疲労に耐え切れず休憩にしようと提案して軟体動物のように椅子から落ちて床に転がったのだが、リュシオンは顔色一つ変えず俺の体の向きに合わせて3DVを再生し続けてくれた。
なんせ休日にダラダラと動画サイトの自動再生を利用して流し見するのとはわけが違う。
彼らがどんなことをネタにしているのか、どんな編集や演出をしているのかを目の前で繰り広げられる数多の情報の中から探し出さなければならない。
それはぶ厚い参考書の膨大な文字列の隅から隅まで目を通さなければならないような苦痛だった。
リュシオンは鬼畜だ。
絶対にそうだ。
寝転がっている俺の口からは半分魂が抜けかけている。
このまま眠ってしまえたらどれほど楽か。
しかしそんな俺の頭上からクールな声が降ってきた。
《現在時刻18時です。
あと6時間以内に3DVをアップロードしなければ契約不履行になります》
ぶふぉお…っ
う、嘘だろ…嘘だと言ってくれ…
一気に様々な情報を詰め込み過ぎたせいで俺の脳内は汚部屋化した挙句パンクしそうなほどに膨れ上がっている。
今から3DV撮影なんて…ムリ
「俺のライフはもうゼロよ…」
《このまま何もしなければ比喩ではなく本当にゼロになりますが、それでよろしいですね?》
寝転び顔を床に突っ伏したまま消え入りそうな声を絞り出した俺に何の感情の起伏もみられないリュシオンの声が返ってくる。
あたたかすぎて涙が出そうだ。
よろしくありませんっ!
リュシオンの鬼ぃ!
最後の抵抗とばかりにのそのそと起き上がって胡坐をかく。
大きく溜息をついて膝の上に折り曲げた肘を置き、掌の上に顎をのせた。
行儀が悪かろうが知ったことか。
ここには俺とリュシオンしかいないのだから遠慮はしない。
「真面目に3DVのネタなんて思いつかない」
《頑張ってください》
「人気のあるジャンルは?」
《商品レビュー、ゲーム実況、バーチャル探索、クリエイティブ、ディストラクション等々、挙げればキリがありません。
各ジャンルにそれぞれ有名3DVパフォーマーが存在することを考慮すれば、どれも人気があるジャンルと言えます》
「ぐぅ…」
そんなの言われなくても理解している。
なにせ10時間ぶっ通しであらゆるジャンルの動画を視聴させ続けられたのだから。
が、“何でもいい”と言われると迷うものだ。
どれを選べばヒットするのか、そして俺に適したジャンルは何なのか、俺にはわからない。
けれどそれはいずれ俺自身に
あぁ、現実逃避したい…。
《残り5時間56分です》
うぐっ…。
有能なナビゲーターの声は俺を容赦なく現実に引き戻すのだった。
「初めまして。
カクタスというのは俺が考えたパフォーマーネームだ。
5000年後では立体動画を3DVと呼ぶように、動画投稿者のことをパフォーマーと呼ぶらしい。
一部アクターと呼ばれている人たちもいるようだが、その説明は割愛する。
そんなパフォーマー達が活動するにあたり使っているのがパフォーマーネーム(略してPN)と呼ばれているものだ。
最初はちょっとふざけた名前も考えてはみたのだが、実際にその名前を自分の口で毎回名乗らなきゃいけないと考えたら自然と候補から除外された。
それで数字を稼げるようになる未来が思い描けなかったのも大きい。
では何故カクタスなのか?
正直言えば、深い理由はない。
迷いに迷いまくった末の半ば諦めだと思ってほしい。
「えっと、それでこれが今回紹介する新商品の《砂浜クリスタル》です」
悩みに悩んだ俺は、その数時間後取り寄せたばかりの新商品を手にリュシオンの前に立っていた。
掌の上に浮かび上がっている透明なクリスタルはメリーゴーランドのようにクルクルと回る。
掌サイズではあるが透明なクリスタルの内側には商品説明にも書いてあった青い海と砂浜のミニチュアが閉じ込められていて、そのままインテリアとして飾っても見栄えは良さそうだ。
そんな商品を片手に会社の新人研修で三か月間学んだセールストークを繰り広げようとしたのだが、上手くいかない。
何せ俺の視線の先にはリュシオンがいる。
圧倒的な無表情でそこに佇み、俺のトークに一切のリアクションをとらないリュシオンが、だ。
やりにくいことこの上ない。
どうやらリュシオン自体がカメラマンとしての機能をもっているらしく、撮影の為にはリュシオンがそこにいてくれないといけないらしい。
集中できないからどうにかしてくれと訴えてみたら、リュシオンが三脚付きのカメラに姿を変えてくれた。
(リュシオンが言うには、ただ俺の目からはそう見えるように“カモフラージュ”しただけらしい)
が、物言わぬ冷たいレンズの前で一人でべらべら喋ることのほうが到底難しい事を身をもって知る結果となっただけだった。
しかも俺の目にはそう見えていないだけでこの場にはリュシオンがいるのだというプレッシャーが消えなかったというのも大きかった。
そうしてリュシオンにはカモフラージュを解いてもらったのだが…やりにくいことに変わりはなかった。
一人だけ舞台に立たされ目の前の観客から冷ややかな視線を浴びながら商品紹介をしなければならない、その苦痛を想像してほしい。
雪の混じる北風が心に吹きつけないだろうか。
今の俺はまさにそんな気分だ。
「まずはこの美しい装飾をご覧ください。
透明でシャープなケースの中に美しい海の景色が閉じ込められています。
このままインテリアとして部屋に飾っていただいても十分に楽しめます。
枕元に飾っておいて、眠る前のひと時、ヒーリングアイテムとしての使用はいかがでしょう?」
おおむね商品を購入する際の紹介文に書かれていた文章だ。
それを外れさえしなければ商品の開発者達の意図している商品イメージから外れることはない。
だが本当にただそれだけを口頭で説明するだけでは意味がない。
顧客のハートを掴むためには自分自身が感じたことも付け加えて説得力をもたせる必要がある。
リュシオンを前にするとどうしてもテンションが上がらず、無理に喉から搾り出している高い声が今にもひっくり返りそうで冷や冷やするが。
「では商品本体を起動します。
えっと、要求ワードは…≪
俺がワードを口にすると掌の上で回っていたクリスタルが一気に竜巻を起こしそうなほど急回転する。
俺が驚いて手を引っ込めそうになるのとクリスタルが起動して格納されていたデータが周囲に展開されたのはほぼ同時だった。
「…お、おぉ…!」
明るい日差しに照らされ波の音が鼓膜を擽る。
いつの間にか閉じていた目をおそるおそる開いてみると、目の前には真っ白い砂浜と青い海が広がっていた。
寄せては返す波はキラキラと日差しを反射して光り、遠くには白い雲と水平線が見える。
潮風に頬を撫でられた俺は驚きと感激のあまりすっかり撮影のことを忘れて波打ち際に歩み寄った。
白く細かい泡を纏いながら引いていく波にそっと手を伸ばして触れてみると、ちゃんと冷たい。
小学生の頃、田舎で暮らしていた祖父母の家の傍にあった川で遊んだ記憶が蘇る。
これが本当は実在していないなんて、信じられないクオリティだ。
「入っちゃえ」
つい楽しくなって引いていく波を追いかけるとまもなく沖の方から迫ってきていた波が俺の足首の上までを呑み込んだ。
波打ち際の砂はそこに立っている俺の足を包み込むようにしてその形を変化させていく。
その感触もまた楽しい。
しばらくバシャバシャと音をたてながら波打ち際で遊ぶ。
そんな俺の頭上を一羽の鳥が通り過ぎた。
思わずそこに佇んでその鳥を見送る。
青空によく映える橙色の鳥だ。
あれは南国の鳥だろうか?
ふとそんなことを考えていると誰かが近づいてくる気配がして、そちらを振り返る。
リュシオンだ。
げっ、忘れてた…。
一気に現実に引き戻されて顔が引きつる。
その完璧な無表情が呆れているようにも怒っているようにも見えて居たたまれない。
俺は必死に商品説明欄の文章を思い出しながらひきつりそうになる口の端を持ち上げてセールストークを再開した。
「…と、このように非常に再現性の高い美しい風景を圧縮したデーターアイテムとなります。
この美しい砂浜でバカンスを楽しむも良し、サメやクラゲといった危険生物のいない海で海水浴を楽しむも良しです。
気になる方はぜひ動画概要欄から商品購入サイトへ移動してみてください。
以上、《砂浜クリスタル》のご紹介でした~」
もう苦笑いにしかならない笑みを浮かべつつそう告げて暫く静止する。
心の中で10秒数えたあたりで表情を崩し、その場に膝をつく。
やめて。
そんな冷たい目で俺を見ないで…っ!
《では今の撮影データを編集します。
編集は事前に用意されている雛形から選ぶ“オートモード”、ある程度手を加える“セミオートモード”、全てゼロから編集を行う“フリーダムモード”があります。
選択してください》
…スルーはもっと精神的ダメージがでかいんだけど。
リュシオンは冷血なのか?
それともこれを優しさとして受け取れない俺が狭量なのか?
「…オートモードで。雛形はリュシオンに任せる」
今の“アレ”をもう一度自分の目で確認するとかどんな羞恥プレイか。
今の俺は疲れているんだ。
とにかくもう眠りたい。
そして全てを都合よく忘れてしまいたい。
「《
掌を天井に向けて要求コードを唱えると目の前に広がっていた光景がギュインと歪んで差し出した掌に高速で吸い込まれて元の結晶体に戻る。
透明なクリスタルの内に青い海岸を閉じ込めたそれは、まるで何もなかったかのように俺の掌の上でゆっくりと回転している。
“高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない”
かつてそんな言葉を言った偉人がいたらしい。
その言葉はまさに正しかったとしみじみ思いながら、俺はそのままごろりと寝転んで束の間の休息に入ったのだった。
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