Chapter 6:夢じゃなかった



 どれだけ経ったのか、最初に変化が起こったのは俺のほうだった。


 リュシオンが告げてから5分と経たずに胸中に渦巻いていた吐きそうな嫌悪感が薄らいでいくのを感じる。


 何もしていないのに胸がスッとして、まるで森林浴でもしているように気分がリラックスしそうになる。



 なんだ、これ…?



 衝撃的だったし、自分の身に起こっていることがすぐには理解できなかった。


 俺は俺なのに、自分ではなく別の誰かの意思によって気分を強引に上書きされたような違和感。



「何をした…?

 俺、どうなって…」


《見ていただいたとおりです。

 リラックス効果のあるシータ波よる脳内干渉と精神安定物質を投与しました》



 胸を押さえながら顔を上げた俺の目の前でリュシオンは脳の映像を掌で指し示す。


 全体をぼんやりと照らす淡い緑色の光がさざ波のようなリズムで揺らめいている。



 つまり…これは本当に俺の脳みそだっていうのか。



 嫌になるくらいリラックスした冷静な思考で俺は改めて目の前の映像と向き合う。


 信じたくなかったし、到底信じられなかった。


 無秩序な夢だと言われたほうがまだ納得できた。


「リュシオン、もう一度確認するぞ?

 これは“夢”じゃないんだな…?」


《はい》


 涼し気な声が一筋の淀みもなく俺の問いかけに答えた。


 右肩を見ると俺に冷静な眼差しを向けてきているリュシオンと目が合った。


 リュシオンの目には悪意の欠片も感じられない。


 俺を騙してやろうとか陥れてやろうとか、そういう意思がまったく見受けられない。


 だから俺のほうもどうやらこれが夢で認めないといけないらしい。



 脳だけ取り出されて5000年後の未来に拉致されてきたこと。


 そして元いた時代に“無事に”戻る為には、与えられた課題をクリアしなければいけないこと。



 生命維持装置の電源を切られたら、俺の脳は戻るべき肉体が失う。


 それに臓器だけにされてしまった現状では、物理的に走って逃げだすことも叶わないだろう。


 自力で元の時代にある俺の体に脳を戻して以前のように生活することを目指すよりも課題の条件を満たす動画投稿者になれるように努力する方がよほど現実的だ。



 というか、今はそれくらいしか思いつかない。


 俺がその課題をクリアすることで犯人にとってどんな得があるのか。


 そもそもどうして何のとりえもない俺をターゲットにしたのか。


 そのどちらも今の俺には分からないんだから。





 話を戻して。


 さっきの俺の質問に対するリュシオンの返答に違和感があったことを思い出して、今度は落ち着いた口調のまま再びリュシオンに問いを投げかけた。


「アクセス権限のせいで俺の質問に答えられないってことは、データそのものはリュシオンがアクセスできる領域にあるってことか?」


《はい》


 俺の質問にリュシオンは何の躊躇もなく頷く。



 あれ?

 

 これって結構大事な話だよな?


 犯人に繋がる重要な手がかりじゃないだろうか。



「じゃあ何をどうしたらそのデータを閲覧できるようになるんだ?」


《そのデータにもアクセスできません。

 マスターは他人に知られたくないデータのパスワードを誰かの目に触れる危険のある場所にわざわざ書き残しておく習慣でもあるのですか?》


 しかしそんな俺の淡い期待はすぐにリュシオンの言葉でかき消された。


 その上ご丁寧に嫌味まで付け加えてくる。



 なんなんだ、コイツ。



「そんな習慣、あるわけないだろ」


《そうですか。安心しました。

 てっきりセキュリティ概念の説明から必要なのかと》


「そうかい。ご心配どーも!」


 俺に向けられる爽やかな笑みが俺の神経を逆撫でする。



 おかしいな、俺そんなに短気じゃないんだけど。


 気にしすぎ?


 そもそも俺がコイツを創り出した時ってこんなに性格悪くしたっけ?


 それとも当時見たり読んだりしていたアニメか漫画にこういう性格のキャラなんていただろうか。



 腕組みして当時の記憶を辿ってみたものの思い当たるキャラクターはいない。


 うんうん唸っている俺を見たリュシオンはしばし沈黙した後で何か思い至った様な表情になり、もう一度笑顔を浮かべ直して口を開いた。


《ナビゲーターのAIはあらかじめ設定されていますので、再構築依頼をかけても受け付けられません。

 悪しからずご了承ください》


「っ!」


 俺の思考を読んだのかという驚きと、今まで全部わかっててやったのかという疑惑と、コイツやっぱり性格悪いんじゃないかという怒りが口の中で渋滞して咄嗟に言葉が出てこない。


 口をパクパクさせている俺を見てリュシオンは本当に気持ちいいほど爽やかな笑みを浮かべる。


《マスターはなかなか興味深い感性の持ち主のようですね》


 そんな俺の顔をまるで対岸の火事だとでもいうような涼やかな視線が覗き込んでくる。


 ただでさえ乱れている神経を逆撫でされたような気もしたが、頭から疑ってかかるのは良くないだろう。


 俺はこう見えていい歳した大人なのだから。


 過去の黒歴史を思い出させる容姿をした性格の悪いAIに本気でムキになるほど子供ではない。


 気のせいだと無理矢理苛立ちを呑み込んでひきつる笑顔で問いを投げかける。


「それ、褒めてんの?」


《いいえ、まったく》


 あぁ、そうですかっ!



 表情一つ変えずに否定するリュシオンを肩の上から叩き落としてやりたい衝動にかられたが、辛うじて拳を握ってそれを堪える。


 リュシオンの為でない。


 俺自身の心の平穏の為だ。


 リュシオンは俺の黒歴史の塊だ。


 変につついて精神的ダメージをこれ以上食らいたくない。



 とにかく非常に不本意ではあるが今の俺にできることは出された課題のクリアを目指すしかない、ということなのだろう。


 リュシオンが俺をこんな風にした犯人の手先ではないかどうか、今はまだ判断できない。


 もし仮にその疑いが濃厚になっても、俺が何か行動しようとするならリュシオンの助けが必要になるだろう。


 犯人に俺のやることが全てが筒抜けになってしまう可能性がある以上、言動には注意する必要がある。


 逆に少しずつでも犯人の情報をリュシオンから引き出すことは出来ないだろうか。


 直接的な情報をリュシオンから聞き出すことはできなくても、犯人が望まない結果を生みだしかねない言動を俺がとったとしたら、リュシオンに妨害させる可能性がある。


 それが犯人に繋がるヒントになったりしないだろうか。



 …まぁ仮にそれを実行するにしても、俺がそこまで賢い人間じゃないっていうのが一番のネックなんだけどさ。



 物語の主人公となるイケメン達と俺ではあいにく基本スペックが違う。


 反逆の意志ありとみられたら今度はどんな無理難題を押し付けられるか分からない。


 あまり下手な言動はとれないし、かといって大騒ぎすればそれはそれで変に目を引くだろう。



 うぅっ、本当にどうして凡人ステータスの俺なんか選んだんだよ…



 胸の内で恨み言をこぼしながらひっそりと溜息をついた。




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