Chapter 5:5000年後の未来
科学が生み出した幻想。
それはそれで古傷がちょっと疼いた様な気もしたが、それは無視して俺は真剣な眼差しをリュシオンに向けて訴えた。
「うん。わからん」
リュシオンは至極真面目な俺の顔に一瞬口ごもった後、小さな溜息をついた。
失礼な。
決して俺の理解力が足りないとか、そういう問題じゃない。
5000年後の未来科学なんて、想像したこともないのだから仕方ないだろう。
俺は悪くない。
《ではざっくりとですが地球の歴史をご説明します》
リュシオンが再び指を鳴らすと目の前でぐるぐると回っていた何十もの小さな画面たちがたちまち掻き消えた。
そして真っ暗な空間によく見知っている青い地球の立体映像が浮かび上がる。
《人類は火を用い道具を扱い群れることでその数を増やして発展してきました。
石炭や石油、原子力などをエネルギーに変えその数をどんどん増やしていきました。
けれど温暖化をはじめとする数々の異常気象、エネルギー資源や廃棄物の問題、そして増え続ける人口増加問題で幾度となく戦争を繰り返しました。
温暖化で海面が上昇し人が住める土地が減り、わずかに残された土地すら繰り返される戦争や汚染によって生態系が崩れて、人間が住み続けるには制約の多い辛い環境になってしまったのです》
リュシオンの説明に呼応するように目の前の地球の大陸の大部分は海の青で満たされ、残された大地からは緑が消え赤黒く変色していく。
口で説明されるだけではなく視覚的にそれが飛び込んでくると何とも言えない複雑な気分になった。
《そんな状況を前にして人類にはいくつか選択肢がありました。
一つは地球からの脱出。
それを選択した人々は大量の食糧やエネルギー資源を積みこんだ大型の宇宙船に乗って地球から飛び立ちました。
最有力候補であったのが最も近い惑星である火星です。
他には太陽系外部の惑星であれば人類が暮らしていける惑星もあるという者もいましたが、宇宙船を飛ばしての実地調査には途方もない資金が必要とされ出発前の十分な事前調査は叶いませんでした。
地球を飛び出していった彼らが無事に何処かの惑星に降り立てたのか、或いは宇宙の藻屑となったのかは通信が届かないほどの遠距離になってしまったので消息不明です》
何の感情も籠らない、無表情な言葉。
それが何となく消息不明になった彼らのその後を暗示しているように聞こえて背筋がうすら寒くなった。
《もう一つの選択肢は海底都市です。
温暖化によって海面が上昇するのであれば海底に都市を築けばいい。
高い金銭を要求される宇宙船に乗るより、多くの人々にとっては現実味のある話だったようです》
だった、か。
嫌な予感しかしない。
気のせいであってほしいが。
「無理、だったのか?」
《人数が少なければ、まだ希望はあったのかもしれません。
けれど人が殺到し過ぎました。
いざ計画を実行に移した時、想定の10倍以上の人数を受け入れたようです。
それでもあぶれた人達が暴動を起こしたりもしたようですが。
結果的にそれだけ想定外の事態に追い込まれた海底都市計画は、酸素をはじめとする資源問題や海底の生態系の変化などに対応しきれず1000年ともたずに廃墟と化しました》
ふと海底で塵が積もっている都市を想像してしまった。
塵が積もった廃墟のビルの間を魚の群れが悠々と泳いでいく情景。
それは一見すると綺麗な光景かもしれないけど、そこで無念に死んでいった人たちがいたのだと思えばぞくりと悪寒が走る。
《コールドスリープを選択した人々もいました。
太陽光という無限のエネルギー資源を使って来るべき時まで地中に埋め込んだカプセルの中で眠り続ける。
彼らは今でも眠り続けています。
太陽光パネルの管理用のアンドロイドを見かけなくなって久しいので、いつ目覚めるのかはわかりませんが》
おうふ…。
序盤から話がヘビー過ぎるの、良くないと思います…。
もうお腹いっぱいです、と言いたくなるのを堪えて俺は無言の視線で訴えかけた。
するとそれに応えるようにリュシオンは指を鳴らし、目の前から地球が掻き消えた。
代わりにデフォルメ化された等身大人間が出現する。
《そんな中で提案されたのが『DBプロジェクト』です。
彼らが目指したのは限りある資源の最小限利用。
彼らは彼ら自身である最小の単位である“脳”を肉体から取り出し、それのみを生命カプセル内で生かし続けることで必要エネルギーを最小限に抑えることを選択しました》
「ふぁっ!?」
その思考のあまりのぶっ飛び具合に理解が追い付かない。
目の前のデフォルメ化された人間の頭部から横にスライドして脳みそが取り出されているが、気味の悪い冗談だろうとすら思える。
いや、そう思いたいのかもしれない。
取り出された脳みそを差し出されて“これが今の人類です”なんて言われても…ちょっと生理的に受け付けられない。
《人間の肉体は脳から発せられる微弱な電気信号によってコントロールされています。
裏を返せばその電気信号に外部から電気信号を使って干渉することができれば目や耳や手足がなくとも感覚を“作り出す”ことが可能だということ。
そこには実在していない“目”を通して幻を見ることができ、“耳”を通して聞こえないはずの音を聞くことができます》
しかし淀みなくスラスラ喋っているリュシオンにはふざけているような空気は一切ない。
冗談だろう?と口を挟むこともできないまま俺は黙ってリュシオンの説明を聞いていた。
《その程度の科学文化は当時の人類はすでに日常的に使いこなしていていましたから、決して非現実的な話ではなかったようです。
けれどそうであっても臓器の一部だけを活かすということでプロジェクトの発表当初は様々な反論や反発を生んだようです》
そりゃあ、そうでしょうよ…。
いくら地球が人間の住めない環境になってしまったからって、脳みそだけになるのは俺だって嫌だ。
《経済的、技術的、倫理的…様々な側面から幾度となく議論が繰り返されました。
けれどいずれの計画からもあぶれた人類にとって生き残るための選択肢はそれほど多くありませんでした。
それと同時に必ずしも労働を強制されない夢のような計画とあって当時は“ネバーランド・プロジェクト”などと揶揄する者もいたようです。
結果的にDBプロジェクトはその話題性から人々の注目を集め、肉体から脳を取り出し専用カプセルに移す技術をもった医師を数多く集めることに成功しました。
そうして技術的な問題を解決して計画は実行に移されたのです》
そ、そうですか…。
もはや話がぶっ飛び過ぎて理解することを放棄した俺の右肩にリュシオンが触れ、そのまま俺の右肩に座ってきた。
立体映像にしかすぎないと思っていたリュシオンに触れられた感覚があって目を見開く。
リュシオンがそこに実在していれば実際に感じるであろう体重や体温が薄いボディスーツ越しに感じとることができたからだ。
ここにきて、ようやく俺は一つの疑問を抱いた。
つまり今聞いた話は俺自身にまるで関係のない話なのだろうか、と。
「な、なぁ…俺はここにいる、よな?」
目覚めて最初に目にした光景。
それは生命維持装置に繋がれた俺のそっくりさんが病室らしき場所で眠っている映像。
そして先程リュシオンは言わなかっただろうか。
これは“夢”ではなく、けれど俺の五感が感じ取っているものは“幻想”なのだと。
《はい》
落ち着いたリュシオンの声が俺の問いかけを肯定して、俺がいつの間にか強張っていた全身から力を抜いた。
いつの間にかじっとりと嫌な汗をかいている。
「な、なんだぁ~。
脅かすなよ~、まったくも~。
俺まで脳みそだけにされたのかってビビっちゃっただろ~!」
《その通りです》
こいつぅ~とふさけながら指先でリュシオンの体をつつこうとしたところに真顔で返されて体が凍り付いた。
へ…?
リュシオンが放ったとても短い肯定の言葉の意味を理解して、リュシオンの体をつつこうとしていた指先から凍り付いていくような錯覚を覚える。
足元が崩れていくような錯覚を覚える。
「じょ、冗談だろ?
俺はここにこうして立ってるのに」
たちの悪い冗談、だよな?
眠っている間に脳みそだけの存在になりました、なんていくら夢でも気持ち悪すぎて笑えないぞ。
《では監視カメラの映像をご覧いただきましょう》
硬直している俺をよそにリュシオンはそのむかつくくらい涼しい表情を一瞬たりとも崩さずに再び指を鳴らした。
パチンという小気味良い音と共にデフォルメ化した映像が消える。
そしてそこについさっき見たばかりの病室のベッドの上で横たわる俺のそっくりさんの姿を映し出したモニターが現れる。
そしてその隣には透明な液体に漬けられたリアルな脳の映像を映し出すモニターが現れた。
やめて。
リアル臓器の映像はさすがにグロすぎる…。
しかもリュシオンの言葉を信じるなら、目の前の臓器は俺の…うっぷ。
色んな意味で拒否反応を起こしてしまい、口元を手で覆う。
いっそ吐いてしまいたいけど、後の事を考えたらそうもいっていられない。
俺は必死に吐き気と戦いながら脳のモニターから視線をずらし、病室の様子を映すモニターを注視した。
いっそ全てから目をそらしてしまいたいが、逆にもうここまできたら最後まで聞かないと気持ち悪いかもしれないとさえ思えてしまう。
自分の身に何が起きているのか、知らないままでいるのはそれはそれで気持ち悪いだろう。
《向かって右手の映像は2019年12月23日の午前0時当時のもの。
左側は西暦に換算すると7019年12月23日午前0時、つまり今現在のものです。
マスター、あなたの肉体は5000年前の日本で脳外科手術を受け生命維持装置によって生かされていました。
そして脳だけの状態で5000年後の現在に運ばれてきたのです》
リュシオンの話を聞いてよくよく映像を観察してみると、眠り続ける俺の頭には包帯がぐるぐる巻きにされている。
最初に見た時は沢山の機械と色とりどりのチューブばかりに目がいってショックを受けていた。
でもリュシオンに言われてよくよく観察してみると、頭の包帯は脳を取り出す手術を受けたからだと説明されれば納得がいく。
「誰だよ、俺本人に無断でそんな悪趣味なことをしたのは…ッ!」
考えるより前にショックと怒りあまり震える拳を握り締めながらそう叫んでいた。
《その質問に対する解答データへのアクセス権限がありません》
なんでだよっ!
叫んで地団太を踏みたい気分だが堪える。
さすがに目の前の生々しい臓器を見ながらそんなことできるほど元気ではない。
《脳波の乱れと急激なコルチゾールの分泌量増加を観測しました。
シータ波による干渉と精神安定物質を投与します》
淡々としたリュシオンの言葉に呼応するように透明な液体に浸かっている脳が淡い緑色の光に照らされた。
脳に繋がっているチューブを満たしている赤い液体の中を砂粒より細かい光の粒子が駆け上がっていく。
まるでそこに映し出されている脳が俺自身のものだと証明するように。
いくら夢でも生々し過ぎないか…?
動揺して何も出来ずにいる俺をリュシオンの静かな双眸がじっと…まるで医師のように観察している。
何も出来ずにいる俺と黙って俺を観察するリュシオン。
静まり返ったままただ時間だけが過ぎた。
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