Chapter 3:ナビゲーター『リュシオン』



《続きまして、契約者である雪見星夜様の業務及び生活のサポートを行うナビゲーター『リュシオン』の起動を行います》


 抑揚のない女性アナウンスが聞こえるや手に握っていたペンの質量が消え、代わりに掌サイズの球体が目の前に浮かび上がった。


 もういちいち重力だとか質量保存だとか突っ込む気力さえ湧かない。


 夢の世界は理不尽とファンタジーのオンパレードだ。


《ナビゲーター『リュシオン』起動のため、本体デバイスにタッチしてください》


「ハイハイ」


 言われた通りに目の前に浮かんでいる球体に触れると手の中に握りこんだ球体が発光し始めた。


「うおっ!?」


 熱くなったり痛みを感じたりはしなかったが、驚いて咄嗟に思わず手を引いてしまう。


 なんだ、今の?


《ナビゲーター『リュシオン』の起動に失敗しました。

 もう一度本体デバイスにタッチしてください。

 なおローディングには多少時間がかかります》


 はいはい、そうですかっ。


 発光するのも含めて最初から言ってほしかったんだけど。


 ビックリして思わず手を引っ込めちゃっただろ。



 誰に向けるでもなくコホンと咳払いをして再び球体の上に手をかざし、今度はそれをしっかりと握りこんだ。


 すると再び手の中でつるりと冷たい球体が白く発光し始める。


《マスター登録を行います。

 お名前、年齢、生年月日、血液型を教えてください》


 げっ。


 そんなことまで言わなきゃなんないの?


 名前だけじゃダメ?


 …いや、必要なら仕方ないけど。


「えっと、雪見星夜。26歳。

 1992年12月24日生まれ。A型」


 名前の由来は察してくれ。


 両親、特に産後の母がはっちゃけてつけた名前だと聞いている。


 断じて俺自身が選んで名乗った名前ではない。



 ちなみに忘年会が20日の夜だったからまだ誕生日はきていない…はずだ。



《マスターの個人情報の登録、完了しました。

 マスターの音声および指紋認証、登録しました。

 続きましてナビゲーター『リュシオン』のグラフィック構築に移行します。

 本体デバイスから手を離さずそのままお待ちください》


 グラフィック構築?


 なんだそれ?



 きょとんとしている俺の目の前、球体を握りしめているその手の甲の上に半透明な立体映像が浮かび上がり始める。


 全長20センチ前後のフィギュアサイズのマネキンに顔やら衣服やら装飾品が重ねるようにして“上書き”されていく。


 容姿が上書きされるにつれ、何を“構築”しているのか理解して一気に頭に血が上った。


 きっと鏡を見ることができたら、今の俺はさぞ真っ赤な顔をしているだろう。


 それだけ動揺していた。


「うわぁー!?わぁー!!ちょっ、ちょっと待っ…!!」


 しかし俺がストップをかけても構築とやらはどんどん進んでいく。


 黒髪に切れ長のアイスブルーの目。


 シックスパックに割れた腹筋を惜しげもなく晒す衣装は制服とも戦闘服ともつかない中途半端なデザイン。


 左肩から胸にかけて大きく描かれた龍のタトゥが睨みをきかせている。


 そしてその手には身長とほぼ違わない長さを誇る鎌。


 鋭い刃の表面には黒い炎の刻印。


 最後の“上書き”でその背中に漆黒の翼が追加されて、俺はもうその姿をまともに直視することができなくなった。


 正しく穴があったら潜って隠れてしまいたい心境。



 あの姿は俺が中二病を発症していた頃の黒歴史…!



 確かにあれを描いていた当時は、自分が描いている最高にカッコイイキャラクターが自ら喋ったり動いたりしないかと思ったものだ。


 いや、それを想像してあれこれ物語を脳内で作るのも楽しかった。


 むしろそれが楽しかった。


 でもまさかこんなに時間が経ってからこんな形で“それ”と対面することになるなんて、誰が予想しただろうか。


 あぁ、顔が熱い…。


《ナビゲーター『リュシオン』のグラフィック構築が完了しました。

 記憶領域より音声データを抽出します。…音声データー構築、完了しました。

 ナビゲーター『リュシオン』本起動します》


「待て待て待て!やり直しを要求するっ!」


 ナビゲーターだか何だか知らないが、黒歴史を直視したまま平穏に生活するなんて出来ない。


 慌てて叫びつつガバッと顔を上げると無表情の冷ややかな青い目が俺を直視していて、思わずぐっと口ごもった。


 無表情のはずなのにとても不服そうに見えて、どこか気まずい。


《ナビゲーター再構築の依頼を受け付けました。

 ナビゲーター再構築は一度販売元本社の方へグラフィックデータ及び音声データ転送をして頂き、構築データを抹消後初期データに移し替える必要があります。

 実行しますか?》


「ぐっ…」


 黒歴史が他人の目に触れる。


 それだけは本気で勘弁してほしい。


 今度こそ俺のガラスハートが粉々になってしまう。


「このままで…いい、です」


 俯いて発した声がかすれた。


 フィギュアサイズで俺を見下ろしてきている(であろう)リュシオンの無言の視線が、痛い。


《ナビゲーター再構築の依頼取り消しを受け付けました。

 ナビゲーター『リュシオン』の本起動をもってガイダンスは終了致します。

 お疲れ様でした。

 以後、ナビゲーター『リュシオン』の案内に切り替わります》


 抑揚のない女性の音声が途切れるとしばらく静寂がおとずれた。


 床にしゃがみこんだ俺に再び顔を上げる勇気はなく、今どんな目で黒歴史の塊のような『リュシオン』が俺を見つめているのか確認することもできない。



 黒歴史の精神ダメージ、恐るべし…。



 TRPGであればファンブルを引き当てた挙句に最大値のSAN値減少をダメージとして受けたに違いない。


 俺のSAN値は残りどれくらいだろうか?


 いっそのこと一時的狂気にでも陥った方が精神的には楽だろうか…。


 生憎とアイディアロールに成功しそうにないほど元の数値は良くない頭なのは幸いなのか不幸なのか。


 TRPGを知らない人に説明するなら、“いっそ発狂したフリして訳の分からないことを叫んで走り回れたら楽なのにな”くらいの心境だ。



 あまりのショックに耐えきれずつらつらと現実逃避をしていたら、不意にイケメンボイスが降ってきた。


《マスター、雪見星夜様。

 ナビゲーター『リュシオン』です。

 以後、お見知りおきを》


 静かで大人びていて、清涼感がありながらどこか艶も含んでいるイケメンボイス。


 遠い昔に何かのアニメで聞いた様な…けれどまさに“このキャラクターのこの声”とは断言できない、まさに俺の脳内にあったイメージ通りの音声が耳に届いた。


 しかしだからこそ再確認してしまう。


 目の前にいるのはかつて俺が中二病を発症していた時にこの手で生み出したキャラクターなのだと。



 くそ…っ。


 黒歴史なのに。


 間違いなく黒歴史の塊なのに、なんて破壊力だ…!



 もうどの方向から突っ込んでいいのかも分からない。


 そのくらい動揺していたし混乱していた。


 充分に熱くなっている頬を腕で隠しつつヤケクソになって顔を上げると、右手を左胸に当てて優雅に一礼しているリュシオンが目に入った。



 これだからイケメンは…。



 毒づきたくなるのを必死に堪える。


 目の前のリュシオンを責めてどうする。


 それはまさに天に…いや、過去の俺自身に向かって唾を吐く行為だ。


 結果的にその延長線上にいる俺自身にもダメージがくる。



 どうやらこの夢は一筋縄ではいかないらしい。


 そう気づくのに時間はかからなかった。




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