運命は絶対
花火が終わると、河川敷に集まっていた大勢の人々が一斉に各々の帰り道へと動き出した。人の流れのほとんどが、各々公共交通機関の最寄り駅へ運んでくれるシャトルバスのバス乗り場へと流れていた。
アコちゃんと天音君の二人も、人々の流れに乗ってバス乗り場へと向かっていた。
皆が一斉に同じ場所へ向かう上、土手や河川敷の遊歩道の幅は狭く、はけも悪いときたら混雑は避けられない。
僕は、これだけ混雑していれば暴漢登場はまだであろうと、ちょっと気を抜いていた。
しかし、アコちゃんと天音君の前にめちゃくちゃガラの悪い三人組が割り込んできたではないか。
黒い般若が今にも飛びかかってきそうな柄の甚平を着た奴と、めちゃめちゃ歌舞いた浴衣の着こなししてる奴と、ええいなんかこう両腕にタトゥーじゃ、十字架のタトゥーじゃ! という奴の三人組だ。
目が合っただけで「は?」って返してきそうな彼らは、酒と香水の匂いを放ちながら、我こそは世界の中心であるとばかりの態度だ。
絶対に面倒ごとに巻き込まれる。
テメェ、何ガジュマルの鉢なんか抱えてるんだ?
とか、そういう絡みだと僕も危ない。
僕は天音君に呼びかけた。
『おい、ガラが悪いのが来たから、気をつけろよ』
天音君は頷いて、三人組からなるべく距離を取る為、さりげなく後ろの人に順番を譲って後退した。
アコちゃんも天音君の意志を察し、黙って彼に従っていた。
三人組の強い匂いが届かなくなるくらいまで後退して、僕らはホッと息をつく。
しかし、程なくしてまた別のヒャッハーなグループがアコちゃん達の前に割り込んできた。更に、再び後退しようとした二人を遮る様に、背後にもヒャッハー達が現れて敢え無くアコちゃんたちはヒャッハーサンドイッチの具になってしまった。
運命が本気を出して来ている?
僕はゾッとして、「なにやってんだよガジュ!」と、ガジュに八つ当たりした。
ガジュはガジュで不思議そうな顔をして、珍しく焦っている様子だ。
―――ヌーンチ?
『まさか、力が使えないのか?』
―――アキサミヨ、チャースンバー。
『そんな……』
運命の力に、ガジュでは太刀打ち出来ないのだろうか。
天音君はアコちゃんの手を引いて、列から離れた。
その賢明な姿は、ヒャッハー等にとって自分たちからそそくさと逃げる様に見えたのだろう。彼らは心外だったのかも知れない。
だからこそ、「ダセェ」「ビビってる」と小さな嘲笑の声が天音君の背に投げられたけれど、僕は天音君を世界一賢いと思った。
アコちゃんも、危ない場所から安全な場所へ手を引いてくれる彼を頼もしく思ったに違いない。いいぞいいぞ。いや、良くないけどいいぞ。
「帰りが遅くなっちゃうけど、ごめん」
と、謝る天音君にアコちゃんは微笑んで首を振った。
長い行列から離れ、二人は並んでいた土手を降りて、後片付けを始めた屋台が並ぶ片隅に落ち着いた。
ここなら明るいし、屋台を片付けている人がたくさんいる。
それに屋台の店主は大体強そうだ。
たこ焼きの屋台のオジサンも、チョコバナナの屋台のお兄さんも、下手なヒャッハーなど片腕でパインだろう。
アコちゃんが安心した様に、天音君に言った。
「怖かったね」
「うん。さー、どうしようか……順番抜かしはしたくないし、もう少し人がいなくなるまで待っても大丈夫?」
「うん、その方がバスも空いているかもだしね。お母さんに電話しておくよ」
アコちゃんはそう言って、母親へ電話を掛けた。
出来れば車で迎えに来てあげて欲しいのだが、花火会場周辺はしばらく混雑と渋滞で滅茶苦茶だろう。シャトルバスで帰るのも自家用車で帰るのもきっと時間は変わらない。
アコちゃんと母親も僕の考えと同じやりとりをして、家の最寄り駅まで迎えに来てもらう事で話がついた様だ。
アコちゃんママは、娘と天音君の進展を期待している様子で、スマホから漏れ出てくる声がやたら黄色かった。やれやれ、吞気なもんだ。けれど、非日常の中で揺らがない日常みたいなものを感じてちょっとだけ和む。
母親の様子に、アコちゃんの緊張も少し和らいだみたいだった。
何を言われたのやら、頬を高揚させてアコちゃんは通話を切ると、「ふう」と一息吐いた。
そうして二人は屋台を畳む騒がしい一帯の片隅で、帰路へ向かう長い行列をしばらく眺めていた。
『ガジュ、力は使えそうか?』
僕がそう聞くと、ガジュは自信がなさそうにモジモジしてみせた。
どうやら駄目らしい。
人混みに守られながら帰る方法だとヒャッハーが無限に現れるのだろうが、人が少なくなるのも心配だ。出来れば湧いて出るヒャッハーをガジュになんとかして欲しかったのだが、これも運命の力なのか……。
どう抗えば良いのか分からない。
『なぁ、あまり遅くなって人が少なくなるもの危ないんじゃないか』
僕はこんな風に、精一杯の注意喚起くらいしか出来ない。
天音君は僕の言葉に頷いて、「そろそろ並び直そうか」とアコちゃんに声を掛けた。
アコちゃんは、少し遠くのゴミ捨て場の方を見ていた。
特設で作られた大きなゴミ捨て場には、屋台の食べ残しがたくさん捨てられ、溢れ返っている。
その残飯を、みすぼらしい爺さんが漁っていた。
祭りの終わりを待って現れたのだろう。
アコちゃんは、夢中でゴミを漁っている爺さんの背後で、クスクス笑い声を上げる子供達をひたと見ていた。
子供といっても、中学生くらいだろうか。
彼らは爺さんへ暴言を吐き初めた。眉をひそめたくなる暴言と挑発するような奇声に、ガジュが「ゲエ」と声を上げた。
―――クチハゴー……イーバチユンネー。
天音君もアコちゃんも、ガジュと同じで「ゲエ」という軽蔑の顔をしていた。
爺さんは慣れているのか、子供たちの声を無視している様子だった。
しかし、それで調子に乗った子供達は、その内ペットボトルや空き瓶、拳ほどある石を爺さんへ投げつけ始めた。
―――アギジャ! アッターアクニン!!
ああ、と、僕は力なく声を漏らす。
駄目だ。
折角ヒャッハーたちから遠ざかったのに。
「木下さん……」
天音君は、下手に関わらない方がいいと咄嗟に判断したんだろう。
アコちゃんの注意を他へ向けようと彼女を呼んだものの、アコちゃんは背筋を伸ばし、唇を引き結んでゴミ捨て場へと向かっていく。
『天音君、止めるんだ。アコちゃんを止めてくれ』
「木下さん!」
アコちゃんは止まらなかった。
そして運命も止まらなかった。
*
ビール瓶が宙を勢いよく飛んだ。
楽しいゲームに水を差されて憤慨した子供の一人が、アコちゃん目がけて投げたものだ。
もしかしたら、威嚇で投げただけで当てるつもりではなかったのかもしれない。
でも、それは当たってしまった。
アコちゃんを庇って盾となった天音君の頭の、当たってはいけないところへ。
僕はやむなく放り出された地面の上で、鉢が割れて傾いてしまった視界に倒れていく天音君を為す術も無く見ていた。
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