ガジュ、まるだ。

 アコちゃんはガジュに問いかけた。正確には、彼女の目にガジュは見えていないから、ペンに向って。


「キジムナーなの?」


 僕が止めるより早く、ガジュはノートに大きく丸を描いた。

 アコちゃんが息を飲んで、一歩後ずさる。


「……このガジュマルに住んでいるの?」


 ガジュがノートに大きく×を描いた。

 僕はそれを見て、愕然とした。

 

――――オイィィィ!? なんでだよ!?


「え、違うの?」


 と、天音君もキョトンとしている。

 ガジュは「うん!」といった様子で身体全体で頷き、同じく机の上にいる僕にピョーンと飛びつくと、「スー!」と言った。


「スー?」

「なに? 何か言っているの?」

「うん……方言だから検索する」


 天音君はスマホを取り出し、アコちゃんも画面を覗き込んだ。

 やめろ、近い!! 

 アコちゃんのいい匂いを天音君が嗅いでしまう……!! 

 僕の心配をよそに、アコちゃんが天音君のスマホ画面を指さした。


「あ、これじゃない? スーは……お父さん」

「……そっか」


――――……!!


 生まれたばかりのガジュが、僕に「スー」と言ったのは、「お父さん」って呼んでいたのか。……ガジュ……。ちょっと感激……。

『住んでる』じゃないよな、確かに。

 これは何と言うんだろう。


 アコちゃんは僕をじっと見つめて、少しだけ警戒心を失くした表情で「そっか」と呟いた。

 

「ガジュマルには本当にキジムナーが宿るんだね……。私の周りで色々不思議な事を起こしたのは、あなた?」


 まる。


「どうして?」

「木下さん、〇か×かで答えれる質問をしないと」

「そっか、……私の味方なの?」


 まる。


「どうして? ……あ……、難しいね。ええと、私ね、あなたが不思議な事を起こしてくれると、嬉しい時もあれば、……その……怖い時もあるの。どうして私に? って」

「木下さん、〇か×かだよ。ただ単に、偶然このガジュマルを手に入れたからってだけだと思うけど」


 知りたいことがたくさんあるんだろう、アコちゃんは〇か×かで質問が出来ない。

 そして、どんどんガジュの返事をもらうよりも、自分の気持ちを話していく方へ舵取りを始めた。

 アコちゃんは天音君の言葉に俯いて、三秒程唇を噛んだ。


「偶然って、何だろ?」

「え?」

「だって、それなら誰でも良かったでしょう? どうして私が偶然に出会うの? 偶然あの男と居合わせて……人を殺す勇気もないような奴なのに、偶然その時はソイツの勇気が出ちゃって、偶然当たり所が悪くて、偶然ショッピングモールがいつもより混んでて救急隊の到着が遅くなって……偶然、運悪く、犯人は未成年で少年法でしか裁けなくて……? ねえ、どうして偶然なんてあるの」

「木下さん……」


 アコちゃんは、瞳と体中の力を抜いて、フワフワ浮いているペンへ向かって問いかけた。


「キジムナー、私のところへ来たのは偶然だったの? だったら、何処かへ行って欲しい。もっと強い人の所へ。私は弱いの。可笑しいよね、最初は喜んでいたのに。だから、おとぎ話のキジムナーは怒っちゃうんだよね」


 バツ。


「……?」

「何に対してか分からないね」


 天音君の感想を聞いて、ガジュは「ふむ」と瞬きをし、バツをたくさん書いた。

 そうだよな。アコちゃんの所へ来たのは偶然じゃないし、何処かへ行く気もないし、君は弱くないし、ガジュは怖くないし、拒否されても怒ったりしないんだよ。他のキジムナーはどうだか知らないが、ガジュは僕から生まれたんだから。


「偶然じゃないの?」


 まる。


「何処かへ行かないの?」


 まる。


「怒らないの?」


 まる。


「困る。そんなの」


 バツ。


「私、あなたに不思議な力を使ってもらう資格が無い」


 バツ。


「無いよ……」


 バツ。


「どうして……あなたのお父さんのガジュマルをお世話をしているから?」


 まる……と書きかけてバツ。


「……私が、かわいそうだから?」


 バツ。


「……」


 アコちゃんはシンとして、しばらく黙った後、尋ねた。


「私がガジュマルを捨てたら怒る?」


 ガジュがビクンと身体を弾ませて、僕の方へ振り返った。その目は相変わらず焦点がどこか分からない、適当に描いた落書きみたいな目だったけれど、少し潤んでいた。


―――アリガ デージ チムグリサヌヤー……。


 なんとなく、僕はガジュが言っている事が分かった。

 アコちゃんがきのどくだ。

 一生向き合わなければいけない不幸が人生にくっついてしまって、光が光として見えない。そんなにお気楽になれない。

 そして、私はこんなに可哀そうなのだから、と、奇跡に甘んじれない。


―――ガジュ、バツだ。

 

 ガジュは「むぅ」と、ペンを抱いた。


―――ジュンニナァ?

―――どうせキジムナーがいるって知っちゃったんだ。(お前のせいで)まだお節介にラッキーを与える事は出来るが、アコちゃんが何か願っても叶えてあげられない状態になっちゃたんだぞ(お前のせいで)しかも天音君は役立たずで怯えは取れないし、傍に居ない方が良い。何処かからひっそりと見守ろう。


 ガジュは渋々、バツをノートに描いた。

 アコちゃんはそれを見ると、ワッと泣き出したんだ。



「神楽君にあげる! 持っていてもいいし、捨てちゃってもいいから!」


 アコちゃんは泣きながらそう言った。


「でも、大事じゃないの?」

「大事だよ、形見みたいなものだもん。本当は一緒に出棺しようと思ったけど、やっぱり一生傍に置こうって決めたんだよ。大きくなったら庭に埋めて、ずっと一緒にって!」


 そうだったのか。だから、あの時アコちゃんはガジュマルを棺から取り戻したんだ。……こんな時だけど、う、嬉しいぞ。

 天音君は困っている。

 そりゃ、困るよなぁ。形見だなんて聞かされたら。


「木下さん、悪いものじゃないって分かっても駄目なの? 木下さんが捨てても怒らないっていうくらいなのに、怖いの?」


 天音君は「理解できないな」と呟いた。


「今まで知らなかった存在ってそんなに避けたい?」


 天音君が悲しそうなのは、自分がそういう存在と慣れ親しんできたからだろうか?

 それとも、捨てられる僕とガジュを哀れんでなのだろうか?

 どちらにしろ、良いやつだなぁ。

 そんな天音君にアコちゃんは頷いた。

 頷いて、叫んだ。


「だって、私には叶えてはいけない願いがあるの! あの犯人を酷い目に合わせてって!! し、し、死刑に―――死刑にしてって、出来るだけ酷い死刑に……うう、わーっ!!」


 口に出して、その願いの恐ろしさに顔を覆って泣き出すアコちゃんを、天音君がポカンと見ている。


「木下さん、キジムナーが怖かったのは……」

「願ってしまいそうだったからだよ。もしも願いが漏れて、それが叶えられたら? 私は怖くて距離を取る……そしたら、それって裏切りでしょ?」


 それ以前に、人が死ぬなんて怖いよ。

 アコちゃんはそう言って、しゃくりあげながら体操座りをして身体を丸めた。


 神様、僕はそうしてもいいですか?

 アコちゃんが願っているんです。そうだ、僕も、その願いは望むところだ。

 楓ちゃんが僕を睨んでいる。

 分かってる。そんな事しない。消滅は怖くないが、僕は、アコちゃんにそんな事させない。幸せな人生は、そんな事をしたらいよいよ成り立たなくなるんだから。

 それから、そんな願いがこの子の綺麗な胸の内に湧いて苦しめるなら、僕は傍に居ない方がいい。


――――天音君、悪いが僕を引き取ってくれないか。


 僕は天音君にそう語りかけた。

 天音君は悲しそうな顔をして、僕を見た。それから、渋々アコちゃんに言った。


「俺が持っていくよ」


 コクンと頷くアコちゃんに、天音君は付け足した。


「木下さんの事、守ってたのにな」


 アコちゃんはそれを聞くと、ポロポロ涙を零して、「ごめんなさい」と謝った。


 ガジュ、まるだ、と僕が命じるより先に、ガジュがノートに大きな大きな、ノート見開き分を使って丸を描いた。




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