初日から帰ってこない

 その日僕は、アコちゃんとガジュの帰りをもどかしく待った。

 ガジュは学校でのアコちゃんの様子を教えてくれるだろうか?

 ガジュとの言葉の壁は心配だったが、喜怒哀楽は何となくわかるし、身振り手振りも表情豊かだったからなんとかなるだろう。一応、親子なんだし。

 僕はそう楽観していた。

 

「どうじゃ調子は」


 楓ちゃんがそう言って部屋に現れた。

 彼女はアコちゃんの帰宅時間にこうして現れる。

 着替え・その他諸々の『煩悩を煽る視界』を遮りに来ているのだ。

 まぁ~僕としては?

 望むところって言うか?

 願ったり叶ったりって言うか?

 ご苦労様でぃ~す。

 と、いう感じッスね。


「おい、枯れたのかの? 返事をするのじゃ」

「あ、はい。あ、あ、やめてください」


 センスで股みたいに見える根っこを突かれて、僕は細い声で返事をした。


「調子は?」

「あ・あ……とても良いです……」

「キッショいのぉ! なんなんじゃそなたは」

「そっちこそ、事あるごとに抵抗できないガジュマルの股を責めて罵倒するなんて、そういうのお好きなんですね!」


 楓ちゃんが清々しい笑顔で『燃やす』と呟いた時、アコちゃんが帰って来た。

 僕は待ってましたとばかりに、赤い毛玉がピョコンとアコちゃんの影から現れるのを待った。

 しかし、ガジュは姿を現さない。


「あれ? おーい、ガジュ?」


 もしかして、特に役に立てなかったとか何か失敗しちゃったとかで隠れているのか? 

 僕はそう思ってなるべく優し目にガジュの名を呼ぶ。


「ガージュ、出ておいで」


 返事は無かった。

 楓ちゃんがため息をついて気の毒そうに言った。


「おらんのぅ。逃げたのかもしらんのう」

「まさか。僕の事大好きそうでしたよ」

「ポーズだったかもしらん」

「ポ、ポーズ?」


 楓ちゃんが頷く。

 アコちゃんが着替えを始めたので、構える相撲取りがズイッと僕の視界に入って来た。


「うむ。気ままな妖精らしいからの。外に出て自由になったのやも」


 僕は困惑して相撲取りに向って前のめりになる。


「で、でもマカチョーケって……」


 片腕を上げて意気揚々と「マカチョーケ!」と言っていたガジュを思い出して、僕はちょっと不安になる。思い返せばあの調子の良さそうなウキウキした感じ……なんとなく、疑わしくなってくるではないか。

 ガジュを疑い始めていると、着替えを済ませたアコちゃんが僕を覗き込んだ。 

 

「まだ少し萎れてるね。良い肥料を買ってきたから、入れてあげるね」


 アコちゃんはそう言って、学生鞄から肥料の入った袋を取り出した。

 僕の為にアコちゃんが肥料を……と思うと感激だ。

 コロコロとした粒の肥料を根元の土に撒いてもらうと、弱った樹体にグングン力が湧いてくる気がする。

 ありがとう、アコちゃん。

 しかも今の聞いたか?

 アコちゃんが僕に話しかけてるんだぜ……。

 僕は喜んで、ちょっとガジュの事を忘れた。

 アコちゃんは椅子に座り込み、机に頬杖をついて僕を眺めた。すごくかわいい。

 急速に葉が艶々になりそうな僕の前で、アコちゃんは「ふぅ」とため息を吐いた。

 今日もアコちゃんをしょげさせる事があったのだろうか。全く、ガジュのヤツ、一体何をしているんだ。

 ヤキモキしていると、アコちゃんがちょっとだけ笑って、


「今日は、不思議な一日だった」


 と、呟いた。


「嫌な授業が自習になったり、自販機のジュースがもう一本当たったり、失くしたハンカチを届けて貰ったり……ふふ、不思議だったな」

 

 それを聞いた僕は雷に打たれた様に驚いた。

 ガジュ、めっちゃ仕事しとる!!

 アコちゃんはよっぽど不思議に感じた一日だったのだろう、思わず、という様子で僕に語り掛けていた。 

 愕然とする僕の葉を、アコちゃんがちょんとつつく。


「ガジュマルのおかげかなぁ」


 でへへ、そうです。

 そうなんだけど、だとしたらガジュは一体何処へ行ってしまったんだ?

 アコちゃんの鞄の中で昼寝でもしていてくれたらいいのだが、アコちゃんが明日の準備の為に鞄の中身をひっくり返しても、赤い毛玉は飛び出して来なかった。

 気まぐれらしいから、もしかしてアコちゃんが家に帰った後、何処かに寄り道でもしているのだろうか?

 あの毛玉が何を考えてどう行動するか、僕には全く予想が付かない。

 気もそぞろでいると、アコちゃんが僕に向って手を合わせた。


「?」


 驚いていると、アコちゃんはコッソリ囁く様に僕にお願いをした。


「ガジュマル、お願い。今日みたいに、明日もアイツが寄ってきませんように。」



 アコちゃんが寝付いてからも、僕は悶々と考えていた。

 楓ちゃんも机に腰かけ(彼女は僕より目線が低くなるのが嫌で椅子に座らない)、首を傾げている。


「アイツって誰だ」

「誰じゃろうなぁ」

「アコちゃんを苛めたりしているんだろうか」

「娘っ子の様子から、その線は濃いのぅ」

「ムッキャー!! 許せん!! 八つ裂きだ!!」


 僕は激高し、葉をざわつかせる。

 楓ちゃんがそんな僕を宥めた。


「落ち着くのじゃ。そなたはここから一歩も動けん。何か知りたければ、ガジュに尋ねればいいのじゃが……何処に行ってしまったんじゃろか」

「夜には帰るだろうと思っていたけど、全く現れませんね」

「うむ。娘っ子の話を聞く限りでは、逃げたとは思えんのじゃ」


 僕は頷いた。ガジュマルだって頷く事くらいは出来る。


「一体どこに……もしかして、力を使い果たして消えてしまったとかないですよね!?」

「ううむ、あり得なくはないのぅ」

「うわ、ひゃっ!」


 僕は奇声を上げて慌てふためいた。

 まだ今日の今日産んだばかりなのに!

 アコちゃんの言っていた『アイツ』が凄く気になるのに!

 しかも、アコちゃんのハッピーが今日で終わってしまうじゃないか。


「どうしたらいいんだ。また産めばいいのか?」


 僕が根っこの股みたいに見えるところをジッと見つめると、楓ちゃんが嫌悪感を露わにセンスで口元を隠した。


「また産めばいいとな? なんという薄情さじゃ。そなたは父じゃろがい。もっと必死に探そうとは思わぬのか!」


 僕はふてくされて「へぇ、どうやってです?」と、返事をした。

 僕には股(みたいな根っこ)はあれど、歩き回る足は無い。

 

「ふん、足はないがの、絆はあるじゃろ?」

「絆?」

「そうじゃ。親子の絆じゃ。そなたがあの娘っ子との絆にしがみ付いた様に、ガジュにもやってみるのじゃ」

「そんな事……」


 ピッ、と、僕にセンスが突き付けられた。


「産んだじゃろうが。いや、産めたじゃろうが。アレに比べれば、軽いと思うがの」

「……」

「それとも、やはり一度上手くいった方法を取るのかえ?『また産めばいい』と。ガジュが実に憐れじゃ。名前まで付けたというのに」


 パシン、と、センスを手のひらで打ち鳴らして楓ちゃんが厳しい声で言う。

 僕は身を竦めてその音を聞いた。

 それから、ガジュの小さい姿を思い返す。

 初めて見た時は正直奇妙さに引いたし、何言っているか分からないし、動きがちょっとカサカサしていて受け付けないっていうか、見つめられると落ち着かないっていうか、全体的にやっぱり引いたんだけど、産まれてくれたのは凄く嬉しかった。

 アコちゃんの笑顔も、本当に久しぶりに見る事が出来た。

 ガラス鉢に突っ立っているしかない僕に比べて、お前は凄いよ……。

 どうか戻って来て欲しい。

 元気に跳ね回る姿を、もっとたくさん見せてくれよ、ガジュ。

 

―――一体どこにいるんだよぉ!


 一心にガジュの行方を想ったその時、小さな声がした。


―――アギジャ……。


「ん!?」


 慌てて楓ちゃんを見ると、不思議そうに見返された。どうやら今の声が聴こえなかったみたいだった。


「どうしたのじゃ?」

「今、アギャギャって聴こえた」

「ガジュかの!?」

「わからない。おーい、ガジュ!」


 僕は必死で呼びかけてみた。

 すると、やっぱり何か聴こえる。


―――アキサミヨー……。


「ガジュか!?」


 名を呼ぶと、泣きそうな声が返って来た。


―――デージナトン……。


「お前何処にいるんだ!?」


―――チャースガ……。


 ガジュはいかにも弱り切ったという声で「ナダソーソー」と呟いて、それ切り何も聞こえなくなってしまった。

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