産んだから名前をつける

 僕は無事に何かを産んだ。

 出産の樹体的・精神的な衝撃の為に失った意識を再び取り戻すと、死神幼女が小さな何かを手のひらに乗せ、子守歌を聞かせあやしてくれていた。薄っすらとカーテン越しに射す朝日に照らされた表情は柔らかくて、優しかった。

 こんな顔も出来るんだな、と、ぼんやり眺めていると、意識を取り戻した僕に気が付き、すぐにいつものツンとした顔に戻ってしまった。


「本当に産んでしまうとはのぅ」

「は、はい。産めました!」


 誇らしげに、けれど少し半信半疑な気持ちで答えると、幼女は僕の方に手をスイッと近づけ、手のひらの上にチョコンと座る小さなものを見せてくれた。


「そなたの産んだキジムナーじゃ」

「うわあ……?」


 それは、丸くて赤い小さな毛むくじゃらだった。

 幼女が僕に良く見えるように、更に手を近づけると、毛むくじゃらから小さな二本の足が伸びてスックと立ち上がった。

 僕はびくっとして、ちょっと幹を反らす。

 次いで、二本足の毛むくじゃらの毛の隙間からキョロッと二つの丸い目玉が瞬きをして、僕を映した。

 え、ナニコレ?

 

「な、なんか想像と違います」

「そなたの子っぽいではないか」

「そうですか……?」


 僕はキジムナーを良く知らないけれど、幼い子供の姿をしていると思っていた。

 けれど、目の前のやつは童っぽいところは辛うじて裸の足だけだった。

 足をワシャワシャ動かし、幼女の手のひらの上をクルクル走り回っている様子は、奇妙の一言に尽きた。


「よくよく見れば、かわゆいぞ」


 僕の意識が戻るまでキジムナーをあやしていた幼女は、僕より先に情がわいているみたいだ。


「ほれ、そなたの父じゃぞ」


 幼女がキジムナーに僕を紹介している。

 キジムナーは正気があるのか無いのか判らない丸い目玉をクリクリさせて、僕を覗き込んで見ている。見てる。こっち見てる。


「は、はじめまして。キジムナー」


 パパだよ、と、名乗るのを躊躇っていると、幼女が言った。


「なんぞ、味気ないのぅ。望んで産んだ子ではないか」

「そう言われましても、人型じゃないのがちょっとショックで……」


 サイズはミニサイズだと予想はついていたものの、てっきり自分からは人型の妖精が生まれると思い込んでいた。

 幼女は目を吊り上げた。


「自分の子に何を言うか、そなたとてガジュマルではないか」

「そうなんですけど……」

「嘆かわしいのぅ! 生み出しておいて、見た目で判断する気か!」


 よっぽど許しがたい事だったのだろう、幼女は死神という名に恥じない程の恐ろしい形相をして僕の幹を掴んだ。


「そなたみたいのがおるから、儂らは酷い目に合った子供の手を引く羽目になるのじゃ!!」

「そ、そんな飛躍しないでくださいよ」

「マタニー!」


 慌てる僕と怒る幼女の間に、ピョンとキジムナーが飛び出し、なんか鳴いた。


「わ! 鳴いた!?」


 驚いている僕を背に庇い、キジムナーは「マタニーマタニー」と幼女に鳴く。


「な、なんじゃ?」

「変わった鳴き声ですね」

「そなたが股股言っておったからではないかの……?」


 キジムナーは、怒りがポロリと落っこちてしまった幼女に「マタニ」と鳴いた後、今度は僕の方を見て、ほぅ……とため息を吐く様に鳴いた。


「ウッサン」

「な、誰がオッサンだ」

「ニフェデービル」


 よく分からないが、キジムナーがペコリとお辞儀らしき仕草をしたので、僕もつられて幹の上の方を下げた。

 

「お、おう……」


 キジムナーは嬉しそうに僕の根っこの方に飛び跳ねて来て、ピトリと抱き着いた。それから、幸せそうにそっと囁いたんだ。


「スー♡」


 いや、何言ってるか全然わからん。


「ちょっと、こいつの言葉分からないんですか?」


 神様でしょ? と、言いかけて黙る。

 幼女があらかじめムスッとしていたからだ。多分、キジムナーの言葉は分からないんだろう。

 

「ふん、どうせ儂は全能でない死神じゃ」


 出産中に僕が言った事を気にしとった。なんだ、ちょっと可愛いな!


「ま、まあまあ。じゃあ、こいつの育て方とかはわかりますか?」

「フン、子は親から学び、親もまた子から学ぶのじゃ!」


 妖精の育て方も分からないらしい。もうただの幼女じゃないか。

 僕の苦笑いに、幼女は更に機嫌を悪くし、言った。


「そなた、自分の子をコイツなどと呼ぶでないのじゃ!」

「だって、なんて呼べばいいんです?」

「名前を付けてやればよかろう」


 キジムナーはそれを聞いて、ピョンと飛び上がってクネクネした。


「ウッサン、チムドンドン」

「それ名前か? 呼びにくいな、キジムナーじゃダメか?」

「そなただって『人間』や『男』と呼ばれたら詰まらんじゃろ」

「なるほど……じゃあ、チムドンドン?」


 本人が名乗っている様子なので、そう呼ぶのが良いだろう。

 しかし、幼女は小首を傾げて否定した。


「いや、『オッサンはチムドンドンね!』って言っとるんじゃろ?」

「僕が名づけられたの!?」


 キジムナーが膝を横向きにくの字に曲げ、小枝の様な両腕をハの字にしてポーズをとって、目をキラキラさせて僕を見ている。名前を期待している様子なので、やっぱり僕の名が『チムドンドン』なのかもしれない。


「じゃ、じゃあ……ガジュマルから生まれたから『ガジュ』にしよう」


 キジムナーが、くの字に曲げた足の片足だけをチョコンと伸ばし、踵でアコちゃんの勉強机の天板をトンと鳴らした。

 うんうん。どんな感情かサッパリ分からん。


「ええと、君は『ガジュ』だよ。……どうかな?」

「ウッサン!」

「なんだよ」

「ニフェーデービル!!」

「お、おう」

「スー♡」


 キジムナー……いや、ガジュがペコリと頭を下げたので、僕は何となくだけどガジュが名前を受け入れてくれたのだと思うことにした。ピョンピョン跳ねて、嬉しそうだし。

 嬉しそうなガジュを見て、幼女もほんのりと嬉しそうにしていた。

 僕は彼女の名前も気になってきた。これから付き合いが長くなりそうだったし、いつまでも幼女って呼ぶのも忍びなかったから。


「死神には名前、あるんですか?」


 僕の問いに、ちょっと驚いたみたいだ。幼女はキョトンとしてから頷いた。


「あるぞ」

「教えてください」

「死神の名を知りたがるとは、珍妙なヤツじゃ」

「カナサン!」


 ガジュが幼女の肩に飛び乗って、会話の間に入って来た。

 幼女はガジュの毛にくすぐったそうに笑って、答えた。


「カナではないのじゃ。儂はカエデという名じゃ」

「楓ちゃん?」

「気安くちゃん付けするでない!!」

「楓ちゃんか~、可愛い」

「カナサン!!」

「親子で馬鹿じゃの……」


 楓ちゃんが排水溝のヌルヌルを見る様な目つきで僕を見ていると、ピピピ、とアコちゃんの目覚まし時計が鳴り始めた。

 

「アコちゃんが目を覚ますぞ!」


 早速、ガジュの出番だ。目覚まし時計の音に驚いて僕の幹に抱き着くガジュに、僕は呼びかける。


「いいか、ガジュ。君はあの子――アコちゃんにくっついていって、学校での様子を僕に教えてくれ」


 言葉が通じるか不安だったが、頼むしかない。

 ガジュは「チュラカーギー……」と呟いてアコちゃんを見ていた。

 

「おい、僕の言った事わかったか?」

「ン・ン、マカチョーケ!」


 ガジュはポワッと毛を膨らませ、答えた。

「任して!」って事かな? と、何となく分かって、頷く。


「頼んだぞ。ついでに、もしも君に力があるなら、悪い事から守ってあげて欲しい」


 欲張る僕に、ガジュはまた「マカチョーケ!」と答えて、ぴょーんと跳躍した。

 そのまま、ベッドで気だるげに伸びをするアコちゃんの方にペチョッとくっつく。コイツ、引くほど跳躍力があるな……。

 アコちゃんは当然ガジュが見えないから、変な手足の生えた赤い毛玉が飛びついて来ても、肩の方にチョコチョコ登って来ても全然気づかずに着替えを始めた。

 アコちゃんは、服を脱ぐときはボタンから、とか湯船に入るときは右足から、という、決まった習慣を持たないので、今日はボタン外しからじゃなくて、パジャマのズボンを一気に下した。

 あ! と、声を上げるより前に、構える相撲取りの写真が視界を埋める。

 今にも突進してきそうな相撲取りの写真は楓ちゃんのセンスの柄で、僕はアコちゃんの着替えタイムに毎回この相撲取りを見せられている。楓ちゃんはこの相撲取りのファンなんだそうだ。

 僕からしたら苦痛でしかない。

 げんなりしていると、アコちゃんが着替えを済ませて僕の傍へ来た。

 そして、指先でそっと僕の葉に触れ、眉を寄せる。


「なんか、萎れてる……お水のやり過ぎかなぁ」


 アコちゃんが心配そうに言った。

 原因は出産による消耗なんだけど、アコちゃんはそんな事知らなくて良いや。

 アコちゃんは少し考えた後、もっと日の当たる位置に僕を移動させた。


「……行ってきます」


 行ってらっしゃい、アコちゃん。気を付けてね。


「ガジュ! 頼んだぞ!」

「マカチョーケ!」 


 おお、流石僕から生まれただけあるな。調子だけは良さそうだ。

 ガジュはアコちゃんの肩から片腕を振って、部屋を出て行った。


「大丈夫かな」

「知らんがな。そなたは動けぬままじゃが、どうするつもりじゃ?」

「そこなんだよ。盲点だったなぁ。分身みたいに考えていたけど、綺麗に別人格だった」

「……まぁ、報告役くらいにはなるじゃろ」


 僕は満足気に頷いた。

 そうだ。マカチョーケって言ってたもんな。意味わからんけど、意気込みは通じたぞ、ガジュ。

 楓ちゃんが、場所が変わって日が当たり過ぎる僕の為に、カーテンを閉めてくれた。


「あ、ありがとうございます」

「うむ。そなたは少し休むといいのじゃ。娘っ子の言う通り、少し弱っておる」


 楓ちゃんがそう言った矢先に、僕のガラス鉢の傍にパタリと一枚葉が落ちた。


「わわわ!?」

「ほれほれ、休め休め」

「はい……おやすみなさい」


 おやすみなさいを言った僕に、返事は無かったけれど、ふふっと優しく笑う息遣いが聴こえた気がした。


 ああ、ガジュは一体どんな報告をしてくれるかな……楽しみな様で、少し心配だ。

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