君の為なら僕は妖精を産める②

 僕は小さなガジュマルの樹になって、アコちゃんの部屋の勉強机に飾られた。

 なんて事だ、と、愕然として、アコちゃんの部屋を見渡す。

 アコちゃんのプライベートが何もかも丸見えだなんて、こんな事許されていいのだろうか?

 これは僕の意に反する境遇だ。

 アコちゃんの部屋に正々堂々存在出来るとは、全くもって最高……に遺憾である。何故か心浮かれる気がしないでもないけれど、きっと混乱しているんだ。だって植物になった事なんてないもんな。

 いや~。もうしょうがない。ここからこうして、アコちゃんを枯れるまで見守ろう。

 僕は腹を決めた。だってしょうがないじゃないか。

 アコちゃんは僕に水をくれると、すぐにふらりと部屋を出て行ってしまった。

 きっとママとリビングで過ごすんだろう。アコちゃんとママはとても仲が良いから。

 アコちゃんのママの事は良く知っている。きっとアコちゃんと悲しみを分かち合って、支えてくれることだろう。

 電気の消されたアコちゃんの部屋でそんな事を思いめぐらせていると、突然目の前に光が溢れ、僕が死んだ時に迎えに来た死神幼女が現れた。

 僕は慌てて観葉植物の真似をしたが、すぐにバレた。

 幼女は僕の収まっているグラス鉢ごとヒョイと持ち上げて、僕を覗き込んだ。


「おいおい、珍奇な事になってしまったのぅ」


 僕は葉をすこしそよがせ、喋れるかどうか躊躇してから「はい」と返事をしてみた。

 その返事は、幼女に届いた。


「まさか、これが願いだったのではなかろ? これでは変態が過ぎるぞよ」

「も、もちろんです。僕はアコちゃんを見守りたかっただけで……」

「ガジュマルの樹からしたら、こうするしかなかったというわけじゃな」

「やっぱりこれはガジュマルの力なんですか」


 幼女が頷いた。


「おそらく、そなたの気が済むまで樹体を貸す気なんじゃろうな」

「そうすると、僕は幽霊なんですか? ガジュマルなんですか?」

「知らんがな」

「アコちゃんが幸せな老衰をするまで見守る事は出来ますか?」

「そんなに!? そこまでは想像しとらんかった……ガジュマルもビックリじゃろな」


 僕は枝葉をしょげさせた。


「ダメでしょうか。もしかして、今すぐ迎えに来たとか?」

「いんや、別にダメではないのじゃ。ただ、儂は忠告に来たのじゃ」

「忠告?」

「うむ。こういう奇跡的に与えられた期間中に悪事を働くと、そなたらのいうところの成仏やら天国やらにはありつけぬのじゃが」


 と、幼女は言葉を切ってアコちゃんの部屋を見まわした後、僕の事をまるで不審者かのようにジロリと見た。


「大丈夫かの~?」

「だ、大丈夫です。僕はアコちゃんに危害を加えません!!」


 慌てて言う僕に、幼女は更に疑わし気な表情を向ける。


「しかしのぅ、じぇーけーの部屋に観葉植物としてしれっと居座るのは悪じゃなかろうか」

「ですが、僕はもう人間でも男でもなく、ガジュマルですし、大丈夫です!」

「……なんかのう、『お医者さんだから大丈夫』みたいじゃな。良いか、邪と奇跡は相容れぬ。爪の先程でも悪事を働いた際には、即刻お主はガジュマルから弾き飛ばされるからの。そして儂はお主をあの世へ連れて行く。よく聞け、その先が良い所か悪い所かは、儂の知るところではないぞよ」


 僕は悪魔に魂を売るくらいの気持ちで「わかりました」とまじめに答えた。

 幼女は「なんかのぅ……」と、マロ眉をしょんもりさせる。

 僕は幼女を安心させようと、真摯な声音で請け負った。


「大丈夫ですよ」

「いや、そうじゃなくてのぉ、不可抗力でやっちまうって事もあるじゃろ?」


 幼女は細い腕を組んで少し考えた後、「そうじゃ」と顔を上げた。


「そなたがラッキースケ……悪の道に堕ちぬ様に、儂が協力してやろう」


 そう言うと、僕がポカンとしている間に、にんまり笑った。

 笑顔の中に幼女とは思えない妖艶さが香って、僕はドキリとする。

 幼女は僕の気まずさに全く気付かずに、ふわりと浮かび上がると空気にとける様に消えてしまった。

 再びアコちゃんの部屋が真っ暗になる。

 僕は暗闇の中で息を潜めた。

 何となく落ち着かなくて、


「おーい?」


 と、小声で呼び掛けてみたが、返事は無かった。



 数か月が経った。

 アコちゃんはしばらくママにピッタリくっついて過ごしていたが、ようやく自分の部屋で過ごし始めたので、僕は喜んだ。

 僕はアコちゃんが早く立ち直るのを願っていた半面、そうなると少し寂しい。

 アコちゃんが僕を見つめて涙を零すと酷く悲しいのに、嬉しくなってしまう。

 泣かないで、と願うのに、僕を失った事を悲しんで欲しがっている。

 自己嫌悪で参っていると、もっと気の滅入る事が起こった。

 アコちゃんが着替えを始めたのだ。それ自体は良い事だ。良い事って言ったらなんか僕が凄く着替えを期待していたみたいだけど、そうじゃない。そうじゃないぞ。

そうじゃなくて、アコちゃんがパジャマのボタンを三つほど外した時、僕の目の前に死神幼女の顔がアップで現れた。


「え」


 と、僕は声を上げた。

 幼女が切れ長の目を吊り上げる。


「え、じゃないわい。そなた今、覗きをしそうになっておったんじゃぞ。悪い事をすると奇跡が無くなると言うたじゃろが」

「な、僕は覗きなんてしません!」

「ボタン二つ目まではそなたを信じておったがのぉ」

「ちが……だ、だって僕には瞼が無いんですよ!」

「おー、おー、まあそういう事にしておいてやるわい」


 幼女は袖で口元を隠して言った後、僕の視界からひょいと顔をどかした。

 広くなった視界の中、アコちゃんは学校の制服に着替え終わっていて、胸に両手を当てて深呼吸していた。


「お主が死んでから、初めての登校じゃの」


 幼女がそっと僕に耳打ちする。

 僕は静かに頷いた。

 人が死んだ事件に巻き込まれた後は、どんなに登校し辛いだろうと、心配になる。

 アコちゃんは深呼吸が終わると僕の葉を指先で撫でて「行ってきます」と、か細い声で言った。

「がんばれ」と言う僕の声は、アコちゃんに届かなかった。



 クラスメイトの好奇の眼差しに晒されていやしないか。

 逆に必要以上によそよそしくされていないか。

 登下校の最中にしつこいマスコミに追い回されやしていないか……僕は昼過ぎまで色々な心配をして過ごした。

 そして自分に起こった奇跡の欠点に身もだえした。

 ガジュマル、動けない。

 一番安全な自分の部屋にいるアコちゃんしか、見守る事が出来ないのだ。

 それはかなり意味が無い事の様に思えた。これではベッドの下や天袋に潜り込んで「むひひ……」となる奴らと変わらないじゃないか。

 

「儂は割と早めにそれを忠告したではないか……」


 アコちゃんの勉強机にチョンと腰かけて、幼女が呆れている。


「アコちゃんと会話は出来ないんですか?」


 会話が出来たら、励ましたりアドバイスしたり出来る。


「無理じゃ」

「だよなぁ」

「第一、気色悪いじゃろう。観葉植物が男の声で話しかけてきたらどうする?」


 僕は捨てる。—――嫌だ、捨てられたくない!

 再び悶えていると、アコちゃんが帰って来た。

 アコちゃんはポロポロ涙を零していて、勉強机の椅子に力なく座ると助けを求める様に僕のグラス鉢を両手で包んだ。

「どうしたの?」と、届かない声で尋ねると、嗚咽を漏らして泣き出した。

 僕はもう、一緒に泣く目も、押し潰されそうになる心臓もなかった。

 アコちゃんを抱きしめる両腕すら。

 ごめんよアコちゃん、僕はガジュマルの樹になってしまった。傍で守ってあげる事が出来なくてごめんよ……。一体どうして僕はガジュマルなんだ。せめて、ガジュマルの樹に宿るというキジムナーなら良かったのに。

 そう思った矢先、僕は良いアイディアを思いついた。良いアイディア過ぎて、根っこから立ち上がり雄たけびを上げてしまいそうだった。

 僕はアコちゃんの悲しみを一心に浴びながら、幼女に問いかけた。


「産めるかな」


 幼女は「何言ってんのコイツ、キモーイ」みたいな顔をして、僕に冷たく一言放った。


「は?」


 僕はもどかしい気持ちで幼女に答えを急いた。


「キジムナーだよ! 僕はガジュマルだろ!? キジムナーを産めるんじゃないのか!?」

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