燻る火が焦がし続けるから

「……ねぇ唯、あんまり具合よくない……?」

しまった。

夕陽が差し込む寝室のベッドの上で、私は夫から顔を隠すように寝返りを打った。

草太からスケジュールは聞いていて、帰って来る前には起きてキッチンに立っていようと思っていたのに。

目覚まし時計は自分で止めた。そこから起きてもいた。でも、どうしようもなく頭の奥が重たくて、体を起き上がらせる気力が湧いてこなくて……再び微睡んでいる間に草太が帰ってきて、寝室のドアノブの音で目が覚めた。

「良くも悪くもないよ。でも、この通り大体ベッドの上にいるし、無理もしてない」

しんしんと罪悪感が募っていく。

今日も何も出来なかった。

草太の優しさと心配に甘えて、ただ寝て過ごしてしまった。

では今から挽回で料理に勤しめるのか。答えは否。私はまだ起き上がれそうにない。

身体はどこも悪くない。悪いのは私。私が。

「気分転換にどこか行く……?」

思考の闇に草太の声が分け入ってくる。灰色の靄がかき分けられて、少し目の前が明瞭になった。

「大丈夫だってば。元々自堕落と寝るのは大好きなの。知ってるでしょ。草太は自分の事に時間使って」

どこかに行こう、と決められたなら、それが無理のない場所であれば頷きもした。でも、訊かれたら、私はどこにも行きたいわけではないのだ。

ただずっとこうして体を横たえ、何もしたくない。その自分に苛立ちを覚えながら、それでもずっと、ずうっと。

だから私に判断を委ねないで。私に何かを負わせないで。これ以上私に私を嫌わせないで。

ギッ……とベッドが軋んだ。

背後でベッドに乗り上げた草太の気配。その片肘が私の前でシーツにつく。

私の頭を両腕で囲い込むようにして。

「……唯と一緒にいるのが、俺にとって自分のための時間だよ」

窺うような目に見下ろされる。

今の私は接触を許す状態か、そして『そういう事』に進んでも拒絶反応がないか。恐る恐る近づいて来る唇は受け止めたけれど、私は口を開けなかった。

軽い口づけで身を離した草太が、諦めたように笑う。

「……ごめん。多分、無理……」

「いいよ。俺こそごめん」



※※※



私達は今31歳だ。

結婚したのは、28歳の半ばかというところ。

私が劇団を……芝居を辞めたのは、29歳になる頃。

草太の華々しいデビューからトントン拍子の階段上がりを間近で眺めていく内に、私の中の情熱の火が急速に萎んでいくのを感じたのだ。

『ああ、こんなものなんだ』と、思った。

夢を追う人間の中から、一握りだけが辿り着く場所、その道筋を、当事者でなく、その横で目の当たりにして……私はそこに行く事はないのだと、思ってしまった。諦めてしまった。自分で、無理だ、と線を引いてしまった。

もしかしたら、諦めないでいれば、何年、何十年かかろうと、到達できたかもしれない、……可能性の芽さえ、私が自ら摘む行為。

そうしたら、絶望感よりも先に、安堵している自分がいた。

これでもう頑張り続ける必要がないという事。私は、真っ暗であてもない道を、もう進まなくていい、のだと。

けれども、これが私にとっての茨道の始まりだった。

劇団を辞めた私は、元々働いていたアルバイトのシフトを増やして、正社員になろうとした。でも、出来なかった。

端的に述べれば、体がおかしくなった、の一言に尽きる。

眩暈、動悸、息切れ、頭痛、倦怠感、吐き気、浮遊感、腹痛、耳鳴り、不眠、拒食。

それまで身体が資本だ、と健康を維持していた自分にとって、未知の不具合ばかりが怒濤に押し寄せてきた。

都度、医者にはかかった。どれもこれも症状の緩和はあれど、治りはしなかった。

最終的に連れて行かれたのは、心療内科。

なんのことはない、目的を失った私は、そのまま生きる目標すらも見失って、心身症に陥っていたのだった。


それから月日が経過して、私は私との付き合い方を少しずつ学んでいた。草太も一緒に、考えてくれている。

生きていたくないけれど、死にたくもないのだ。叶うはずもない望みとしては、出来れば生まれなかった事にして、存在の抹消をして欲しい、となる。なんとも面倒だ。

だから、今はただただ、大人しく生きている。

私が元に戻る事はない。

楽にはなれない。

自分で線を引いたくせに、諦めた行為自体に憤って、でも戻る勇気ももう振り絞れなくて。

私はずっと、自分自身を苦しめ続けている。

情熱の火が、私の酸素を奪っているから、……ああ、今日も、呼吸がままならない。

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一等星の夫、クズ星の私 透義 @togi_tamaki

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