私とアイツ

売れない劇団員同士の結婚だった。

大蔵田草太おおくらたそうたと、私、旧姓、澤口唯さわぐちゆいは、同じ劇団に所属する同級生で、私の方が一年早く在籍していたというだけの、先輩と後輩という間柄だった。交際が始まった時期は特に覚えておらず、お互いに、気が付けば隣にいた、という認識だと思う。

社会に出てから芝居を始めた同士、境遇と価値観が似通っていたのかもしれない。

二人とも食い扶持の確かではない同劇団員のフリーター暮らしで、同棲ならともかく結婚は……という反対の声は、まぁあったにはあったが、こちとら親はいないし、アイツの方も理解のある母親がひとりで、いわゆる地味婚という結果で収まった。

結婚する事に夢があったわけではなく、将来への漠然な不安を一人で抱えて生きていくよりは、一緒に助け合えそうな相手が居たから、という理由だった。


けれど、私の見通しは、全くあてが外れていたのだと、気づく事になったのは、草太と結婚してからおよそ半年後。

夫は、芸名を大倉颯おおくらそうとして改め、お茶の間に顔が知れ渡る程の有名人になっていた。


きっかけは、籍を入れた後最初の舞台。

客演に、演技派女優の松屋まつやリーサを迎え、私達の劇団にしては異例となる大きな案件だった。

そこに客演目当てで観劇に来ていた大御所映画監督の目に、草太の姿が留まったらしい。

急病で降板が決まってしまった助演男優を探すため行脚していた彼に大抜擢され、草太は初の映像芝居ながらも大成功を収めたのだ。


そうして、私達の関係は【売れない劇団員同士の夫婦】から、現在は【有名俳優の夫と、元劇団員仲間の妻】へと形を変えた。

後者だけを知る世間の人々は、メディアに煽られた情報で、私の事を青田買いの目があったとか、若い才能を信じて支えた内助の功だとか、天涯孤独な身の上からのシンデレラストーリーだとか好き勝手に言っていた。

劇団の仲間は、半分揶揄するように私の事をあげまんだとか嘯いていたっけ。

草太が急激に売れ出した頃、その持て囃しの一環で、既婚者である事を取り沙汰されたのだが、私の周りが騒がしくなる寸前で事務所から牽制が入り、余程劇団員時代からのおっかけファン以外には私の顔が知られる事はなく済んだ。

草太が舞台から映像に演技の場を移すタイミングで、私も劇団を辞めていたのも露出を防ぐ一因だっただろう。


元々、草太は185センチの背丈としなやかな身のこなし、爽やかな顔で、見栄えはよかった。ただもうひとつだけ何かの要素が足りず看板俳優には及ばない、劇団員の中ではそういう評判だった。その一歩を抜け出させたのは、大御所監督の手腕だろう。

私には、その要因はわからないまま……けれど今では明確に開いてしまった自分との差をまざまざと感じている。

私はもう芝居を辞めているのだから、そもそも比べる事自体が御門違いだと、わかってもいる。自分自身に対して諦めをつけて決断したのだから、それで鬱屈していても仕方がない、と、わかってはいるのだ。けれど……。


それから、かれこれ二年は経つだろうか。一過性ブーム俳優の佳境もくぐり抜け、大倉颯は、実力派俳優の位置を確立させていた。

「昔はあんなに下手くそだったのにね……」

第一線の現場で磨かれれば、成長速度は言うまでもない。

先輩風を吹かせて、逆に失笑を喰らうのは、今となっては私の方だ。


※※※


「明日は?」

風呂から上がってベッドに潜り込んで来た草太の方に向き直る。私がもう寝ていたと思っていたのか、少し驚いた顔をしてから返される。

「ええと、……早いよ。できたら5時に起こしてほしいかな。あと味噌汁飲みたい」

「やだよ。私はあんたのお母さんじゃないからね」

「……ぁー、そだね。ごめん今の、なし」

間髪入れずに断られ、草太は鼻の頭を掻いた。申し訳なさそうに眉尻が下がっているのが暗い照明でも見えた。

「うそ。いいよ朝ご飯作って起こすくらい。見送ったら二度寝すればいいだけだし?」

「……そっか、ありがと。唯はとっても優しいくて、できた奥さんで嬉しいよ」

枕に頭を下ろしてから、腕を伸ばして私の頭を撫でてくる。

「すぐ二度寝するって言ってるじゃん。後片付け放置の、どこができた奥さんなの」

「朝すごい苦手なのに、いつも俺に付き合って起きてくれて、いってらっしゃいって言ってくれるだけで、十分すぎるくらいだよ」

草太は、私に対しての評価ボーダーがかなり緩い。緩すぎる。

「何にもしてないんだもん。それくらいは……するでしょ……」

罪悪感を滲ませて卑屈に吐露する私に、草太は何も言わずに微笑むだけだった。

今日も、許された。

明日とか、多分一週間後くらいなら、これが続くと思える。

でも、一か月後は?半年後は?一年後は?三年後は?

どうしようもない恐怖が胸の底から湧き上がってきて、息が浅くなる。

草太が私の頭を引き寄せて抱き込むと、規則的な鼓動が聞こえる。

「大丈夫だよ、唯。おやすみ」

眠れるかはわからないけれど、目を瞑る事はできるから、私も小さくおやすみと呟いた。

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