Everything in Its Right Place
ロンディム奪還翌日の朝。
俺はタクシーにエリウとヒトミとカルラを乗せて、ロンディムの南へと走った。タクシーによると、元の世界へ戻るだけなら別にどこでもいいのだが、事情を知らない者が紛れ込むと何かとややこしくなるため、なるべく人目につかない場所で行う必要がある。エリウやカルラを含めて、異世界人を向こうの世界に連れていくことはリスクを伴う行為らしいのだ。俺たちが来る分には何の問題もなかったのに、ややこしいもんだ。
ロンディムから1キロほど離れた草原でタクシーを停め、俺たちは一度全員タクシーを降りた。カルラがヒトミに抱き付き、ポロポロと涙を流しながら言った。
「寂しくなるよぅ、ヒトミ~」
ヒトミは自分より一回り近く年下の親友の頭を撫で、こちらも目を潤ませている。
「あたしもだよ……でも、またそのうちきっと、こっちの世界にも顔を出しに来るからさ。カルラに会いに」
「本当? 約束してくれる?」
「うん、約束」
別れを惜しんで抱き合う二人を、俺とエリウはしんみりと眺めていた。
「本当にすぐ帰って来られる? ケンタ……」
「ああ。ヒトミを降ろしたらすぐ、またこっちの世界に帰ってくる。だから、そんなに寂しがるなって」
「うん……わかってるけど」
微かに声を震わせながら、俺の胸に顔を埋めるエリウ。
「でも、たとえほんの少しだとしても、この世界からケンタが消えてしまうんだと思うと、どうしようもなく寂しいの……」
「ったく、しょうがねえ奴だな。さっきまであんなにベタベタしてたじゃねえか」
「でも……いいえ、だからこそ、かしら。離れ離れになるのが、ケンタの肌に触れられなくなるのが怖くて……」
「離れ離れになんてなりゃしねえよ。エリウのここには、俺の分身がたっぷり詰まってるじゃねえか」
エリウの下腹部を指先でツンツンとつつくと、エリウはビクリと体を震わせた。
「んっ、やめてよ、まだ垂れてるんだから……」
「それが止まる前に帰ってくるから、安心しろって」
「エリウちゃん? ちょっといい?」
ヒトミが屈託のない笑みを浮かべながらエリウに声をかける。
「あ、はい、巫女さ……ヒトミさん」
「あはは、呼び方なんて気にしなくていいよ。あたしね、初めてエリウちゃんを見たとき――そう、運転手さんに襲われてるところをエリウちゃんに助けてもらったときからずっと、エリウちゃんが羨ましかった。ううん、それだけじゃない。ぶっちゃけて言うとさ、ちょっと嫉妬してたんだ」
「えっ……嫉妬?」
ヒトミの思わぬ告白に、エリウの表情が固まった。
「うん。あたしよりずっと若くて綺麗で、純粋で、イキイキしてて……。しっかり生きる目的があって、サンガリアの人達に必要とされて、なんていうか、子供の頃に憧れたアニメかドラマのヒロインみたいでさ。でも、そんなコを実際目の当たりにしちゃうとね、憧れよりも、悔しさのほうが勝っちゃったんだ。どうしてあたしはこんな風になれなかったんだろう、あたしもエリウちゃんみたいな人生を送ってみたかったのに、って」
「そんな、私だって嫉妬されるような人間じゃありません……ヒトミさんだって、剣の稽古をすれば、今からでも……」
すると、ヒトミはプッと吹き出しながら破顔する。
「あははは。違う違う。そういうんじゃないんだ。あたしはもう無理。エリウちゃんみたいに純粋にもカッコよくもなれないよ。中学生の頃、初めて好きになった人にレイプされてから、もう何が何だかわかんなくなって、頭がブッ壊れちゃったんだ。あたしはもう綺麗な人生なんて送れない。だから、そう――もし生まれ変われたとしたら、今度こそエリウちゃんみたいな生き方をしてみたいなって、今は思ってるよ」
さらりと明かされたヒトミの壮絶な過去に、エリウは眉根を寄せ、慎重に言葉を選びながら答える。
「そう……だったのですか。あの、何の慰めにもならないかもしれませんが、我々サンガリアには、輪廻転生の信仰があります。ヒトミさんが心から願えば、来世にはきっと……」
「そうだといいね。ありがと、エリウちゃん……じゃ、運転手さん、そろそろ行こうか」
ヒトミを後部座席に乗せ、俺は再びタクシーのエンジンをかけた。
「ご利用ありがとうございます、〇〇交通の佐藤と申します。お客様、どちらまで?」
「あはは。なあに運転手さん、急にかしこまっちゃって。まるで本物のタクシーの運転手みたいじゃない」
「本物の運転手だっつの」
「あ、そういえばそーだった。じゃあ、あたしたちが暮らしてた元の世界のH――まで、お願いします。なんかすごく懐かしいね、この会話も」
「かしこまりました。さて、タクシー、これからどうすればいいんだ?」
車内に耳慣れたイケボが響き渡る。
「特別なことは何もない。ギアを最高まで上げて、アクセルを踏み続けるだけだ」
「了解、んじゃ行くか」
シートベルトを締め、クラッチを踏み、ギアを上げて、アクセルを踏み込む。スピードメーターの針が10を超え、20を超えて、バックミラーに移るエリウとカルラの姿がみるみる小さくなっていった。窓の外の風景が恐ろしい速さで後ろへ流れてゆく。気付けば、いつの間にか速度は100キロを超えていた。
と、見渡すかぎりに草原が広がっていたはずの景色が突然極彩色に変わったかと思うと、その一瞬のちに、周囲は完全な暗闇に包まれる。ヒトミを乗せて異世界にやってきた、あのトンネルのような暗闇。東京のクソ汚ねえ空気とゴミゴミした生活感が急に思い起こされ、俺は何とも言えない懐かしさに襲われた。
後部座席のヒトミが呟く。
「はぁ、何だか、ずいぶん長い間異世界で暮らしてたような気がするね」
「そうだな……もう何年も帰ってなかった田舎に帰るような気分だ」
「運転手さんって、どこ出身なの?」
「都内」
「ぷっ。田舎なんてないじゃん、それ。あたし上京してから一度も田舎に帰ってないなあ」
「ヒトミはどこ出身なんだ?」
「熊本」
「へぇ……熊本か。熊本っていやぁ、デカい地震があっただろ。実家とか大丈夫だったのか?」
「うん、まあ熊本の中でも揺れは小さいとこだから。食器がちょっと割れたぐらいだったらしいよ。ま、帰ってないから、あんまり詳しいことは知らないけど」
地元トークなんかしてると、改めて実感させられる。
戻ってきたのだ、俺が生まれ育った世界に。
と、感慨に耽ったその刹那。
フロントガラスの向こうから迫ってきた強烈な光が視界を覆う。
「な、なんだ……?」
しかし、その光の正体を確かめる間もなく、突然強い衝撃が体に伝わり、ハンドルのエアバッグが大きく膨らんだ。
フロントガラスに罅が入り、足にこれまで経験したことのないような激痛が走る。
後部座席にいたヒトミは、運転席と助手席の間から飛び出し、フロントガラスを突き破って車外へと飛び出して行った。
(おいおい、待ってくれよ、ウソだろ……こんなところで……)
骨が砕け内臓が潰れる音がシンフォニーを奏で、俺の体は一瞬にしてボロきれのように押し潰された。
この世界の俺は不死身でもなければヒーリング能力もない、しがないタクシー運転手なのだ。
(すまねぇ……エリウ……)
お前との約束を守れそうにない。
俺の意識はそこで途絶えた。
!i!i!i!i!i!i!i!i!i
それから数時間後、空が白み始めた頃。S県警交通課に所属する中年の警官が、眠い目を擦りながら事故現場へと足を踏み入れた。
大型トラックとタクシーの正面衝突。よほどスピードが出ていたのだろう、タクシーの方は前半分が完全に潰れていて、もはや車の形を保っていない。血とガソリンと煙臭さ、それらが入り混じった形容しがたい臭気が辺りに漂い、事故の凄惨さを物語っている。
現場では既に数人の警官が事後処理や交通整理を行っており、中年の警官は事故現場を眺めながら、最も近くにいた若い警官に声をかけた。
「こいつぁひでぇ有り様だな……」
「あ、お疲れ様です!」
「目上に対してお疲れ様は失礼だって習わなかったのか、お前は。まあいい。事故のほうは?」
「あ、はい。トラックの運転手によりますと、タクシーが突然対向車線の目の前に現れて、こちらの車線にはみ出してきたとのこと。現場の状況も、トラック運転手の供述通りです。時間帯から考えても、まあ原因はタクシー側の居眠り運転でしょうね」
「ま、そうだろうな。仏さんの身元はわかったのか?」
「はい、タクシー会社とは既に連絡がとれています。運転手の男は佐藤健太、三十一歳、独身。両親は既に他界、兄弟もなく、家族や恋人はおりません。勤務態度は良好だったようですが、同僚に親しい者はおらず……あまり人付き合いのいい方ではなかったようですね」
「へぇ……ま、死んでも誰も困らない奴でよかったじゃねえか。あ、いや、客を乗せていたんだったな……客の方は?」
「はい、そちらも、所持品から身元は判明しています。乗客の名前は大澤彩香、二十八歳、こちらも独身。都内の飲食店勤務――まあ、平たく言えばキャバ嬢ですね。店に問い合わせたところ、店では『ヒトミ』という源氏名を使っていたそうです。昨夜は太客と遊んだ帰りだったようですね。店での評判は今一つで、すぐヤレるから客のウケは良かったようですが、他の嬢の客を体を使って横取りするので、同僚からは相当嫌われていたとのことです」
「なんだキャバ嬢か……ったく、こんな朝っぱらから事故なんか起こしやがって」
中年の警官は、朝日に向かって一つ大あくびをして言った。
「じゃ、あとは適当に処理しとけや」
『……るじ……の……』
『主殿……』
(ん……?)
俺の意識は、どこかで聞き覚えのあるイケボによって呼び覚まされた。
上も下もわからない。明るいのか暗いのかもわからない。
全ての身体感覚を失った俺は、あらゆる思考、知覚、情報から遮断され、完全な無の中を漂っていた。
さっきの声だって、『聞こえた』という表現は正確ではない。聴覚を失った俺に音を聞き取ることは不可能。俺の意識に直接伝わってきた、と言うべきか。
(誰だ……俺を呼ぶのは……)
『主殿、私だ……タクシーだ……』
(タクシー……?)
タクシー、主殿……その単語が、意味消失していた俺の記憶を繋ぎ合わせる。
そう、俺の名前は佐藤健太。しがないタクシー運転手で、サンガリアの救世主。
「タクシーか! いったい俺はどうなっちまったんだ、それにヒトミは……お前は?」
『それは、私がわざわざ説明するまでもなく、主殿も感付いているはずだ』
俺は最後の記憶を呼び起こした。ジェットコースターなんか比べ物にならないぐらいの強い衝撃。骨や肉が押し潰される感覚。
「……そうか。やっぱり俺は死んだのか。ということは、ヒトミも……」
『うむ、そういうことだ。私もついさっき目覚めたばかりで、今急いで二人の魂をサルベージしている。ひとまず、主殿の記憶がまだ失われていなくてよかった』
「サルベージ……? どういうこった。相変わらずお前はわけわかんねえ奴だな」
『細かいことを説明している余裕はない。私はこれからヒトミ殿の魂を探さなければならないのだ』
「お、おい、待ってくれよ。結局俺はどうなるんだ? このままあの世に行くのか?」
『フッ、主殿……』
タクシーは珍しく含みのある声色で言った。
『異世界転移ができたのだから、異世界転生ができない理屈はあるまい?』
以後、続編『異世界転生したら自分の息子になったけどまた死んじゃったので子作りからやり直します!』に続く。
トンネルを抜けると異世界であった。~タクシードライバーの救世主日誌~ 浦登 みっひ @urado_mich
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