Amane:A-2
ラップを被った生温い目玉焼き。ラップに付いた水滴で表面の濡れた白米。それから、小分けになった味噌汁のもとを、電気ケトルで沸かしたお湯で溶かして、計三食を腹の中に入れてから、アタシも日課のピアノ練習をしに、三階建ての一階にあるピアノ部屋へと向かう。
特に防音加工をしているわけでもないただの狭い一室で、背もたれのない椅子に腰掛け、両手で鍵盤に触れた。
「さっむ・・・」
そうならないために、この部屋にも小さめではあるが電気ストーブ的なものが備え付けられている。しかし、最近は温まり切るまで弾き続けることがほとんどないので、それならもう点けなくてもいいか、という結論に至る。
思えば、昔はちょっとでも暇な時間があればこの部屋に籠もって、それこそ暖房で息苦しくなるくらい、生活の殆どがピアノだった。
そのまま成長できればどれだけ良かったか。
残念ながら今のアタシは色々なことを知ってしまい、例えば暇な時間があれば、新作ゲームソフトのストーリーを進めたいと思ったり、関連のグッズが欲しいがためにバイトの頻度を上げようと思ったりで、段々とピアノを弾くことが二の次になっていっているような気さえする。
弾かなければならないから弾く。求められるから練習をする。そんな感じになりつつあるように感じている。
今日もこれから、一昨日に大学の教授から出された課題を練習する予定だったのだが、どうしたわけか譜面も何も出さずに弾く姿勢に入ってしまった。
いくら小さい頃からピアノを弾いているとはいえ、一日で楽譜の内容を暗記できるほどアタシは器用じゃない。
なんとなくさっきから頭の中で鳴っているメロディーがあって、無性にそれを弾きたくなってしまったのだ。
アレは確か、ニ短調で・・・
うろ覚えで音を探し当てていくと、次第に指が思い出し始める。忙しないテンポで不安を煽るように弾ませた。音は合っているはずなのに少しヒヤヒヤする冒頭に、徐々に薄明るい印象のメロディーが入ってくる。
なんとなく弾き始めたものの、すっかりハマってしまった。まさに、こんな心情の朝に弾くために存在しているような曲で、それもそのはず、今ようやく思い出したが、この曲のタイトルは『道化師の朝の歌』だった。
それに気付いてからわずか数秒後だった、アタシの手は突然停止した。音が途切れた後の気持ちの悪い空気に、寒さとは無関係に身震いがした。
てっきり、『こんな朝に似つかわしい曲』という意味での選曲だと思っていたが、これはどうやらそうではないことに気付いてしまった。
そうや、ラヴェル作の『道化師の朝の歌』っていったら、別にクラシック好きでもない賢一が、唯一気に入って聴いてた曲・・・
慌てて周りを見渡す。グランドピアノの脚に立て掛けられた黒い手提げカバンに手を伸ばし、最近ハマっているバンドの物販で買ったA4クリアファイルから、少しはみ出て端が折れているB4サイズの楽譜を抜き出した。
ヒーターのスイッチを入れた。
天音 Amane/Amaoto 三宅 大和 @yamato-miyake
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。天音 Amane/Amaotoの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます