第2話 いまだ木鶏たりえず

いまだ木鶏たりえず


 その瞬間、まさにエディオン・アリーナの場内は座布団が舞うがごとくの大歓声。

 スペインのアルマダ(無敵艦隊)がネルソン提督率いるイギリス海軍に敗れ、ナポレオンがワーテルローにでドイツ・イギリス連合軍に敗北を喫し、日本では、吉良上野介が赤穂浪士に討たれ、日本海でロシアのバルチック艦隊が日本海軍によって殲滅されたが如く。

 大相撲千秋楽結びの一番、無敵無敗の横綱北の湖に土がつき、終に優勝を逃すの図か。



 まあ、7年間も「関東」が王座に君臨し、当の明治がいかに真面目で公正・謙虚であろうと、一般庶民・大衆・端(はた)の人間から見れば、時代劇に出てくる悪代官のような存在。関西の日本拳法界では、小学生でさえ「明治負けろ」と念仏を唱え、京大阪の神社仏閣では龍谷勝利のご祈祷が行われていたという。


 龍谷大学が勝ったということよりも、とにもかくにも、あのにっくき東の横綱明治大学がようやく敗れたということが(場内のほとんどの人は)嬉しくてたまらないらしい。私は某関西系大学のブースでこの瞬間を体験したわけですが、あの一瞬の「どえらい歓声」に押しつぶされて、息が詰まる思いでした。

 外野は「北の湖敗れる」と快哉を叫び、当の明治は、69連勝で敗れた第35代横綱双葉山の如く「いまだ木鶏たり得ず」の念を味わったのでしょうか。



 さて、去年にしても今年にしても、メンバーの順番次第では結果が変わっていたかもしれないと思うほど、龍谷も明治もedge to edge、両校の実力は鎬(しのぎ)を削るくらいの僅差でしょうが、両校の戦いぶりを俯瞰してみれば、そこには幾つかの特徴を見ることができます。


 先ず優勝した龍谷

 ① 不用意に大きなスタンスで下がらない(後退しない)。後退するにしても、間合いギリギリのところをキープしながら。武蔵「五輪書」岩波文庫P.63「しうこうの身」・P.64「しっかうの身」・「たけくらべ」・「ねばりを懸ける」

 また、ピョコン・ピョコタン飛び跳ねない(ピョコタンタイプがほとんどいない)。 → 武蔵が「五輪書」(岩波文庫P.41・P.127)で言う「飛び足」をしない。


 ② 自分のペースで試合をしようとする。

 場の雰囲気を自分に持ってこようとする。武蔵「五輪書」岩波文庫P.79「場の次第」

(いつもというわけではないが)例えば、相手に一本取られると自軍のベンチに寄って監督の指示を仰いだり、トロトロ歩いて時間稼ぎ(自分が敗北した気持ちを和らげる)をしたりする。「この地球は龍谷のために回っているんじゃ」というくらい、傲岸不遜の精神によって試合の雰囲気を自分(たち)に持ってこようとする。

 これはさすが関西人と言うべきで、中国・朝鮮・韓国という外国人が我が物顔で跋扈する土地柄故の、関西人の体質でしょう。


 しかしながら、今年の龍谷は去年に比べ、驚くばかりのgentlemenぶり。試合中は相変わらず「なんじゃい、ワレ」的気迫ですが、去年ほどの自己アピールや直接的な感情表現がない。

 監督席の3人は相変わらず「競輪場で赤鉛筆を耳に挟み、丸めたスポーツ新聞を振り回して、がなるオッサン」的な気迫丸出しで(見た目の姿ではなく、内面的な気迫です)、「ああ、オレはいま関西にいるんだなぁ」と実感できて楽しめました。


 ③ 三段攻撃

 直面(ワン)や前拳と後拳のコンビネーション(ワン・ツー)で終わらない。ワン・ツー・スリーまで執拗に攻撃する。

 去年の決勝戦、大将戦の龍谷・杉本選手、今年の三方戦での龍谷・富永選手。特に富永選手の場合、ワン・ツーまでは機械的に、プログラムされている通りに打っているのですが、スリーの攻撃では相手を見ながら攻撃場所を選択している。ここがプロの技というか、大学から日本拳法を始めた人には真似できない芸当です。

 武蔵「五輪書」岩波文庫 P.69「かつとつ」・P.70「はりうけ」


 ④ 間合いに入ればすぐ攻撃。手数(・足数)が多い。

 相手が退こうが前へ出てこようが、自分の間合いになれば迷わず手を出すという、ケンカ拳法。武蔵「五輪書」岩波文庫P.62「打つとあたる」


 ⑤ 7人の選手いずれも組み打ちに強い。組み打ち勝負で一本取られることがないし、組み打ちで相手を揺さぶって拳や蹴りで一本を取る攻撃がうまい。武蔵「五輪書」岩波文庫P.65 「身のあたり」。

(うっかり転がってしまってとか、去年の明治にいらした組専門の選手が相手の場合はこの限りではない。)



 明治

 ① ピョコタ・ンピョコタン飛び跳ねる拳法をする人が多い。

 小森という選手は、今年6月東京武道館で開催された、日本拳法第32回全国大学選抜選手権大会(5人制)の対龍谷戦において敗れましたが、その時の龍谷の選手は非ピョコタンタイプでした。ずんずん押してくる龍谷の選手に圧倒され、小森氏は強力な後蹴りを掴まれて返されたり、相手の前進が早すぎるので、得意の「待々の先」が発揮できなかった。

 しかし府立の決勝戦では、去年も今年も小森選手の相手は同じタイプのピョコタンスタイルでしたので、自分のペースと間合いで完勝といえるほどでした。


 明治の木村選手は非ピョコタンタイプですが、相手の図体が大きくて、且つ積極的に攻めてこないタイプの時には、攻撃のチャンスを作るために、「意図的に」ピョコタンというか、フットワークを使っていろいろな角度から攻撃を仕掛けるが、自分のリズムを作り出すためのピョコタンはしない。


 ② あくまで淡々と戦い当たり前の如くに勝つ、という古武士的なスタイル。場を取ることには無頓着に見える。

 相手を幻惑して自分に有利な場に展開しようというのは、去年の明治のキャプテンが決勝戦でやっていた(約20センチも背の高い龍谷の選手に対して、ラグビーのタックルのような攻撃を仕掛けたり、蹴りを多用したりして威嚇し、自分のペースで試合を展開していた)くらいで、一般に明治の選手たちは自分の拳法を突き詰めて勝つという「己の美学の追求」に専念し、結果として勝つというスタイルを志向するようだ。

 自分の「場と間合いとタイミング」を作り上げることに専念する芸術家タイプ(の拳法)といえるのかもしれません。これは下手をするとオナニー(自己満足)になってしまう危険性があるので、大学から拳法を始めた方は真似をしないようにしましょう。


 ③ 自衛隊のパワー拳法志向なのか、通常の間合いよりずっと近いところからの強烈なショートパンチができる。これも大学から拳法を始めた方にはお勧めできないというか無理でしょう。

 かつての明治のキャプテン玉置氏が、その典型といえるのではないでしょうか(You-Tubeで観ただけですが)。


 ④ ピョンピョン跳びはねて自分のリズムを作ると同時に相手のリズムを狂わせ、通常の間合いよりも遠いところから打ち込む。

 まるで騎兵が長駆疾駆して敵陣を攻撃するように、刀ではなく長い槍で刺すが如く。これを場作りというか、拍子(リズム)の創出というべきか。


 つまり、明治の拳法(面突き)とは、通常の間合いよりもずっと近くか、或いはずっと遠くからの奇襲的な(思わぬところからの)攻撃、これがウリ(特長)であり、それはまた、見た目にも非常にカッコいいのです。

 だから、同じ明治とはいえ木村氏のように、じりじりと近づき、相手の攻撃の機先を制して体を入れてくる(押し込んでくる)人や、明治の拳法をさせてくれない今年の龍谷のような拳法に遭遇すると、長短いずれの攻撃も無力化されてしまう。ピョコタン・ピョコタンという、自分のリズムを作り出すメトロノーム(拍節器)を使用できないと、けっこう脆い。


 明治の女子キャプテン小野塚さんが、今年の6月、中央大学で行われた矢野杯争奪日本拳法第32回東日本学生個人選手権大会 女子の部で中央の山口さんに敗れたのは、この理由によるのではないでしょうか。

 山口さんは、前蹴りやラグビーのタックルのような攻撃(のフリ)をして小野塚さんのリズムとスタイルを崩し「小野塚さんの拳法」ができなくしてしまった。


 小野塚さんは子どもの時からフィギュアスケートをやられていたせいか、自分のスタイルにこだわるらしく、その敗因をわかっていながら、11月の東京武道館での総合選手権でも、今回の府立(全日)でも、ご自分のスタイルを変えませんでした。ここまでいくと、拳法の勝ち負けというよりも自分の美学へのこだわりという、ポリシーの問題になるのかもしれません。

 かく言う私もまた、大学時代は面突き、特に直面突き一本槍。勝とうが負けようが、三分間面突きを打ち続けることができればそれで幸せ、という、まあ、これはポリシーというよりも性格なんでしょうが。


 武蔵が飛び足を「不足」といい、これを嫌ったのは、飛んでいるその一瞬に動作が止まるのと、これが相手に自分のリズムを知らせているようなものだから。

 私の大学時代の一つ先輩で松原という人は、身長が160センチくらいでしたが、ボクサーのようにピョンピョン跳びはねるスタイルでした。

 ハゲタカのように敵の周りをグルグル旋回しながら、敵が近づいてくるのを待つ。左右に円を描いて飛びながら、突然、こちらに(直線で)飛び込んでくる。しかし、飛び込んでくる時には若干、身体の沈みが大きく(深く)なる。だから、その瞬間を狙って先を打てば一本取れたのです。

 

 今年11月の総合選手権、女子個人戦で、明治の小野塚さんは同じスタイルの慶応の渡辺さんに準決勝で勝ちました。しかし決勝戦の相手は、拳でも蹴りでも組み打ちでもという、オールマイティの青学の大熊さんでしたので、彼女の重戦車のような前進と、鋭い拳と強力な蹴りに押されて自分の拳法ができませんでした。これは今回の府立(全日)における、女子団体戦、青学対明治の時にも、再び大熊さんとの対戦となりましたが、やはり同じ理由があったように思います。


 松原先輩のように自分の体型から、小野塚さんのようにご自分のスポーツ歴とスタイルへのこだわりからと、人によっていろいろ事情や好みがあるのですから、それは仕方のないことです。


 ⑤ 強烈な(ショート)パンチと蹴りで決めるのが好きな学校なので、組み打ちで一本を取るというのは彼らの美学に反すると考えているような感じがします。また、組み打ちをする格好を見せて相手を後退させる、混乱させる(組み打ちを脅しに使う)というスタイルの拳法もしない(組み打ち専門要員は別)。



 龍谷にとっての勝因といい、明治にとっての敗因というも、いち傍観者の私にとっては、来年の府立を見る上での参考であり、日本拳法とは無縁ですが、いまの自らの生活・人生において「殷鑑遠からず」、自戒自省の教えともなりました。


「麻雀のメンツは4人目が見つからない」と言いますが、先に三勝した明治は去年の決勝戦と同じく、最後の大将戦で勝利することができませんでした。

 去年は、大将戦で敗れた明治の大将が延長戦では勝ちましたが、今年は、明治も龍谷も同じ三勝で迎えた大将戦ですから後がない。せめて引き分けになっていれば、今年の明治には強力な切り札がいたので、観客にとっては、もっと興味深い展開になっていたかもしれません。


 明治・龍谷どちらも、私自身に縁もゆかりもないのですが、私の出身高校で私は8期生(創立8年目の入学)であったということもあり、老い先短いこの歳ですから、なんとか今年、8回目の優勝をしてほしかったのですが、「月に叢雲花に風」名月は隠れ桜は散ってしまいました。

 今後は、明治ばかりでなく中央や早稲田、自社ブランドにこだわる慶応、部員の数と元気の良さをキープしながら雌伏する日大にも、大きな大会で活躍するチャンスはある。また、青学・立教・立正・明学といった、自由な校風を持つインディーズ大学の個性豊かな選手やマネージャーも、これからの大学日本拳法をより面白くしてくれるでしょう。


 敗れた瞬間、真面目な明治のキャプテンは後顧して膝を屈し頭を下げていましたが、あの横綱北の湖のように、負けても憎々しげな顔、とまではいいませんが、威風堂々・春風駘蕩の風でいてほしかった。


 2019年12月

 平栗雅人

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

2019年 12月 1日 全日本学生拳法選手権大会 観戦記 V2.1 @MasatoHiraguri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る