第71話 完全に手の内を読まれている。

<西宮陽(にしみや よう)視点>


 まさか、ダン・B・リトル本人が直接出迎えに来るとは。不意を突かれた。驚きのあまり心臓が止まるかと思った。年寄りばかりで暇を持て余していたヘレンちゃんに遊戯室でチェスを教えていたのが良かった。後から来たダンさんと、少しばかりチェスを交えただけだと言うのに、向こうからご丁寧に食事に誘ってもらえた。


 ダンさんと孫娘のヘレンちゃんに連れられて僕と佐々木瑞菜(ささき みずな)さんは『オーシャン パラダイス号』の最上階、スイートルームのドアをくぐった。船室をぶち抜いたような広々とした空間は、素人でも分かるほどの超高級な美術品や調度品で彩られていた。


 テーブルの向かいに座る白髪の紳士、ダン・B・リトルを前にして僕はかなり緊張している。自分で考え出したこととはいえ、これほどうまく世界の名だたる投資家たちと巡り合えるとは。このチャンスを生かすも殺すも自分次第だ。


 ダン・B・リトルを前にして臆することなく堂々と座る瑞菜さんは、生まれ持っての無敵美少女だと納得する。世界有数の資産家を前にして気後れしていない。情けない話だけと瑞菜さんと一緒で良かったと感じてしまう。僕一人なら気持ちがとっくに萎えているに違いない。


「いやー。驚いたよ。日本の若者にチェスを申し込まれるとは。しかも強い。チェスで負けたのは何年ぶりの事か。プロ相手でも、そこそこの勝負ができる自信があったのだが」


 ダンさんは気さくに笑ってくれた。おかげで緊張が少しほぐれる。


「まぐれです。ビギナーズラックみたいなものです」


「謙遜しなくても良い。駒を動かす手を見ていればラッキーかどうかくらいは分かるつもりだ。それに言い寄ってくる人が多いと人を見る目も養われる。チェスの相手を探すために、老人ばかりのこの船に乗り込んできたわけではないだろう?」


 下心が見えみえと言う事か。世界有数の投資家ならそれくらい当たり前のことなのだろう。この人に、はったりも見栄も通用するとは思えない。


「ご察しの通りです。僕はスポンサーを探しています」


「なるほど。よく考えたものだ。この『オーシャン パラダイス号』に乗り合わせるくらいの乗客なら金を持て余した者ばかりだからな。スポンサー探しには打って付けだ。その上、一度港を出てしまえば長旅になる。初対面でも交渉のチャンスが作りやすい。何しろ相手は金と同じくらい暇を持て余した連中な上、海の上では逃げ場もない」


 チェスとは違って完全に手の内を読まれている。が、むしろ説明の手間が省けた。こんな大物を相手にできたこと自体が予想外だった。恐らくここ以外の場所なら知り合いになるどころか、近づくことも、言葉を交わす事も出来なかっただろう。


「それで。ミスター、ヨウは私にどんな儲け話を伝授してくれるのかね」


「僕は東京、ニューヨーク、パリ、上海、シドニーの五カ所をネットワークでつないだ、カフェ『YADOYA』を作りました」


「ああ、知っている。少しばかり調べさせていただいたからな。君の経歴も、そこのお嬢さんもね。ここ最近、日本を賑わしているお二人さんらしいな。日本の若者にしては、なかなかやるもんじゃないか。気を悪くしないでくれ。調べるのは仕事柄なんでね。それに、これでも君を高く評価して褒めているつもりなんだ」


「・・・」


「お爺ちゃん。ミスター、ヨウはそんなに有名なの?」


 ダンさんの横に座る孫のヘレンちゃんが口をはさむ。瑞菜さんとの女同士のバトルに決着のついていない彼女は、不満そうだ。


「そうだな。今はビジネスと言うより、国民的無敵美少女アイドルの心を独り占めしたことで有名らしいが・・・」


 ダンさんは僕の隣に座る瑞菜さんに向き直ってにっこりとほほ笑んだ。瑞菜さんは完璧な笑顔を返して、軽く会釈する。どんな大物を目の前にしても、怯むことのないその凛とした姿に改めて見とれてしまう。


「ミス、ミズナ。君は正に東洋の神秘だな。年甲斐もなく、目が離せなくなる」


「お爺ちゃん!何よ。こんなおばさんなんかより、ヘレンの方がよっぽど魅力的なんだから」


 ヘレンちゃんの口元がゆがむ。胸をせり出して女性らしさを強調するけど・・・。どうしても妹の月のことを思い出してしまう。まだまだ14歳。きっとこれから成長することでしょう。


「まあまあ。ヘレンたら。嫉妬していらっしゃるのね。ふふふ。ヘレンも年頃になったと言う事かしら」


 ダンさんの横ですましていた老貴婦人、アンナ・S・リトルが初めて口を開いた。


「せっかくのお食事の準備が冷めてしまいます。お食事をしながらお話ししましょう。私の夫、ダンがこんなにお喋りなのは珍しいのよ。よほど、お二人のことが気に入ったみたいですわ」


「お婆ちゃんも!ヘレンが世界で一番なんだからね」


 ヘレンがほほをフグの様に膨らまして、上目遣いで二人を睨む。やはり、どこかの誰かにキャラがかぶっている。月のやつ今頃は中学校で何をしているだろうか。ふとそんなことを思ってしまう。


「ヘレンちゃんにはだれも敵いませんよ。アンナさんのお言葉に甘えさせてください。ダンさん、食事の準備をお願いします。スタッフの方もお待ちみたいです。『美味しい料理は人を幸せにする』と言うのが僕の口癖でして。先ずはスタッフさんのせっかくのおもてなしを頂かせてください」


 直立不動で成り行きを見守っていたスタッフの緊張がほどける。みんな自分の活躍の時を心得てテキパキと動き始める。


「はっはっはっは。これはまいった。私のワイフも孫も使用人の心までつかむとはミスター、ヨウ。まったく面白い青年が現れたものだ」


 おやっ?欧米系のスタッフの中に僕と同い年くらいの東洋系の青年が一人混じっている。どこか敵意のある視線を感じて見つめてしまう。彼は僕の方を真っ直ぐに見つめ返して唇をかんだ。見覚えのない顔だが・・・。

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