第56話 ちゃんと話ができるのだろうか

<西宮陽(にしみや よう)視点>


 僕の妹、西宮月(にしみや つき)の言葉が心に突き刺さる。ボクシングバンタム級世界チャンピオン、八重橋元気(やえばし げんき)の強烈なパンチより効いた。みんな静まりかえった。僕たちは、逃げ出すことを考えていたことに気付かされる。それでは前に進んだことにならない。


「月(つき)ちゃんの言うとおりだ。引退生活はやり遂げてからだな。今からそんなことを考えるようじゃ、勝てるものも勝てなくなる。だろう。みんな!」


 八重橋元気が妹の月(つき)の言葉を引き継いだ。チャンピオンの言葉は重い。そして正しい。


「ごめんなさい。私、間違っていました。でも、陽くんと結婚したいと言う思いは変わりません」


「僕もだ。僕は佐々木瑞菜(ささき みずな)さんと結婚します。誰が何を言おうが構いません」


「そうよ!私だって『Be Mine』を立派な会社にしてみせる」


「うっぐー。みんな、ありがとう。月(ボク)、嬉しいよ」


 気持ちが一つになったその時だった。


 ドンリン。ドンリン。ドンリン。


 佐々木瑞菜さんのスマホが鳴った。今度はなんだ。


「陽くん・・・」


 瑞菜さんの声に力がない。無敵美少女の凛とした姿とは違って、こんな弱々しい瑞菜さんを見たのは初めてだ。僕は彼女のスマホを見る。画面には『宮本京(みやもと けい)』と表示されている。


「事務所の社長からです」


 僕は迷うことなく彼女の手からスマホを取って、電話に出た。


『瑞菜さん!やっと出てくれたわね。あなた、どれだけ世間を騒がしているか知っているの』


 ヒステリックな女性の声で心がひるむ。もっとも苦手なタイプだ。でも、全ては僕のヘタレな心がもたらした結果といえる。


「もしもし」


『・・・。キミ、誰?瑞菜さんを出しなさい。そこにいるんでしょ!』


「西宮陽(にしみや よう)と言います。今回の件は、全て僕の責任です」


『西宮陽?キミなのね。分かりました。玄関の前にいるからドアを開けなさい。マスコミは入れないから。私、一人だから必ず開けるのよ。いいわね!』


 彼女はドスを聞かせた声で、それだけ言って電話を切った。


「んぎゃん。月(ボク)の天敵、『カマレズ』が来る!」


 妹の月(つき)がファイティングポーズを取ったまま固まった。瞳がおびえている。誰にでも馴れなれしい月(つき)がだ。


「『カマレズ』?知っているのですか」


「月(つき)ちゃんと二人で、瑞菜さんのCM撮影の現場を見学に行ったことがあって。瑞菜さんの事務所の社長は業界でも有名なニューハーフなの。プラス、レズビアンだから月(つき)ちゃんがあだ名をつけたの」


 森崎弥生(もりさき やよい)さん。言っている意味がわかりません。ニューハーフのレズビアン?よりによって、どんな化け物が現れるんだ。心の奥に押し込んだ『ヘタレな僕』が、髭面(ひげづら)のオッサンが厚化粧をしてドレスをまとっている姿を作り上げた。そいつが女言葉でヒステリックに僕を責め立てる。怖い!怖すぎる。ちゃんと話ができるのだろうか。


「陽くん。大丈夫です。社長は化け物ではありません。私も行きます」


 瑞菜さんの顔が無敵美少女に戻っている。その姿はいつものように凛々しくて美しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る