後編

 今日は地球最期の日。


 時計を見ると、もう朝の四時だ。お酒も飲まずに、こんな時間まで寝ずに妻と語り合ったのは初めてかもしれない。お互いの頭の中にある思い出をすべて出し尽くせた感じがした。と言うより、お互いの思い出に相違点がなかったか確認した、と言うのが正解かもしれない。

 

 子供たちはまだ眠っている。

 結婚して七年目。妻と六歳の娘と三歳の息子との四人家族。

 

 語り尽くしたあと、夫婦で子供の寝姿を脳裏に焼き付ける。


 娘の幸せそうに寝ている姿を眺めていると、今日がどんな日かあまり分かっていないようだ。無理もない。何度か説明したことがあるが、娘が笑顔で私の話を聞いているのを見ると、胸が苦しくなった。涙が止まらなくなる。それ以来、話していない。妻と相談して、これ以上話さないことにした。

 小さな子供を持つ他の家庭はどう対応したのだろうか。死を理解させることに意味があるのだろうか。今から起きることを伝えることに意味はあるのだろうか。知らない方がいいかもしれない。少なくてもこれが私たち夫婦の決断である。


 息子にいたってはまだ三歳だ。アメリカが情報をもっと早く出していれば、息子は生まれずに済んだかもしれない。現に、隕石落下の発表の後、子供を作ろうと思った家庭は皆無に近い。生まれなければ死ぬこともない。それが一番幸せだ。

 

 娘も息子も何も分からないままその生涯を終える。あまりに残酷すぎる。


 いろいろ考えていると、結婚したこと自体が罪にさえ思えてくる。妻と知り合うことがなければこの子たちは生まれずに済んだ。タイムマシンがあればきっとその道を選ぶように過去の自分を説得しに行くだろう。いや、少なくても子供は作らないように言うかもしれない。

 しかし、二人の子供は存在する。今更何を言っても、何を思っても遅い。


 アメリカ政府による死の宣告の発表以来、よくそういうことを考えていた。それも今日で終わりだ。すべてが終わるのだ。

 悲観しても意味はない。

 愉しい一日にしなくては。それが最期の私の役目である。



※ ※ ※



 朝の五時半。

 妻と共にソファーに座りテレビを付けた。子供たちはまだ眠っていたが、起こすことはしなかった。


 【絆を繋ぐリレー】のフィナーレが放送されるのだ。

 それにはオリンピックと同じ聖火が選ばれた。その聖火を全ての国のできるだけ多くの都市にリレー形式で運ぶのだ。

 すべての国を回った聖火がまもなく最終目的地に到着する。

 場所は南アフリカ。人類発祥の地ということでそこが選ばれた。

 最終ランナーが現れた。物凄い歓声だ。テレビからでも充分伝わる。

 ランナーが【絆の聖火台】に聖火を付けた。私も思わず拍手した。近所からも歓声が聞こえる。多くの人がこの映像を見ているのだろう。

 大きなイベントはこれが最後である。


 イベントは今まで何度が執り行われた。


 印象に残っているのはやはり【種の保存】の計画だ。

 地球上に存在する可能な限りのあらゆるDNAを保存する計画で、それらは宇宙船に載せられ、二ヶ月前に打ち上げられた。人類のDNAだけでなく、動植物や昆虫や細菌のDNA。それらは地球に存在した生物の美しい設計図。何処かにいるであろう宇宙人がそれを拾って再現してくれることを期待して打ち上げられたのだ。

 人類に関しては誰のDNAが保存されたかは秘密らしいが、少なくとも全ての人種のDNAが保存対象らしい。従って、我々日本人のDNAも今頃宇宙空間を旅している。


 各国それぞれ個別に保存の計画も執り行われた。

 日本においては、すべての日本人の戸籍などのデータなどが保存された。また、各世帯に保存可能なデータ容量を定め、インターネット経由でデータをアップロードすることで、写真や動画など個人の思い出のデータも保存された。私たち家族も容量ギリギリまでの家族の写真や動画をアップロードした。

 それらのデータはサーバー上にすべて保存され、そのサーバーは核シェルター並の耐久性のある特殊なシェルター内に入れられた。隕石が衝突しても破壊されない強度を保っているらしい。

 その保存の式典は一ヶ月前に行われた。シェルターの扉の施錠――と言っても、ボタンを押すだけ――の操作は、天皇陛下のお言葉の後、内閣総理大臣によって行われた。



※ ※ ※



 私が風呂から出てくると、子供たちが起きていた。今度は代わりに妻が風呂に向かった。

 もう時刻は九時を指していた。


 最期の日の今日は、日本のすべての道路が歩行者天国。原則車両は使用できない。緊急車両は例外らしいが、さすがにこの日に緊急車両が必要になることはないだろう。


 朝ご飯を済ませ、家族みんなで外に出た。

 季節は冬。十二月だと言うのに、例年より暖かい感じだする。隕石と関係があるのだろうか。

 外は多くの人で溢れている。道路を自由に歩けるなんて初めてだ。多くの子供たちがはしゃいでいるのが見える。うちの子供たちも大はしゃぎだ。一方、大人たちは静かに歩いている。笑っている人もいたが、目は笑っていない。自分の子供がはしゃいでいる姿を見て、微笑んでいる私の笑顔も、きっと人にはそう見えているだろう。


 最期の日は私の両親や義父母と共に過ごそう提案したが、両親たちの意向で却下された。両親は言わなかったが、こんな日に孫の顔を見ていられないというのが本当の理由だと思ったが、最期の日は自分の家で過ごしたいとのことであった。

 

 実際、最期の日は自分の家で過ごしたいと考える家庭は多いらしい。

 今や、海外旅行にはパスポートは必要ない。それに無料。ボランティアですべての経済活動が行われているからだ。もちろん一日の飛行機の便数には限りがある。基本的には一世帯往復一回のみだ。多くの外国人が日本を訪れたが、次第に訪問数は少なくなり、もともと日本に長期滞在していた外国人も自国に帰る人が圧倒的に多い。やはり自分の国の慣れ親しんだ家で最期を迎えたいのだろう。



※ ※ ※



 午後十二時半――。

 妻が作った昼食を子供たちは美味しそうに食べている。でも、私は食が進まない。お腹は空いているが、食べたい気分にはならない。食べ終わると全てが終わってしまう気がするからだ。

 でも今日は愉しくしないといけない。自分でそう誓ったはずだ。私は自分に鞭打って美味しくいただいた。


 刻一刻とその時が近づいてくる。

 衝突推定時刻は、日本時間の午後六時三六分。

 場所は日本とは反対側の海上。正確な場所も分かっているらしいが、どこに落ちても同じらしい。

 

 午後二時――。

 昼食後、私は子供たちとママゴトをして遊んでいた。

 すると、キッチンにいた妻が突然号泣しだした。それを見た子供たちも驚いて泣き出した。

 やはり愉しく過ごそうというのは無理がある。

 妻を慰めようとしたが言葉が見つからない。何を言おうが変わらないからだ。確実な死が待っている。何か死刑執行を待っている気がした。私たちは何も悪いことをしていない。何でこんな仕打ちに合わないといけないのか。少なくてもこの世に神はいないと実感した。


 ふと気づくと救急箱を開けていた。

 そこには人数分の薬が入っている。政府が用意したもので、一応家族の分をもらっておいたのだ。

 薬は強力な睡眠薬。服用後、十二時間は目覚めることは絶対にない。薬の配布については、日本政府が決めたことではなく、国連が決めたことだ。もちろん使用に関しては自由だ。


 薬を使おうか迷いが生じる。服用すれば最期だ。もう目覚めることはない。笑顔はもう見れない。子供に飲ませると言うことは、間接的に子供を殺すことにもなる。一方、最期の残酷な光景を見ることなく、天国に行ける。飲ませるべきか、飲ませないべきか。


 効果が出るのに多少時間がかかるため、早く決断しないといけない。

 妻は私を見つめていた。私の行動にすべて賛同するという視線だ。


 私は薬をジュースに溶かした。子供たちはジュースだと気づいて笑顔で私に近づいてくる。ジュースを持った私の手は無意識に震えている。

 子供たちは笑顔でジュースを飲み始めた。

 薬が聞いてきたのか、子供たちは眠そうにしている。この子たちが眠ってしまうともう終わりだ。目覚めることはない。そう考えると、私は吐き気がしてきた。

 

 妻と私とで子供を寝室に運んだ。もう完全に眠っている。子供の体温が伝わってくる。でももう目覚めることはない。

 ベッドに子供を寝かせると、妻は何も言わずに薬を飲んだ。私もあとで飲むと妻に告げた。


 しかし、私は飲まなかった。

 家族の最期を見守る。それが父であり夫としての最期の責務だと感じたからだ。

 私は、ベッドで安らかに眠っている三人を椅子に座って眺めている。


 あと一分――。

 気づくともうそんな時間だ。

 心臓の鼓動が早まる中、私は最後にこの家庭を持てたこと、地球に生まれたことを心の底から感謝した。


 さようなら。

 最期に私は三人にそう言った――。

 


 

 

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地球が無くなる日 椎名稿樹 @MysteryQWorld

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