4.旅の仲間との別れと再会

 普通の森と魔物の森の境界は、ぼんやりとしている。

 それでもそれを超えれば、いつの間にか見える景色は変わる。


 生えている植物は色が濃くなり、見慣れない種類のものが増えて、どこかおどろおどろしい雰囲気を醸し出す。

 地下から滲み出していると言われる魔力は天候にも作用するのか、ほとんどどんよりとした天気で、森の中はじっとりと暗い。

 吸っている空気も、なんとなくむっとして重い。


 そうなる前に、僕はラキを放すつもりだった。




 小川の中を上流に向かって進んでいくと、その上を覆うように生える木々の枝で、日差しはほとんど入ってこなくなった。

 そして、ある場所で、僕は見覚えのあるものを見つける。


 木に巻き付いた、厚い布で出来た帯のようなものだ。

 紺色の布地に、金色のリボンが、くるくると文様を描くように縫い付けてある。


 これは数年前に僕が残した、魔物の森の境界の印だ。

 人間にとっても、魔物にとっても、ここを超えれば違う世界であるという警告なのだ。


 なぜだか魔物は金色や銀色に光るものを嫌がるらしい。

 もちろん全ての魔物がこの警告を理解するわけではないが、それでも無いよりはましだし、旅をする人間であれば間違いなく知っているものだ。

 クマなど、魔物ではない野生の動物に剥がされてしまうことも無いわけではないが、この印に関しては無事だったようだ。


 この印は、ここから先は僕も足を踏み入れたことがないという目印でもあった。


 僕はラキから降りて、小川の中に降り立つ。

 ラキとはここでお別れだ。

「ラキ、ここまでありがとう。もと来た道をたどって帰るんだよ。」

 近道をしようとして魔物の森を横切ってしまわないか不安だったが、動物たちは人間よりも感覚が敏感だ。

 危険だと感じる場所は避けるだろうし、賢いラキなら、今まで通ってきた進みやすい道を戻ってくれるだろう。


 僕はラキから手綱とくつわを外して、腰のベルトにくくりつけた。

 万一なにかに引っかかってしまっては、ラキが動けなくなってしまうからだ。

 手綱の下につけたままだった無口頭絡むくちとうらくに所有者を示すタグも在るし、ラキの首筋には小さい焼き印もある。

 盗まれることは無いだろう。

 ラキの額をワシワシと撫でて、頬や肩をぺしぺしと叩いて労ってやってから、僕はラキをその場に置き、上流に向かって歩き出した。


 振り向けばラキは僕が見えなくなるまで、心配そうにそこに佇んだままだった。


 ◆◆◆



 僕はただ、小川に沿って黙々と歩き続けた。


 馬に乗っていればすいすいと進む距離は、もどかしいほどに縮まない。

 それでも一歩一歩、目的地に近づいていると信じて進むしかなかった。

 森を歩きなれているはずの僕でも、焦るままにペースを上げてしまったのか、いつの間にか息を切らせていた。

 これではすぐにバテてしまうと、僕は一度立ち止まって呼吸を整える。


 周りを見れば、生えている植物は既に随分違ったものだった。


 真っ赤な色のけばけばしい花や、ぷっくりと丸いきのこのようなものも見える。

 僕は学んだ知識から、それらには近づかないほうがいいことを知っている。

 触ったり胞子を吸い込んだりしてしまえば、幻覚に襲われてしまうものも珍しくない。




 遠くで、鳥か獣の鳴き声がした。

 何の鳴き声かは判断できない。

 聞いたことがないものだ。


 僕はゴクリと喉を鳴らして、背負っていた弓を手にとった。

 腰に下げていた矢筒から、矢が飛び出ないように抑えていた留め具も外しておく。

 反対側に下げているナイフも、留め具を外す。


 僕は周囲を警戒しながら、また上流に向かって歩を進めた。




 暫く行く内に、僕はある感覚を覚え始めた。



 背後に、なにかの気配を感じる。



 ラキと別れた場所からは既に随分離れている。

 振り返っても、動くものは何も見えない。

 それなのに、何かに見られているような気がしてならない。


 つけられている。


 僕はそう確信して、矢筒から矢を一本抜いた。

 弓につがえた状態にして、しばらくそのまま前方に進む。




 やがて大きな岩がいくつも転がる場所に出る。


 僕はその間を縫うようにして進むと、適当な岩を見つけて素早くその後ろに身を潜めた。

 音を立てないように矢を構えて、息を殺す。

 そして全神経を耳に集めた。




 ぱちゃん、


 と、不自然な水音を聞いた瞬間、僕は岩陰から飛び出て、背後にむかって弓の狙いを定めた。


 が、


 水音から判断した、ちょうど標的がいるはずの距離に見えたのは、



 岩の端から飛び出た、黒い獣の鼻先。




 僕は目がいい。

 かなりの距離にあるそれを、僕は簡単に判別することが出来た。


 しかしそれが信じられなくて、僕は眉をしかめて思わずつぶやいた。



「……アリ?」



 その声を拾ったのか、黒い鼻が動いて、今度は三角の耳と黒いキラキラとした目までがひょっこりと岩陰から生えてきた。



 僕は大きなため息をついて、弓の構えを解いた。


「アリ!驚かさないでよ!」



 それは、僕が家の庭に置いてきたはずの狼の友人、アリだった。

 アリは、僕が緊張を解いた途端に岩陰から躍り出て、水の中をパシャパシャと進んで近づいてくる。

 僕には、どこかその足取りがウキウキしているように見えた。




「まいったなぁ……僕についてきちゃったのか。」

 僕は頭をかきながら、しきりに僕の匂いを嗅いでくる友人を見下ろした。

 彼は僕が早朝に家を飛び出してから何があったのか、匂いから嗅ぎ取ろうとしているのだろう。


 アリは突然訪れたおじいさんには敵意を剥き出しだったが、何度かうちを訪れたことがあるエミリーは知っているはずだ。

 彼女が一人で訪れたことで、僕がしばらく戻らないことを悟って探しに来たのだろうか。

 それとも、実は僕を心配して村にまでついてきたりしていたのだろうか。


 通常は、僕が村に向かう小道を進んだ時点で、彼は僕の後を追うのをやめる。

 人の多い村には、彼は近づこうとはしないのだ。

 なんとなく、足を踏み入れる場所ではないことを知っているみたいだ。


 何にせよ、僕の後を追ってきたはいいものの、僕がラキに乗っている間は追いつくことが出来なかったのだろう。

 そして、僕が徒歩になった時点でやっと追いついたのだ。


 匂いの残りにくいはずの水の中を歩いてきたのに、よく僕を見つけたものだ。

 野生のカンだろうか。




 僕を見上げるアリの目は、らんらんと輝いている。

 薪割りのゲームを始める前に、なんとなく似ている。

 さあどうするのだ、とでも言わんばかりに、左右に足を踏んでは行ったり来たりしている。

 この旅を、なにかの冒険だとでも思っているのだろうか。

 冒険には、違いがないのだが。


「アリ、遊びにいくわけじゃあないんだよ。」

 僕はがっくりと肩を落として、呆れた調子でアリに語りかけた。



 その時だ。


 僕の背後で、ごそりと音がした。

 僕は反射的に、弓を構えて振り向いた。


 何もいない。



 僕は弓を構えたまま、あたりの景色を注意深く伺った。

 さっきの物音は、ものすごく近くから聞こえたものだった。

 途端に心拍数が上がって、呼吸が早くなる。


 また僕の後ろでごそごそと音がして、僕は固まった。


 得体の知れないものに対する恐怖が僕を絡め取る。



 しかし、今度はそんなこととは似つかない、のんきな音が聞こえてきた。


 アリがすんすんすんと、鼻を鳴らして匂いをかぐときの音だ。

 続いてふしゅんと息を吐き出す。

 視線を落とせば僕の脇で、アリがそれを何度も繰り返していた。


 アリが、僕が背負った袋の匂いをしきりに嗅いでいる。


 ぼくがその袋に視線をやると、その一部がもこりと動いた。

 僕は目を剥いた。



 おそるおそる、僕は背負っていた袋を肩から下ろすと、その口を開いた。

 そして、上の方に入っているものを取り出したり、脇に寄せたりして中を除くと……



 黄色いフサフサの毛皮が、膨らんだりへこんだりしている。



 僕は信じられない気持ちで、その背中であろう部分を摘んで引っ張り出した。



 現れたのは、まだ眠そうに目を細めて、おとなしくぶら下がっているイタチのショーンであった。



「ショーン……君まで……!」

 僕は危うく、水の中に膝を着いて崩れ落ちてしまうところだった。


 ◆◆◆



 どうしてここまで気が付かなかったのだろう。


 確かに昨日は昼間から慌ただしかった。

 母さんが倒れたのに最初に気づいたのはショーンだ。

 僕が母さんを看病している間も、落ち着かないのか僕のそばについてウロウロしていた。

 いつもは昼間はおとなしく寝ていることが多いから、昨晩は寝不足だったに違いない。

 それなのに見知らぬおじいさんが現れて、僕も看病を続けて一睡もしていない。

 騒々しい中、落ち着いて休むことも出来なかったのだろう。


 それで僕の荷物に紛れ込んだ後は、死んだようにぐっすりと眠っていたのかも知れない。

 ショーンは僕にはとてもなついている。

 僕の荷物の中であれば、何も心配しないで休めたのだろう。

 移動中で熟睡はできなかっただろうから、なおさら長い時間大人しかったとも考えられる。




「こまったなぁ。引き返すわけにも行かないし……」


 僕は一息つくために川べりの岩に腰を下ろしていた。

 袋の中を確認したが、携帯食が食い荒らされているようなこともなくて安心した。


 ショーンは食いしん坊で少し太り気味だ。

 食べ物が目の前にあれば際限なく食べ続けてしまうので、いつも家では食べ物を出しっぱなしにしないよう気をつけなければいけない。

 それでも狭いところに忍び込むのが上手いショーンは、時々まんまとつまみ食いを成功させるのだけど。

 今回はよほど疲れていたのだろう。


 まだ眠り足りないのか、日が高くて眠いのか、ショーンは少しぼーっとしているようだった。

 僕の横にふせて、じっとして動かない。




 引き返すわけにも、ここに置いていくわけにも行かない。

 一緒に来てもらうしかなかった。

 これで、僕の毛皮をまとった親友二人は、そろって僕の旅に同行することになってしまった。


 危険な旅に連れて行くのは気が引けたが、正直を言えばとても心強かった。

 僕よりも感覚が鋭敏な二匹なら、僕よりも早く敵を察知してくれるだろう。

 野営をするときに、こんなに頼れる仲間はいない。

 しかしそれとともに、僕の感じる責任感は一層重くなった。

 母さんだけでなく、僕は二匹の命も預かることになるのだ。


 僕の弓が、どうか二匹を守れるようにと、僕は天に祈った。


「よし、行こうふたりとも。聖女を見つけて、母さんを助けるんだ。」


 僕はキョトンと僕を見上げる二匹に向かって、力強く言いながら立ち上がった。

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勇者の末裔らしいんですけど、悪い魔法使いに目をつけられました。 瀬道 一加 @IchikaSedou

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