3.見送りと旅の始まり

 森の小径を駆け抜け、僕は村にたどり着いた。

 既に汗だくになってしまったが、かまっている時間はなかった。

 なんとか息を整えながら、まっすぐに雑貨屋に向かう。


 いくつかの店が並んでいる通りにたどり着き、黄色い看板の建物を見つける。

 まだ開店時間には早いため、通りに人は殆どいなかった。

 軽快な赤色に塗られた扉を開けようとしたけど、やはり開いていない。

 申し訳ないと思ったけど、少し強めにドアを叩いた。


「イサム?」

 カラカラと鳴る鈴の音とともにドアが開いて、顔を出したのはエミリーだった。

 赤毛のおさげが揺れて、栗色の目が僕を見てまんまるに開く。

「どうしたの?こんなに早く……汗でびっしょりじゃない!」

「おはよう、エミリー。ごめん、開店前で申し訳ないのだけど、いくつか買い物をしたいのと、それから頼みが在るんだ。」

「頼み?」

 僕の必死な様子を察してくれたのか、エミリーはすぐに僕を店内に入れてくれた。


「母さんが倒れたんだ。僕は治せる人を迎えに行かなきゃいけない。これを渡しておくから、僕が帰るまでどうか母さんを診てくれないか。エミリー一人じゃ大変だろうから、村の人にも声をかけて欲しいんだ。」

 僕はまだ肩で息をしながら、銅貨と銀貨の入った袋をエミリーに渡した。

「僕が一人ひとりに頼むべきだけど、時間が無いんだ。僕はすぐに出発しなきゃいけない。」

「ええっ?おばさんが?お医者様には見せたの?」

 僕は首を横に振った。

「医者では治せないんだ。だから僕が治せる人を連れてくる。今は応急処置をしてくれる人がついてくれているけど、やっぱりよく知った人についていてほしいし……」

 言いながら僕は店内を歩いて、燃料や携帯食など、旅に必要となるであろう物資をいくつか見繕って手に取った。


「出発って……一体どこに向かうの?」

 心配そうに問うエミリーには、できれば竜の巣に向かうことは教えたくなかった。

 危険な旅であることを知れば、引き止められるかもしれない。

 僕は答えずに、手に持った商品をエミリーに見せながら袋に詰めていった。


「これと、これと……それからこれを貰うよ。料金はその中から引いておいて。この後馬を借りてすぐに出る。数日後には戻ってくるから。」

「イサム!?」

「母さんのこと、よろしく頼むよ!!」


 僕は慌ただしく、雑貨屋を後にした。


 ◆◆◆



 走ってたどり着いた村の外れの馬屋の外で、既に馬の世話をしていたコリンさんを見つける。

 僕は駆け寄りながら声をかけた。


「コリンさん!!」

「おお、イサムじゃないか。どうしたこんなに早くに。」

 木箱に座って青毛の馬の蹄の手入れをしていたコリンさんは、顔を上げて怪訝そうに僕を見た。

「はぁっ……おはよう、ございます。馬を、貸して、ほしいんです。できれば、ラキを。」

「ラキを?」

 ぜいぜい息をしながら話す僕に、コリンさんはますます眉をしかめた。


 ラキは芦毛の雌だ。身体もそこまで大きくないし、足も特に早いわけじゃない。

 それでも一つだけ、彼女にはとても確かなことがあった。

「片道だけ、必要に、なるんです。ラキなら絶対に、一人で帰ってこれる。」


 ラキは道を覚えるのが得意なのか、それともコリンさんをよほど慕っているのか、どこで放されたとしても、絶対にここに戻ってくるのだ。

 もっとも、みんながそれを知ったのは、彼女の借り手がラキを繋がないで置いてしまったらいなくなっていた、なんてことが何度もあったからなのだけど。




「それはそうだが……片道だけなんて、どこに向かうんだい。」

「人を、迎えに、行くんです。馬が入れないところに行くから、途中からは歩かなくては行けない。戻るまで数日かかるから、馬をつないでおくわけにも行かないでしょう?できるだけ急ぎたいから、行きだけでも馬を使いたいんです。」


 竜の巣は、魔物の森を越えたところにある。

 だけどぼくは魔物の森まで馬を乗り入れるつもりはなかった。

 万一魔物に狙われたら、大切な馬の命が危ないからだ。


 境界を熟知している僕は、森が魔物の森の一番深いところまで伸びている場所を知っている。

 距離では少し回り道になるが、それでも馬で進めば、危険の多い魔物の森に徒歩で早いうちに入ってしまうよりは断然早い。

 だから一番深い境界までラキにお願いするつもりだった。


「馬が入れないところなんて……お前さん、まさか魔物の森に?」

「……魔物の森に入る前に、ラキは離します。ラキならそこから確実に帰ってこれる。身軽な方がいいだろうから、鞍はいりません。頭絡とうらくと手綱は一旦預かって、後で返しますね。」

「そんなところに、迎えが必要な人なんているのかい?」

「います。母さんが倒れたんです。母さんを助けられるのはその人だけなんです。」

 僕の短い説明に、コリンさんは顔をしかめたままだった。


「とにかく、今は急いでいるんです。急いでその人を迎えに行かなきゃいけない。どうかラキを貸してくれませんか。お代はここに。万が一足りなくなれば、必ずあとからお支払いします。」

「イサム、おりゃあラキよりお前さんが心配なのさ。お前さんに何かあったら、それこそおふくろさんはどうなる。」

「お医者さんでは、どのみち母さんを助けられない。僕が行くしか無いんです。大丈夫、これでも『番人』なんですよ。魔物の一匹や二匹、大したことはありません。」

 僕は腰に下げたナイフと弓矢に手をかけて、自信たっぷりに言った。


 僕の言ったことは本当だ。

 境界の森の番人の役目は、人間が魔物の森に入らないように見張ることだけじゃない。

 そこに「強き者」として存在し、魔物を牽制し、時折迷い出てきてしまう魔物をいるべき場所に追い返すこともする。

 今の僕でも十分、小さい魔物ならやっつけられるし、大きいものでも脅かすくらいはできるのだ。


 しかしもちろんコリンさんにも、本当の目的地が竜の巣であることは伝えるつもりはなかった。

 今はただ、時間がない。

 討論をしている暇はなかった。




 コリンさんはとうとう、渋々ながらもラキを連れてきてくれた。

「おはようラキ、よろしく頼むよ。」

 優しげなラキの鼻面をなでてから、僕は鞍をつけていない彼女に飛び乗った。


 ちょうどその時だった。

「イサム!!」

 甲高い声がして振り向くと、駆けてくるのは赤いおさげの女の子だった。

「エミリー!」


 エミリーは小走りでラキのそばまでたどり着くと、膝に手を着いてはあはあと荒い息を吐いた。

「これ、今朝焼いていたものなの。持っていって。おばさまのことは心配しないで、このあとすぐに向かうから。」

 エミリーは手にしていたバスケットから、僕の手よりも大きな紙の包みを渡してくれた。

 香ばしい匂いがして、ほんのり温かい。

 雑貨屋でも売っている、自家製のパンに違いない。

 不安と焦りですさんでいた意識に、じんわりと温かいものが広がった。

「ありがとうエミリー。助かるよ。」

 母さんが倒れてから初めて、僕は微笑んだ。

 エミリーはニッコリと、微笑み返してくれた。




「それじゃあ行くよ。申し訳ないけど、数日間よろしくね。コリンさんも、行ってきます。」

「気をつけてねイサム!!」

「無理をするんじゃあないぞ。」

「ありがとう!!」


 僕は二人に見送られ、軽快にラキを走らせて村を後にした。


 ◆◆◆



 なるべくラキの走りやすい平原を選んで、魔物の森への侵入部へ向かう。


 全力疾走では、流石に道なき道を走るのは不安だった。

 舗装された道路は既に通り越してしまった。

 足元が確かではない道のりでは、無闇やたらに飛ばすのは危険だ。

 焦る気持ちを制して、草むらでラキを早足で進ませる。


 天気がいいのはありがたかったが、ずっと馬の上にいては初夏の日差しはきつかった。

 暑かったが、日光を浴びすぎての体力の消耗を抑えるために、外套のフードを深くかぶった。

 そのうち平原が終わり、木々が生い茂る土地に差し掛かる。

 僕は茂みの間を縫うようにラキを歩かせた。


 おじいさんが言った時間の猶予は7日間。

 帰りの行程を考えれば、竜の巣にたどり着く期限は長くて3日だ。

 もちろんそれよりも早いほうが良い。

 可能であれば危険な魔物の森に足を踏み入れる前に夜を明かしたかったが、進めるうちに可能な限り進まなければいけない。

 朝早くに村を出て、この調子であれば昼過ぎには魔物の森の入り口にたどり着くはずだ。




 木の生える密度が高くなり、傾斜もきつくなってきた。

 このまま進んではラキは動けなくなってしまうが、僕は数年前に、父さんと親交があったという年配の冒険者とともに、何日もかけて森中を歩き回ったときのことを覚えていた。

 森の番人としてこの土地を知り尽くすことを、彼は手伝ってくれたのだ。

 少し迂回して、この先にある小川をたどれば魔物の森の一番深くまで進むことができる。

 ラキとはそこでお別れだ。


 水場が近くなり、ゴツゴツとした大きな岩に囲まれた足場を、ラキは器用に進んだ。

 やがて、さらさらと涼やかな水音が聞こえて来る。

 そして突然視界が開けて、キラキラと光る小川が現れた。


 陽の光を受けて輝く流れる水は、とてもきれいだ。

 生い茂る緑の中の豊かな水辺は、心の不安まで洗い流してくれるようだった。

 あちこちで鳥のなく声が聞こえる。


 ラキは僕に指示されるまでもなくじゃぶじゃぶと川に踏み込んで、ガブガブと透き通った水を飲み込み始めた。

 靴を濡らすのは気が引けて、僕は冷たい水に触れたいをのぐっとこらえ、腰にぶら下げていた革袋から水を飲んだ。




 外套のポケットに無理やり押し込んでいた、エミリーのくれた紙包みを取り出す。

 包を開ければ、中にはいっていたのはまんまるの固いパンだった。

 あちこちに黒く焦げているのは数種類の木の実だ。

 ほんのり甘くて、ずっしりとした質量が腹持ちのいい僕の大好物だった。

 思わず口が笑みの形に引き上がる。

 僕は心の中でエミリーに何度もお礼を言って、小さくむしったひとかけらを大事に口に運んだ。


 香ばしい穀物の風味と、木の実の甘酸っぱさをじっくり味わいながら、僕は一時の安らぎを楽しんだ。

 こんなときでなければ、川辺のピクニックをもっと楽しみたかったが、先を急がねばならない。

 僕は気を引き締め直し、ほんの少しちぎっただけのパンを丁寧に包み直した。

 この先の長い工程を考えると、食料はできるだけ長く取っておきたいのだ。




 川の上流を見ればその先に、鬱蒼と茂る緑の森が覆う稜線が折り重なっている。

 魔物の森だ。

 そしてその一番奥に、岩肌がさらされた鋭い山が一つ見えた。


 あれが、竜の巣。


 僕はこの先の旅路を思って、ゴクリと喉を鳴らした。



「さあラキ、もう少しだけ頼むよ。」

 僕は手綱を引いてラキの頭を挙げさせると、腹を両足で締めて前進を促し、川の上流を目指したのだった。

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