第5話 俺の悪夢はこうして始まりました。その2

少しずつあらわになった部屋は、ゆうに100人以上は入るんじゃないかと思うほどの座敷だった。隣接された縁側からは、あの重要文化財のような日本庭園が見えている。


まさに、本城寺家のトップに君臨する者に相応しい場所だ。


そんなことを思いながら広い座敷の部屋をぐるりと見渡した時、視界の中心に十二単のような立派な着物を着た人物が目に入った。その人物と視線が合った瞬間、俺は言葉を交わす前に何もかもを悟る。


輝夜だ。


そこだけ空間が別世界じゃないかと思ってしまうほどのオーラ。凛とした態度は胡蝶蘭のような鮮やかさを兼ね備えながらも、射抜くような鋭い瞳は、凡人であれば目力だけで潰されてしまうかもしれない。


そう感じさせるほど、輝夜の目には力があり、まるで未来を見通せそうなほど真っ直ぐだった。


こいつにだけは逆らってはいけない。


直感的に俺の本能がそう叫んだ。おそらく龍崎家の先代たちも、こんな風に逃れることができないプレッシャーを感じながら、本城寺家のトップと付き合っていたのだろう。


そんなことを考えながら、俺の頭の中では会ったこともない龍崎家のご先祖たちの後ろ姿が浮かぶ。もちろんその背中は、皆怯えている。


「お久しぶりですね。竜雄さん」


「……え?」


思わず、間の抜けた声が漏れた。そりゃそうだ。俺はてっきり「初めまして」で始まると思っていたからだ。


完全に不意を突かれてしまった俺は、咄嗟に言葉を返すことができず、ひゅっと唇から空気だけが漏れる。そんな自分を見て、本城寺家の長はクスリと余裕のある笑みを浮かべる。


「竜雄さんが幼い頃に、何度かお会いしていますよ」


「そ、そうですか……」


俺は柄にもなく動揺した口調で返事をすると、すぐさま頭の中にある記憶のアルバムをめくっていく。幼い頃……幼い頃っていつの話しだ⁉︎


これ以上後手に回ると立場が危ないと思いながらも、めくっていく記憶のアルバムのページはどれも真っ白。


基本的に俺は過ぎ去った過去になど興味がない。


いや、昔の記憶など、もう二度と思い出したくないのだ。


特に、あの頃の記憶は……


一向に言葉を発しない俺を見て、情けをかけるかのように輝夜が再び口を開いた。


「まあ随分と昔のことなので、お忘れになっていても仕方ないでしょう」


「す、すいません……」


俺は背中にじわりと冷や汗を感じながら、小声で謝罪をする。


なんだこの教師に怒られた高校生みたいな情けない会話は?


普段なら鍛え抜かれてきたトークスキルを使って、どんな会話もリードする俺が、まるで赤子のように扱われている。


そんな苛立ちを感じながらも、それでも俺は強く前に出ることができなかった。


自分が立っている場所と輝夜との間に、見には見えないとてつもなく大きな城壁があるように感じていたからだ。迂闊に触れようものなら、おそらく腕の一本や二本簡単にぶっ飛ぶに違いない。そんな危機感を感じさせるほどの迫力。


……なんて恐ろしい人間だ。


眉ひとつ動かさず微笑んでいる相手は、その笑みとは裏腹に、刃のように鋭い意思を喉元に突きつけてくる。真の成功者やお金持ちほど穏やかになるとはよく言うが、それよりも一歩先にいった人間は、どうやら目力だけで人を従わせることができるらしい。


ふっ、いいだろう。俺もいずれ、必ずそんな人間になってやる。


さっきまで縮こまっていた自尊心が、輝夜への反発心に刺激されて、少しだけ元に戻る。その証拠に俺は、ふっと口端を緩めてリラックスしているような仕草を見せた。


そんな俺を見て、輝夜は警戒心を緩めてもらったとでも思ったのか、彼女も口元を緩めると諭すような落ち着いた口調で話し始めた。


「今日はとても大切なお話があって、竜雄さんにお越し戴きました」


そう言って輝夜は、圧倒的余裕を含んだ微笑みを浮かべた。この話しを聞き終えるまでは帰しませんよ、と言外に言われているような気がした。


この俺に大切な話しだと?


その言葉を聞いて、俺は一瞬眉をひそめた。今さら本城寺家の人間、しかもその頂点に立つ人物が、俺に一体何の話しがあるというのか?


まさか、今日から私の下僕になれとか言いださないよな?


そんな考えがふと頭をよぎった時、俺の思考を遮るように再び輝夜が口を開いた。さっきよりもさらに落ち着いた、芯の通った声で。


「実は竜雄さんに、私の一人娘の婿となって頂きたいのです」


「…………」


は?


声が出なかった。


俺の聞き間違いかと思った。


今この人……『婿』とか言わなかったか?


返事ができずにただ呆然と突っ立ていると、輝夜はまるで迷子になった幼子を見るかのように、柔らかく目を細めた。


「突然の話しで申し訳ないのですが、本城寺家の跡取りとして、そして我が娘の夫として、龍崎竜雄という人間を迎え入れたいと考えています」


「…………」


またしても声が出なかった。というより、日本語で話しをしてもらっているはずが、何故かうまく理解できない。


ただ、頭で理解できなくても、身体はことの重大さを感じているようで、ふつふつと全身に鳥肌が立ってきた。そしてそれに遅れて、徐々に輝夜の言葉の意味を頭が理解していく。


……どういうことだ? この俺が本城寺家の跡取り? そして、輝夜の娘の夫??


輝夜の口にした言葉が、まるで毒々しい羽を持つ蝶のように俺の頭と心の中で舞っている。その恐ろしいほど甘美で蠱惑的な話しに、今度は心臓が激しく脈動し始めた。


いつのまにか額に大量にかいていた汗が、流れ出た己の欲望のように、俺の頬を伝っていく。


ゴクリと唾を飲み込むと、やっとの思いで俺は震える唇を動かした。


「つ、つまりそれは……この私に、本城寺家の未来を託す、ということですか?」


聞かなくてもすでに自分が理解していることを、俺はあえて口にした。口にせずにはいられなかった。なぜならこの言葉が意味することは、俺はこの日本で、いや世界の中で、神にも近い成功者になるということなのだから。


驚きと興奮のあまり、瞬きもできずに輝夜の顔を見つめていると、相手は全てを受け入れるかのようにそっと優しく微笑む。


「もちろんそのつもりです。その為に竜雄さんにわざわざここまでお越し頂いたのですから」


そう言うと輝夜は艶かしい動きで首を傾げた。おそらくとうに40歳は越えているはずだが、その仕草に、危うく心が飲み込まれそうになる。俺は自我を保つために、わざとらしく小さな咳払いを一つした。


危ない危ない。危うく娘の方ではなく、母親の方に意識が持っていかれるところだった。だか、これだけの美貌と魅力を持つ輝夜の娘となると……


俺の頭の中に、篠原を超えるまだ見ぬ美女の後ろ姿が浮かぶ。輝夜の子となれば、おそらく年齢は俺と近いか、あるいは初々しいハタチか。ありとあらゆる想像が、俺の持つ欲望のすべてを刺激し、危うくニヤけてしまいそうになる。


地位、名誉、そしてお金だけでなく、本城寺家の美しい一人娘。


たった一日の出来事で、俺はこの国一番の権力者になるのだ。俺が歩むべき人生が、激変するのだ。


武者震いが止まらない俺を、輝夜は「どうぞこちらへ」と言って、広い座敷のど真ん中に置かれている座卓へと案内する。太い大木をそのまま切り出したかのような一枚板で出来たその光沢ある座卓に、輝かしい未来を掴み取った男の顔が反射する。


俺は意識を切り替えるように上着の襟下を力強く整えると、用意されている座布団の上へと腰をおろす。金色の座布団には、今の俺にピッタリの龍の刺繍が施されていた。


「本城寺家の申し出は受け入れてくれるということでよろしいのですね?」


同じように正面に座った輝夜が、射抜くような真っ直ぐな瞳で俺の顔を見た。だが、今の俺にもう怯える必要などない。なぜならこの申し出を受け入れるということは、今度は俺が本城寺家のトップになるからだ。


「もちろんです。喜んで受け入れます」


俺は将軍を前にした家来がごとく、深々と頭を下げた。顔を上げると、相手は満面の笑みで微笑んでいる。


「さすが龍崎家の中でも優秀な竜雄さん。あなたなら必ずそう言ってくれると思っていましたよ」


そう言って輝夜はまたあの蠱惑的な笑みを見せた。俺は関わりが薄かったとはいえ、代々龍崎家が仕えてきた主人に褒められ、鼻先がむず痒くなる。どうやら俺の才能と運は、龍崎家の歴史の中でも一番らしい。


そんなことを思い心の中でほくそ笑んでいると、再び輝夜の声が耳に届く。


「それではさっそく私の娘を呼びましょう」


輝夜はそう言うと静かに立ち上がり縁側の方を見る。そして、広い空間が時間を止めたかのように静まり返ると、その両腕をゆっくりと上げてパンっと両手を二度ほど叩いた。


それを合図に、誰かが縁側の奥の方から歩いてくる足音が聞こえる。


ついにきた。


俺は大きく息を吸い込むと、己の自信と存在価値を全身で感じた。


今日という日をもって俺は、もはや誰も手が届くことができないほどの高みへと到達する。小難しい交渉や、バカな権力者たちに頭を下げなくても、存在そのもので相手を従わせることができる神のような存在へと。


一歩一歩近づいてくる足音を聞きながら、俺は静かに目を瞑った。


これほどまでに喜びを感じたことは、今でもの人生でもなかった。いや、これから先もないだろう。なんせ、地位も名誉も美女も一気に手に入るのだから。


耳に聞こえていた足音が、俺の目の前へとゆっくりと近づいてくる。さすが本城寺輝夜の一人娘。その足音を聞くだけでも品があることが伺える。


これは相当な上玉だ。


俺は笑みが溢れそうになるのを必死にこらえ、その時がくるまで目を瞑ったまま静かに待った。龍崎竜雄という人間に相応しい伴侶が、目の前にやってくるのを。


優雅かつ品良く聞こえていた足音が、俺の目の前で止まった。それを合図に、ゆっくりと瞼を上げる。この俺と共に、本城寺家の未来を歩む者。その人物とは……


そんなことを考えるだけでも、無意識に俺は呼吸を止めた。雑念を止めた。


そして顔を上げて輝夜の娘を見て……


思考が止まった。


え?


目の前に立っていたのは、輝夜と同じように美しい着物を身に纏った美女だった。


いや、『美少女』だった。


化粧をして大人びて見えるが、全身から溢れ出ている若々しさは俺より年下とか20歳だとかそんなレベルではない。それどころか、まだまだこれから色んなものが成長していきそうな気配さえある。


戸惑いと驚きで呆然としている俺に、目の前に現れた輝夜の娘は、その潤んだ唇をゆっくりと開いた。そして俺は、彼女の第一声に耳を疑った。


「天堂高等学校に通う本城寺天華と申します。不束者ではありますが、どうぞこれからよろしくお願い致します」


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蓋を開けると、嫁はJK。 もちお @isshi

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