4丁目の少女

Miya

第1話


 少女はバスに揺られていた。窓の外は土砂降りだ。傘をさして歩くおばさん、カッパを着て自転車をこぐ少年、カバンを頭に走るサラリーマン。みんなしかめ面で雨に立ち向かっていた。それでも少女は早く外に出るのが楽しみでならない。昨日買ってもらった花柄の透明な傘を握りしめた。

 「次は4丁目市役所前」というアナウンスが流れた時、少女はボタンを押した。「次、止まります」一斉にバスの中のランプが赤く光る。隣に座っていたおばちゃんがゴソゴソと折りたたみ傘を取り出した。少女はスマホを取り出し、お母さんに「次、おりるよ〜」と送った。バスが大きく揺れ、止まった。ドアが開き、隣のおばちゃんが立ち上がる。少女はぴったりとおばちゃんのあとに付き、混み合ったバスから降りた。

 雨の匂いが少女を迎えた。バス停には屋根がついていて、何人かの人がそこで傘を開いていた。隣にいたおばちゃんはさっと傘を開き、雨をしのいで颯爽と去っていった。少女はやっと自分の傘を使えることに高揚していた。傘のボタンを外し、はらりと花柄が揺れる。いざ、傘の下ろくろに手をかけた時、傘の先に立っている青年の存在に気づいた。スーツ姿の青年はピシッとネクタイを締め、まだ汚れていない綺麗な靴を履いていた。しかし、その服装とは反対に、どうにも困った顔をして外を見つめていた。「困っている人を見かけたら、声をかけてあげなさい」というお母さんの口癖がよぎった。片手を傘から離し、スマホを取り出した。「ちょっと帰るの遅くなるかも」とメッセージを送った。前回のメッセージはまだ未読のままだった。スマホをしまって、青年に近寄る。

「あの〜、お兄さん傘ないんですか?」

青年は少し驚いたように少女を見た。

「そうなんだ。夕立ならもうすぐやむと思うんだけど……」

雨の降る外に視線を移し、困った顔に戻った。

「間に合うかなぁ。もうあと5分もないんだよな……」

青年はちらっとスマホを見た。

「この傘、かします! 使ってください!」

青年はまた驚いた顔をして首を横に振った。

「いいよいいよ! きっともうすぐ止むから。大丈夫、ありがとう」

そう答えた直後、雨はより一層激しくバス停の屋根を叩き始めた。少女は青年を見つめたまま、傘を差し出した。

「やっぱり、お言葉に甘えて傘……借りちゃおっかな」

青年は少し照れながら、傘を手にした。

「本当に大丈夫? 急いでない?」

「大丈夫です。お兄さんが帰ってくるまでここで待ってます」

少女は数人がけのベンチに腰を下ろした。

「じゃあ、ありがとう。すぐに戻ってくるから、そうだな……10〜15分くらい」

「気にしなくて大丈夫です」

少女はスマホを取り出して青年に見せた。青年は少女の傘を開き、「ありがとね」と一言言い残して雨の中に出ていった。少女が使うはずだった傘は雨に濡れ、だんだんと小さくなっていった。

 ピロンとスマホが鳴った。「了解!」というスタンプだけがお母さんから送られてきた。なんとなく画面を叩いて、キーボードを出したりしまったりする。アプリを閉じると、メッセージアプリしか入ってないホーム画面が現れる。画面を消した。

雨の勢いはさっきよりも弱まり、少しだけ明るくなってきた。足をブラブラさせていると、椅子の下の何かに当たった。しゃがみこんで覗いて見ると、猫だ。白と黒が混じった毛色、茶色い目。少女を見てじっと動かない。少女もじっと動かない。目があったまま、雨音に耳をすませていた。猫がゴロンと横になり、白いお腹を見せた。少女は待ってましたとばかりにお腹をさすり、ベンチの上へと引き上げた。少女が隣に座ると、猫は丸くなって眠り出した。そっとその背中をさすった。

「あなたも、家に帰れないの?」

ボソッと呟いた一言に、猫は耳をピクッとだけさせた。少女は柱に寄りかかって、目を閉じた。真っ暗な世界に雨が屋根を叩く音だけが響いていた。

 

 肩を揺する温かい手に少女は起こされた。目の前にはスーツの青年がいることだけわかった。それだけ確認すると、あたり一面の水たまりに反射する光から逃げるように少女は目を閉じた。

「おはよう」

今度は少しずつ目を慣らし、青年の差し出す少女の傘を受け取った。

「ありがとう。助かったよ。ごめんね、待たせちゃって」

「大丈夫です。お母さんの言いつけなので」

そう言いながらふと横を見ると、もう猫はいなかった。

「猫は?」

「……ねこ? 僕がきた時にはいなかったけど」

あたりを見回しても、猫はいなかった。

「そっか。私も帰んなきゃ」

スマホを取り出しメッセージアプリを開く。お母さんから「まだ?」「迎えに行こうか?」とメッセージが来ていた。「今から帰るよ」そう送ると、傘を片手に少女は立ち上がった。

「じゃあね。お兄さん」

「うん、じゃあね。ありがとう」

いつの間にかジャケットを脱いだお兄さんは出会った時とは違う柔らかい笑顔を見せた。少女は水たまりの煌めく帰り道を、水の滴る花柄の透明な傘をさして歩いていった。

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