君が光に変えていく

清野勝寛

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君が光に変えていく




 病室の扉を開けると、ベッドから半身を起こし、目を閉じたまま窓の向こう側を眺める男の姿があった。その姿を見た瞬間、頭の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、眩暈がする。男から目を逸らしてしまおうとする自分を何とか抑えつけ、私はベッドの脇まで歩いていく。

「今日も来てくれたんだ」

 足音で聞き分けているのだろうか、窓から私の方へ顔を向けて、ニコニコと阿呆ヅラでそう言った。頭の両脇に鈍い痛みが集まってくるが、それを無視して持ってきた見舞いの品を放り投げる。おっと、と声を出してそれを受け止めてから、目の前の男はありがとうとまた私に笑顔を向けた。その目が開かれることはない。

「……毎度同じものばっか頼みやがって。おかげで売店のおばちゃんに顔覚えられちまったよ」

 悪態を吐きながら椅子に座る。丸椅子は小さすぎて尻が痛くなるので苦手だった。

「良いことじゃない。ちゃんと挨拶しなよ? 無愛想なところ直す練習だと思ってさ」

「……別に、直したいと思ってない」

 袋からサンドイッチを取り出して、両手の中でそれを遊ばせながら、ゆっくりと開封していった。ぐちゃぐちゃとでたらめに引っ張り、ようやく開封すると、ポロポロと粉が大量にこぼれ落ちる。中身が、半分以上飛び出していた。それでも、男はそんなこと気にする風でもなく、無理矢理全部を口に入れ、美味しい美味しいと何度も呟いた。

「間食し過ぎると、晩飯食えなくならないか?」

「いやぁ、育ち盛りだからね。寧ろ足りないくらいだよ」

 卵で口の端を汚しながら、そんなことを言ってまた笑う。ムカムカする。何故この男は、こんな状況になっても笑っていられるのだろう。こんな状況にさせた張本人がここにいるのに、ヘラヘラとしていられるのだろう。


 男、アキラは私の友人ではない。幼馴染でもなければ家族でもないし、当然恋人でもない。同じ学校の、隣のクラスにいた。それだけだった。レンズの分厚い眼鏡をしていたから、元々視力は低かったのだろう、寝ぐせのついたボサボサの髪で学校に来ていた。

 私は私で、クラスメイトからイジメを受けて、別室登校児をやっていた。親が煩かったから、皆が二限の授業を受けている最中に来客用玄関からこそこそと職員室へ向かい、進路指導室で教科書を見ながらプリントの問題を解いた。そして四限の中頃にプリントの答え合わせを生徒指導の先生にしてもらい、軽く近況報告をさせられて、またこそこそと家に帰っていく。そんな生活を送っていた。だから、本来なら私とアキラは一生関わることがない筈だった。それが変わったのは高校二年の冬、あと数週間で冬休みという頃合いだった。

 不登校になってから、家にいることが当然多くなり、出歩くこともないから食欲も減っていき、私は引きこもっていた一年の間で、十キロ痩せた。また、陽の光が極端に苦手になり、日中外で長時間陽の光を浴びると嘔吐してしまうほどだった。車で私を送迎してくれるようになった母には申し訳ないとは思っていたが、悪いのは私ではない。私をこんな風に変えたあいつらだ。それに、私は別に高校を辞めてもいいと言ったのに、最低限高校は卒業しろというから仕方なく通ってやっているのだ、それくらいの労力は受け入れてもらわないと困る。

 話を戻そう。いつものように来客用玄関から登校し、職員室へ向かうと、分厚いレンズの眼鏡をかけた男子生徒がいた。隣のクラスの担任をやっている社会科の菊池に強い語調で怒られている。おはようございますと生徒指導の先生の下へ向かいながら、二人のやり取りに聞き耳を立てる。

「だから、そんな見え透いた嘘を吐くなと、何回言ったら分かるんだ。先生だって人間だから、遅刻や寝坊くらいする時だってある。でもな、怒られるのが嫌だからって嘘を吐くのは違う、分かるよな」

「いやぁ、だから、本当なんですって。駅前の交差点で倒れている人がいたので救急車を呼んで一緒に病院に行って、そこで状況説明とかしていたんです」

「嘘を吐くな! 駅前だと? そんな所で人が倒れていたら、他の生徒の中にお前のことを見ている奴がいる筈だろう」

「それは、そうかもしれませんが……ほら、僕、影薄いし……」

「ふざけてるのかお前は!」

 こんなやり取りが何度も繰り返されていた。確かに、傍から見ても地味な見た目だし、友達が多そうにも見えない。それよりも、馬鹿な奴だ。怒られている時にあんなヘラヘラしてたら怒りを煽るだけだろうに。本当だろうが嘘だろうが、相手が納得する言い方をすればそれですぐ説教は終わらせられるのに、何故頑なに譲らないのか。まぁ、そればかりが言いわけでもない。他人に合わせ過ぎたせいで私の場合ははっきりしない、同調が鬱陶しいとされたらしいから。実際は、きっと誰でも良かったのだろうが。私という人間がいなくなった時の隙間が、他の人間よりも小さく、大勢に影響が少なかったというだけの話だ。

 それにしても、いつまで続ける気だろうか菊池は。あの男もあの男だが、菊池も菊池だ。授業を受けたことがないから良く知らないが、間違いなく煙たがられるタイプの教師だ。もしかすると、教師間でも評判は良くないのかもしれない。しかし、生徒指導の先生の声が殆ど聞こえない。いい加減鬱陶しくなってきたので、私は一芝居打つことにした。

「せ、せんせい……すみ、ません、ちょっと」

「ど、どうした、大丈夫か?」

 胸を押さえて、その場に蹲る。先生が、何事かと私の肩を揺さぶり声を掛けてくる。

「大きい声が、苦手で……胸が痛くて」

 そう告げると、先生は菊池の下へ向かった。

「菊池先生、もういいでしょう。今なら二限の授業を受けられるんですから、続きはまたということで……」

 そんな声を聞きながら、私は生徒指導室へ一人先に向かう。ああいうタイプの人間は、自分より立場が上の人間には何も言い返せない、筈だ。それであの男が解放されるかどうかは分からないが、私自身スッキリしたのでどうでもいい。

 いつものように生徒指導室でプリントを解いていると、コンコンと扉がノックされた。思わず体が跳ねる。誰だ、授業中のこの時間に、こんな場所へ。何も言わず扉を見つめていると、ゆっくりと扉が開かれた。

「こんにちは」

 現れたのは、先ほど説教されていた男子生徒。ニコニコとこちらに笑顔を向けてきて気持ちが悪い。出来れば誰とも関わりたくなかったので、何も言わずに睨みつける。けれど、私の心中などお構いなしに、男は教室に入ってきた。

「さっきはごめんね、僕のせいで体調悪くなっちゃったんでしょ? 今は平気? 大丈夫?」

 ニコニコ笑顔のまま、私に近付いてくる。椅子から立ち上がり距離を取った。なんだこいつ。考えて、私は思い至る。こいつもしかして「ヤバい奴」か。私がいつもここで一人でいるということを聞いて、良からぬことでも考えたのだろうか。だとしたら、直ぐに逃げなければ。

「ごめん、驚かせちゃったよね。僕は二年三組の渡瀬晶。こんな見た目なのに強そうな名前でしょ?」

 私が警戒しているのを察したのか、アキラは近付くのを止めて、両手を上に挙げたままで話し続けた。

「僕が菊池先生に怒鳴られていたせいで、体調が悪くなったって聞いてさ、今ようやくお説教から解放されたところなんだけれど、一言謝っておきたくて。体調が平気なら、それでいいんだ。ごめんね、お邪魔して。それじゃ」

 そういうと、アキラはそのまま生徒指導室を出ていった。おかしなことを言う奴だ。悪いのはお前ではなく、いつまでも怒鳴り続けていた菊池の方だろう。

 まぁ、私がここに通っている限り、もう会うこともない。そう思い、気にしないことにした。


 けれど、私の予想は大きく外れ、アキラは二限と三限の十分休憩の間に私の所へ現れるようになった。生徒指導室の扉の所から話をしようと声を掛けてくるだけで、それ以上は近付こうともしてこない。その会話も、私は無視し続けているというのに、一人で勝手にペラペラと話し続けているだけで、厳密には会話とは呼べない。昨日発売した何とかという小説が面白いだとか、冬休み中は年末年始の郵便配達のアルバイトをやれと親に無理矢理やらされることになっただとか、マフラーは温かいけれど毛糸がごわごわして痒くなるから少し苦手だとか。本当にどうでもいいことばかりを好きなだけ喋って、チャイムが鳴ったら帰っていく。友達いないだろうなと思った。

 しかし、モノを言わぬ私に勝手に話して満足されても困る。あいつのせいでプリントに集中出来ない。帰る時間が遅れてしまうと、昼休憩と被ってしまう。その場合は、昼休憩が終わるまでは帰ってはダメらしい。こっちは一刻も早く家に帰りたいのに。

 二週間もそんなことが続き、いい加減鬱陶しくなってきた。今日現れたら、迷惑だから来るなと言ってやろう。そう思い登校してきたというのにあの男、今日は来なかった。なんだか肩透かしを食らったみたいでムカつく。いや、ようやく私の所へ来るのに飽きたか。そりゃそうだ、何を話したって会話にならないのだ、人形と向かって話しているのと変わらない。いつだってあいつはニコニコと楽しそうだったが、内心はつまらなかったのだろう。とにかく、これで煩わしいものが一つ消えたのだ、あいつのことなど、もうどうでもいい。

 一人納得して、その日のプリントを終わらせる。もう直ぐ期末テストがあるらしい。テストの内容は一般生徒と同じものらしいから、多少家でも勉強をしないといけない。面倒くさいがまぁ、どうでもいい。

 玄関で靴を履き替えると同時に、溜め息を吐く。この生活も後一年の辛抱だ。それから私は……それから私は、どうなるのだろうか。


 校門の傍らにある電柱に隠れるようにして母の迎えを待つ。一昨日降った雪が積もって、靴の底を濡らしている。白い息が勝手に口から出てきて鬱陶しい。まだ年も変わっていないうちから言うのもあれだが、早く春が来ないだろうか。

 ふと、向こうから知った顔が歩いてくるのに気付く。あいつ、一人でいる時もあんな風にニコニコヘラヘラと笑っているのか、気持ち悪い。身体を電柱に隠すが、目ざとく奴に見つかってしまったらしく、右手を挙げてこっちに走ってくる。

「こんにちは、もう今日は終わりなんだね」

 私はスマートフォンを操作しながらアキラの話を無視する。母よ、早く来てくれ。そう祈っていると、遠くからチャイムの音が聞こえてくる。四限の授業が終わったようだ。そこで気付く。

「……あんた、今来たの?」

 思わず聞いてしまった。これから昼休みだという時間に来たということは寝坊か、それともまた何かトラブルに巻き込まれでもしたのだろうか。私の問いに、アキラはニコニコ顔のまま答えた。

「うん、そうなんだ! 学校に来る途中でおばあさんが大きい荷物を運んでいてね。三歩進んで休憩して、三歩進んでまた休憩、って感じでさ。あれじゃあ日が暮れちゃうなぁと思って、お節介だとは思ったんだけれど、声を掛けたんだ。それで、歩いていけない距離じゃないなと思っておばあさんの家までその荷物を運んできた。聞くとね、おじいさんが先日亡くなって、寂しいだろうって息子さん夫婦とお孫さんが今度おばあさんの所に引っ越してくることになったらしいんだ。それでおばあさん嬉しくって大きいサイズのテレビを買ったんだって。こーんな大きいやつ。六十インチだって。それを僕が運んだってわけ。お孫さんたち、きっと喜ぶだろうなぁ」

 長いし早口だし、うるさい。とんだお節介もいたものだ。というか、そんな漫画じゃあるまいし、というか、売った店側も考えろよ、年寄りになんてもの持たせるんだ。

 いや、さすがに口から出まかせだろう。そんな漫画みたいな出来事、そうそうあってたまるか。しかし、嘘でここまではしゃぐ奴もなかなかいない。先日の件もある。私はこいつに一応忠告をすることにした。

「あんたさ、それ先生に言わない方が良いよ。また長いこと説教になるから」

 言うと、アキラはきょとんと変な顔をしてからああ、と納得したように答える。

「ありがとう。んーでもなぁ、ホントのことなのに嘘吐くのも違うなぁって思うんだよね。それに、嘘を吐く度に、どんどん本心を言えなくなるような気がするんだ。そのせいで、ありがとうとか、ごめんねとか、いつか本当に、心から伝えたいことが相手に伝わらなくなったら嫌でしょ? だから、甘んじてお説教は受けようと思う。遅れる連絡をしない僕にも悪いところはあるしね」

 まさかの答えを返されて、内心驚いた。こいつはこいつなりに、思うところがあって行動しているのだ。生きにくい性格をしているなと思う。だが、その在り方は嫌いではなかった。

「……ふうん。まぁ、好きにすれば」

「うん、そうする! それじゃあね」

 そう言って勢い良く手を振りその場を去っていく。最初の印象通り、やっぱり変な奴だった。だが、それの何がいけないというのだ。普通でないことに、普通であることに、どれだけの価値があるというのだ。

 次の日から、アキラはまた普通に、私の所へやってきた。作業も捗らないので、その時間は私も勉強する手を止め、アキラと会話をすることにした。おかしな奴同士、話は噛み合わないけれど、それでアキラが満足してくれるなら、それで良かった。この場所へ来ることに意味を見出せたような気がした。


 冬休みに入った、らしい。というのも、私は他の生徒がいないこのタイミングで、補習という形で一気に勉強の遅れを取り戻さなければいけなかった。年末年始を除き、朝九時から、昼の二時まで学校に通うことになる。いつもの倍以上の補習は、かなりしんどかったが、一対一の授業では気も抜けない。

 年が変わって補習が再開されると、冬休み最終日に期末テストで悪かった教科のテストをすると伝えられた。新年早々しんどいことが続くとは、日頃の行いというのは大切なのだなと思いながら、私は校門脇の電柱で光を遮り、母の迎えを待っていた。

 しかし、寒い。スマートフォンを確認すると、母から連絡が飛んできていた。年始ということもあってか、渋滞に巻き込まれたらしい。あとニ十分は掛かるそうだ。学校にはいたくなかったので、仕方なく近くのコンビニまで歩くことにした。

 こんな田舎道だ、除雪なんてされない。人が歩いた足跡が、氷の道を作っていた。この氷が日中は表面が溶けて滑りやすくなっているのでとても危険だ。多少足が濡れるのを覚悟で雪の上を歩いた方がまだ安心だろう。いつもなら五分ほどで辿り着くコンビニに倍近い時間をかけて向かい、中へ入る。強すぎる温風に髪が靡いた。

「あんた、なんでこんなところいんの?」

 背後からそう声が聞こえたかと思うと、強引に肩を引っ張られる。クラスで先陣を切って私に暴力を振るっていたマナミだった。取り巻きと合わせ三人組に見つかったらしい。迂闊だった。部活動をしている生徒なら、この時間帯、この場所にいても不思議ではない。三人はたしか、剣道部だったか。態度がデカいだけでなく物理的にも強いとは、たちが悪い。

「別に。迎えを待っているだけだけど……」

 緊張で喉に唾液が張り付く。掠れた声でなんとか伝えたが、ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべて絡んでくる。

「久しぶりに遊ぼうよ、そっちの方でさ」

 為す術もなく、三人にコンビニの外へ連れていかれる。外は寒いから嫌だったが、そんな道理が通る相手ではないことは、嫌というほど理解していた。

 コンビニの裏手に引っ張られ、そのまま思い切り投げ飛ばされる。陽当たりの悪い場所の雪は、固くなっていて、痛かった。膝と、掌から血が滲んでいる。ああ、面倒くさいことになった。汚い笑い声が聞こえてくる。こんなことをして、一体何が楽しいというのだろう。理解出来ない。

「遊んでたらだんだん体熱くなってきたでしょ? 脱げよ」

 マナミがとんでもないことを言い出した。倒れたままの姿勢で、それは勘弁してくれと言おうとするが、それよりも先に、取り巻きの二人に腕を押さえつけられる。抵抗すると、腹を殴られた。良い感じにもらってしまい、足腰に力が入らなくなる。視界も急速に狭くなった。いっそ殺してくれと思った。その方が、幾らかマシだ。なんでこんな奴らが普通に生活しているのか分からない。あっという間に上着を脱がされ、制服のジャケットも奪われる。中に籠っていた熱が外気に触れて、一気に体が冷えていくのが分かる。だが私には、どうすることも出来なかった。

「なにやってるんだよ」

 その時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。ぼやけた視界で、声がする方を見る。アキラだった。その顔はいつものニコニコ顔ではなく、一目見て分かるほど怒っていた。眉間に深い皺を作り、口の端が震えている。彼の後ろには、荷物を積んだ赤い自転車が見えた。そうか、年末年始のアルバイトか。

「うるせえな、なんだお前」

 さすがに解放されると思ったが、アキラは背も小さく、体も細い。返り討ちにしてやろうとでも思ったのか、三人の標的が私からアキラに変わる。

 それは、許せなかった。私には何をしても良いと諦めがつくけれど、アキラは、ダメだ。だってアキラは、メチャクチャ良い奴なんだ。そんな人間がこの世界に存在しているのかよってくらい、良い奴なんだ。私みたいな奴とも、普通に話してくれる奴なんだ。そんなアキラを、お前たちみたいなゴミ人間に、いいようにされてたまるか。

 私は絶叫した。今まで出したこともないくらいの大声を上げた。そしてそのままマナミに向かって走り出す。そのまま突進しようとしたところで、マナミの蹴りが、私の顔面に当たった。私の視界は一瞬真っ白になり、次に気付いた時には、雪の上に横たわっていた。だが、私に蹴りを入れたマナミもその場に尻を付いている。私を蹴った時に、滑って転んだんだろう。

「うわあああああ!」

 今度はアキラが叫んでマナミに飛び掛かる。そのままマナミに馬乗りになって、何度も何度もマナミを殴っていた。マナミは顔を守ることしか出来ず、最初のうちはやめろだなんだと喚いていたが、そのうち何も言わなくなった。慌てて取り巻きの二人がアキラを突き飛ばす。

「大丈夫? 直ぐ警察と、救急車呼ぶからね! ごめんね」

 アキラがいつもと違う引きつった笑顔で私に声を掛ける。なんで、ごめんねなんだよ。こっちの台詞だろ。

 アキラはスマートフォンで電話をかけている。救急車だなんて、大袈裟な。ちょっと痛みが引くのを待っているだけだから、平気なのに。あの頃は、これくらい、普通だったから。別に、私は、平気なのに。気が付くと、私の両目からは涙がこぼれていた。

「てめぇ、ふざけんなよ……」

 声がした方を見ると、マナミが立ち上がってこっちを睨みつけている。手には……あれはなんだ、コンクリートのブロックだろうか。両手でそれを持ち上げてアキラに向かって水平に振りかぶっていた。

「あ、アキラ……!」

 なんとか声を出したが、もう遅かった。マナミの声で振り返ったアキラの顔面に、コンクリートが振り下ろされる。アキラは、殴られた衝撃でその場に倒れ、動かなくなった。



 その後のことは、よく覚えていない。気が付くと私は病院のベッドで寝ていて、母が傍で泣いていた。アキラのことを聞くと、別の病院で治療中だと聞かされた。その後、警察と、生徒指導の先生と元担任ら数名が来て、何があったのかを聞かれた。私はその質問には一切答えず、学校を辞めるという旨だけを伝えた。あんな異常者がいる場所に、もういたくない。そしてその異常者を庇い、被害を被った側を除外するような学校なんて、なくなってしまえばいいと言った。どうせ誰にも伝わらないのだから、考え得る限りの罵詈雑言を投げつけて出ていけと叫んだ。

 退院後、警察がまた私の所に現れて、色々聞いてきた。私はそいつらにアキラがどこにいるのかだけを聞く。総合病院に入院しているらしい。直ぐに準備をして、病院へ向かった。

 あの日から、何度も、自分の愚かさを呪っていた。アキラに何かあったら、私はどうすればいい。あいつは何も悪くないのに。私と関わったせいで……。


 伝え聞いた病室へ向かうと、六人部屋の病室の一番奥、窓際のベッドの上から、ぼんやりと外を眺めるアキラの姿があった。

「アキラ……?」

 私が声を掛けると、アキラは弾かれたようにこっちを向いて笑顔になった。目には、ぐるぐると包帯が巻かれていた。

「君かい? 来てくれたんだね! 嬉しいよ、何も見えないし、退屈していたところだったんだ」

「……なにそれ、見えないって」

「いや、当たり所が悪かったらしくて、弱視……とはちょっと違うみたいなんだけれど、眼鏡なんかじゃ強制出来ない程度には見えなくなっちゃうかもってさ。今度手術するらしいから、それ次第ではもう少し回復するかもしれないらしいんだけど」

 いつもの調子で、そんなことを言う。馬鹿かこいつは。いや馬鹿だ。涙が、溢れてきた。

「ごめんなさい……私のせいで」

「ううん、こちらこそごめんね」

 何故謝る。全部、全部、巻き込んでしまった私が悪いに決まっているではないか。それなのに、何故怒っていないのだろう。ニコニコと笑っていられるのだろう。

「なんで……そんな平気そうなんだよ」

「だって、もしこんな目に遭うのが君だったら、嫌だったし。それに、もう少し早くあの場所を通って、飛び掛かったりする前に通報していたら、こんなことにはならなかった。大体、生徒指導室でプリント解いていたんだし、いじめがどうとか、そういうことに注意するべきだったんだよ僕は。だから……ごめんね」

 私はアキラを抱き寄せて泣いた。

「女の子に抱き着かれるのは、悪い気しないね」

 そんなことを言っていたので、軽く頬にビンタした。




 その日は、いつもより見舞いに行くのが遅くなった。外はすっかり薄暗くて、街灯も明滅を始めている。この時間なら、さすがにサンドイッチはいらないだろうか。そう思いつつもサンドイッチを購入する。売店はしまっているだろうから、近くのコンビニで。

 いつもより人が少ない病院内を歩いて、あいつの病室を目指す。カツカツと自分の靴の音が反響して、煩わしい。

 ゆっくりと病室の扉を開ける。幾つかのベッドを通り過ぎて、窓際のベッドのカーテンをそっと開く。

 アキラは眠っていた。こんな時間から眠っていたら夜眠れなくなるのではないかと思ったが、起きていても眠っていても、暗闇の中にいるこいつにとって、夜はそれほど苦しい時間ではないのかもしれない。私だったら、静かな夜の方が、色々と落ち着く。日中は騒がしくてうんざりすると思うし。

 そういえば、眼鏡を外したところなんて、初めて見たかもしれない。通い始めてもうすぐ三か月も経つというのに、まだ私は、アキラのことを良く分かっていない。いや、知ることを恐れている。私に光をくれたアキラから、光を奪った私を、本心ではどう思っているのか。口ではそんな風には思わないと言ってくれるが、それを信じられないでいる。なんて矮小な人間なのだろう。けれど、それと同時に離れられなくなってしまった自分もいるのだ。光が温かいのだということを知ってしまったその日から、私の暗い部分を根こそぎ光に変えてしまおうとするこいつから、私は、離れられないでいる。

 今日は、サンドイッチだけ置いて帰ろう。賞味期限は明日の朝だ。看護師や身の回りの世話をしている人が気付くだろうし、気付かずに時間が経ってしまったのなら捨ててしまえばいい。音を立てないようにそっとビニール袋をベッド脇のテーブルに置く。

 注意したつもりだが、ガタ、と音を立ててしまった。ゆっくりとアキラの様子を確認するが、目覚める様子はない。どうやらぐっすり眠っているようだ。生活が不規則になっているのだろうか。

 そのまま、ベッドの脇に付いている落下防止の柵を掴んでアキラに向かって身を乗り出す。少しずつアキラの顔が近付いてくる。寝息が聞こえてきた。

 気が付くと、私の唇は、アキラの額に触れていた。なんとも言えない感触がする。すると、アキラがうめき声をあげた。咄嗟に身を引く。馬鹿だ。何をしているんだ私は。熱が顔に集まっていくのが分かる。無防備な姿に、つい魔が差してしまった。

 数度深呼吸をして、ようやく落ち着いた頃、ここにいても仕方がないことに気付く。サンドイッチは渡したし、アキラは眠っている。私がこいつにしてやれることは、とても少なかった。 

「……おやすみ、アキラ」

 一言囁いてからカーテンを閉じ、逃げるように病室を後にする。

いつか私も、彼の光になれるだろうか。そんなことを考えた。

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