もうひとり

 また何年かが過ぎて今年となった。ここ一年、ヒロシがあの二人を見掛けることはめっきり少なくなっている。ヒロシの通勤時間が微妙にずれたり、そもそも電車のダイヤが東横線、相鉄線ともにも変わったこともあるだろう。


 さらにこの半年では、彼らを見掛けても彼だけが1人で歩いているところばかりとすれ違う。良く考えてみると、彼女は1年ぐらい見掛けていない。ちょっと気になり出した。通勤時間が変わったか、それとも、まさか二人は別れてはいないだろうか。気になるヒロシであった。


 今週初めの月曜日のことである。ヒロシは、いつもの通り駅の改札を出てオフィスへと歩いていた。オフィスまでの丁度中間ぐらいのところで、誰かが後ろから走って来る気配がする・・。追い抜かれてみると・・なんと彼だった。


 どうやら駅まで行ったものの、忘れ物でもして家に取りに戻るような感じだ。彼は、あっという間にヒロシを追い越し、先に走り去って見えなくなった。ヒロシは、彼の勢いと、いつものすれ違いではないパターンに少々ビックリしている。


 ヒロシは歩き進み、オフィスのあるビル近くに来た時だった。オフィスの前に立つ数世帯が入っているアパートの1階の部屋のドアが開いて彼が出て来るのが見えた。


「へぇー、こんな近くに住んでいたんだ。やっぱり忘れ物だったんだな。」


と思ったその時だった。ドアから続いて彼女が出て来たのだ。久しぶりに見る彼女だった。髪が少し短くなり、より大人びて見えた。身なりは軽装だ。顔に化粧はしていないが肌艶は良く、以前の雰囲気の颯爽・・という感じは薄れ、優しい表情に見えた。どうやら仕事に行くのではないようだ。仕事を辞めているのか? そんなことを考えたところ・・、アパートの前の道に二人が出てきて二人の全体が見えた。


彼女の胸には・・、なんと! 小さな赤ちゃんが大事に抱かれていた。


彼女は彼を見送った後、早々と部屋の中に入ってった。


「そうだったのか・・。」


暫く彼女を見なかった理由がわかった。ヒロシは小さく、ふたりに・・いや、3人に、心からつぶやいた。


「おめでとう。」


月曜の朝から、ヒロシの涙腺が少し緩んでいた。

この時点でもおそらく二人はヒロシを知らないと思われる。この家族は幸せに精一杯のムードが満載だったからだ。

--

 ヒロシの本拠地のオフィスは今春に別駅近くに移転となる。長きに渡ったこの家族とのすれ違いもそろそろ終わりに近づいていた。ヒロシは、通勤路をほんの少し楽しくさせてくれたこの家族に感謝をしている。

(了)

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人間模様9 通勤路のふたり herosea @herosea

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