微笑みを数える日(L)

水瀬 由良

微笑みを数える日(L)

 電車を降り、駅を出る。

 なんの変哲もない、普通の町だ。

 第一印象というほどのものもない。駅前には小さな不動産屋があり、最近できたのか、少し大きめのコンビニがある。他には、お約束通りのパチンコ屋があって、飲食店が並んでいる。


 やはりどこにでもある普通の町だ。


 ただ、どうしてだか犯罪率が低い。

 

 この傾向が表れたのは、5年前からだ。

 この駅の周辺の町だけ、他の町に比べてわずかに犯罪が減っていた。最初の1年はそういうこともあるぐらいだったが、2年目は差は明らかになり、3年目となると何かが違うということになった。


 その他に挙がってくるデータを見ても、目だった特徴はない。所得が極端に高いわけでもなく、世代の人口比に偏りがあるわけでもない。


 データでは理由が分からない。

 もちろん、今までに現地視察が行われたこともあったが、やはりよく分からない。ただ、今までの現地視察は公式のもので役所などの訪問が中心だったから、実態を把握するには不適切な手法だったのかもしれない。


 私の町とどう違うのか。

 実際に町を回って確認するのが、今回の目的になる。


 まずは、昼食をとることにする。

 昼間にやっている食べれそうな店はチェーン店ばかりだが、基本メニューのみの提供はフランチャイジーが決めて、定食の組み合わせはある程度店主の自由にできるチェーン店にする。

 

 こうした店の方が町の雰囲気がわずかでも分かるだろう。

 入ると「いらっしゃいませー」と威勢のいい声がする。チェーン店だし、社員教育が普通にされているのだろう。

 それなりの人がいて、そこそこ繁盛しているようだ。


 適当に注文し、食事が来るのを待つ。

 周りを見回しても、別に変ったところはない。スマホをいじりながら食べている客もいれば、店においてある雑誌を見ている客もいる。


 普通のどこにでもある光景だ。

 私もスマホで暇をつぶす。


 定食が来て、食べる。普通の味だ。特別においしいというほどでもないが、まずくない。普通に、おいしい。


 食べていると、隣の客が食べ終わって席を立った。


「ごちそうさま」

 そう言ってあいさつしながら立ち、会計のところでまたあいさつしていた。

 別におかしい光景ではないし、そういう人もいるが、なんか愛想のよさそうなタイプには見えなかったので、少し意外だった。

 

 私はもともと食べるのはあまり早くない。それにこの後、何時からここに行かなければならないというものでもない。

 だから、ゆっくりと食べていた。


 出ていく客を見送っていて、気づいたことがあった。ここの客はきちんとあいさつしていってから出て行っている。全員が全員常連というわけでもないだろう。

 店主の人柄からか?

 確かに、客が出ていくたびに店主と思われる男性がしっかりとあいさつをしている。それに店主とバイトの仲もよさそうだ。食事時というのは忙しい場合が多く、勢い言葉もとげとげしくなってしまうのが普通だが、バイトも店長もときおり笑みを浮かべている。

 やっぱり店主の人柄なのか。


 そういえば、ここの客は店長に向かって笑みを浮かべていたような気がするな。

 一番不愛想な顔をしているのは、おそらく私だろう。


 食べ終わって、店を後にした。

 あの雰囲気の中で、黙って席を立ち、黙って会計するのもはばかられたので、私には珍しく少し大きめの声であいさつして、出た。


 さて、どこに行こうか。

 ホテルのチェックインまでにはまだ時間があるが、とりあえず、荷物は預かってくれるはずだから、ホテルに向かい、荷物を預けて、その後に散策することにした。


 なんというか、なんとなくだが、人通りが多く、老若男女の比率もそんなに偏っていない。全体として活気があるのだ。公園でも子どもが普通に遊んでいて、どことなく声が大きい気がする。


 それに、道行く人たちが時々会釈をしている。程よい距離感を保っている感じがする。肌感覚的に本当にちょうどよい居心地のよさがある。


 そういえば、犯罪率も少ないが、役所への苦情の件数も非常に少なかった。

 最近では、保育園や幼稚園を作るときでさえもうるさいと苦情が入る。この町ではそういった、いかにも現代的というような苦情がほとんどなかった。


 もちろん、苦情が入ることもあるが、それは実際に蜂がどこに出たので駆除してもらいたいと言った無理のない苦情だった。


 だが、問題はどうやってこの居心地のよさを実現できたのか。それが分からないと視察の意味がない。


 歩き疲れたので、喫茶店に入ると、オーナーらしき女性と常連客らしき男性がカウンターで話していたが、店主はにこやかに対応し、注文を聞き、コーヒーを持ってきてくれた。ここもやはり居心地がいい。


 いつもなら、初めて入った喫茶店のオーナーに話かけるなんてことはできないが、ここなら話すことができそうだ。


 思いきって話しかける。


「初めて来たんですが、いい店ですね」

「そうなんですか。ありがとうございます。」

「この町に来るのは二回目なんですが、前よりもずっといい町になっているような気がしますね」

 これは嘘だ。初めて来たんだが、前とは違うってことを聞きたかった。


「そうですね。私も前よりもずっとずっといい町になったと思いますよ」

「なんていうか、やさしい感じになっている気がします」

「私もね、そう思うの」

「どうしてですかね?」

 ふふっとオーナーが笑った。

 そして、カウンター席にいる男性を見て、目配せをした。男性は恥ずかしそうに目をそらした。


「きっとあそこにいる三島さんのおかげよ」

 オーナーは私にちょっと近づいて、声を落として教えてくれた。

 男性の方に目をやる。

 不潔というほどではないが、ちょっと汚れた服装だ。くすんだ色の上着に、しわしわのシャツに、ゆがんだネクタイ。少なくともきっちりした印象は与えないだろう。それでも、オーナーは『三島さんのおかげだ』という。

 

 こちらが見たこととは関係あるのか、ないのか、男性は時計に目をやって、席をたった。

「ごめんな、ちょっと次行くところあるから」

「あらあら、ごめんなさい。あいかわらず話し込んじゃって」

「いや、いいんだよ。ああ、そうそう」

とこっちに話を振ってくる

「ここの店はね、ブレンドもおいしいけど、抹茶ラテもおいしいよ。落ち着く味がするんだ」

 そういって会計をして、店を出て行った。

 

 三島さんか、柔らかい人だな。

 そんなに年にも見えないのに、持つ雰囲気が柔らかい。なるほどね。


「三島さんってどういう人なんですか」

「そうねぇ、一言でいえば、やさしくていい人、ね」

 ふんわりした表現だ。


「どういうところがいいんですか?」

「なんかね。分け隔てがないの。子どもにだってやさしいし、老人にだってやさしい。それに、間違ったことがあったら、じっくりと時間をかけて話してくれるの。あの人が怒ったところなんて見たことはないわ」

「へぇ」


「そうねぇ。例えばね、子ども達の声がうるさいって苦情をいうような人がいるでしょ? それとか、杖をついている老人が遅くて邪魔だとかね。そういう人を見かけるたびに話すのよね」

「でも、そういう人たちって話しても聞かないでしょう?」


「そうじゃなかったのよね。私も後で気づいたんだけど、結局そういう人たちって心に余裕がないのよ。寂しかったり、体力的に辛かったり、理由はそれぞれだけど。そういう人たちの話を聞いてくれて、ほんの少しだけ心に余裕を持たせてくれるのよね。三島さんの話って。三島さん自体はあんまり話したがらないけどね、自慢することじゃないって」


「それはすごいですね。何をされている方なんですか?」

「そうなのよね。それがね、刑事さんみたいなのよ。いつも笑って教えてくれないんだけど、子どもをもてあましていた親御さんが言っていたわ。三島さんが話してくれて、子どもが少し素直になったんだけど、子どもが刑事って言ってたらしいわ。手帳も見せてくれたって」

「へぇ、いい刑事さんもいるんですね。パトロールついで、みたいな感じですかね」

「そうだと思うわ」

「刑事さんにとっても町のことって必要なことですし」

「そうかもしれないけど、三島さんは仕事とか考えてないように思うわ」

 

 ……

 この町の謎が少し解けた気がした。みんなが少しずつ余裕をもっている。その役割を担っているのが、三島という刑事。

 私は三島さんについて調べてみないと。


 ――――


 調べなきゃよかった。

 私はそう思った。三島さんのフルネームはフルネームは三島晴人みしまはると。6年前ぐらいにこの町にやってらしい。

 しかし、三島さんは刑事でもなんでもなかった。確かに三島さんは刑事を名乗っていたようだ。

 だが、それは偽り。


 どこをどう探しても、この近くに三島晴人みしまはるとという名で勤務している刑事はいなかった。手帳も偽物。偽物の手帳を作り、他人にそれを見せると、公記号偽造及び偽造公記号使用罪になる。


 だが、いろいろと他の人からも聞いて、三島さんを悪く言う人はいなかった。

 この町のささやかな幸せを作っているのは三島さんだ。


「俺はね、大きな笑いなんていらない。ただ微笑んでくれればそれで満足なんだ。爺さん、笑ってみなよ、そしたら、きっと他の人の笑みも数えられるようになるよ」

 

 町の人が言っていた三島さんの言葉だ。

 三島さんにどんなことがあったかは分からない。ただ、三島さんはこの町の微笑みが好きなんだろう。


 そして、三島さん自身も笑みを数えているのだろう。


 報告書にはなんて書けばいいのか。

 正直に書けば、三島さんは遅かれ早かれ逮捕され、この町からいなくなってしまうだろう。それはいいんだろうか。三島さんは間違いなく罪を犯してしまっている。だが、それを処罰することで何かよくなることがあるのだろうか。





『この町の犯罪率の低さは、住民間のほどよい距離感にあると思われるところであり、その理由については様々な要因が考えられるが、大きく分けて3つ考えられる……」




 結局、私は報告書に三島さんのことを書くことはできなかった。

 もしかしたら、今までも原因は分かっていたのかもしれないが、今の私と同じように書くことができなかっただけかもしれない。

 

 今も三島さんはあの町にいるのだろう。

 きっと、微笑みを数えながら。

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