ただ、君に届け。

あげもち

あの日も、こんな夏だった。


 あの日もこんな夏だった。


 砂混じりの風が吹くグラウンドは、西に傾いた日が妙に眩しくて。


 ジメジメした風が吹く度に、ベタりとした感じが肌に巻きついてくる。


 529…530…。


 もう、部活は終わっているというのに、俺はまだ、シャドウピッチングをやっていた。


 腕を振る度に、ブンと、鈍い音が響く。


「そろそろ、やってみるか」


 誰もいないブルペンで呟くと、タオルからボールに持ち変える。


 俺は大きく左腕を振った。


 投げたボールは、ネットをそれて、金属製の金網にぶつかる。


 カツン!


 そんな軽い音だけが、妙に響いた。


 ボールがボトリと地面に落ちる。


「くそっ!」


 思わず帽子を地面に叩きつけた。


 もう、これで何回目だ…。



 半年前、肩を壊した。


 2年生にして、早くもチームのエースとなった俺は、ほぼ毎試合投げた。


 だが、そのせいか、肩が痛いと思い始めた時にはもう、どうにもならない状態だったらしい。


 初めは剥離骨折から始まり、肩のインナーマッスル炎症を起こす。


 すると痛みで肩が回らなくなる。

 そう、いわゆる野球肩だ。


 野球肩の1番の治療法は休養と言われ、俺は今年の夏、ベンチには入れたものの、マウンドに立つことはなかった。


 そして、ボールを投げられるようになるまで回復したのだが、状況は思った以上に深刻だったのだ。


「もう1球…」


 半ば、やけくそだ。だけど、それよりも今まで出来てたことができない事の方が、悔しくてたまらない。


 落ちた、ボールを拾い、マウンドに戻る。


 そして大きく振りかぶった、その時だった。


「そんな無茶すると、また肩壊すよ」


 声のした方へ顔を向ける。


 ブルペンの外には、制服姿の秋山木乃葉あきやまこのはが後ろで手を組みながら、呆れたような顔でこちらを見ていた。


「余計なお世話だ」


「ふふ、まぁ、おつかれ」


 ニコリと笑い首を傾ける。ポニーテールがサラリと揺れた。


「ちょっと休憩しない?」


 そう言うと、木乃葉は後ろに回していた手を離し、ペットボトルを見せる。


 2本分のアクエリアスについた水滴が、キラキラと夕日を反射して、妙に眩しい。


「おう、せんきゅー」


 そう言うと、ボールをマウンドに置いてブルペンを出た。


 近くのベンチに腰掛けると、その隣に木乃葉も座る。

 お尻に振動が伝わってきた。


「はいこれ」


「わりぃ、ありがと」


 受け取ったペットボトルのキャップを捻る。


 パキッと音をたて、キャップを取ると、一気にアクエリアスを喉に流し込んだ。


 あまじょっぱい味が冷たい感覚と共に潤いを与える。


「生き返ったわ」


「うん、それじゃ出世払いね」


 そう言って彼女はもペットボトルに口をつける。


 その時にちらりと覗かせる白い喉が色っぽく感じた。


 ペットボトルから口を離すと、こちらを向いて口を開いた。


「ふぅ…、それで、あんなに肩回していいの?」


「まぁ…時間ないしな」


 そう、夏の大会を2回戦で負けてしまった俺たちは、既に秋の選抜に向けての練習が始まっている。


 そして、この秋のメンバーが春、夏の大会で試合に出るスタメン候補になるのだ。


 だからどうしても俺はピッチャーとして、もう一度マウンドに立たなくてはいけないのだ。


「そうかもしれないけど…」


 そして、顔を学校の方へ向けると、手を頭の後ろで組みながら、グッと後ろに体重をかける。


 しばらく、無言のままセミの声だけを聞いていた。


 日は、更に紅くなって、次第にひぐらしが鳴き始める。


 すると、


「まぁ、あれかな」


 木乃葉は学校を向いたまま、口を開く。


「簡単じゃないからこそ、夢は輝く…的な?」


「はぁ?」


 木乃葉があまりにも柄じゃない言葉を発したので、俺は驚き半分、何言ってんだこいつ?みたいな顔を向けた。


 すると、木乃葉はゆっくりと立ち上がり、スカートの埃を払う。


「そのお返しは、甲子園で優勝してくれればいいからさ…」


 そう言ってカバンを持つと、俺の方に顔を向ける。


「無理せず、頑張りなよ」


 そして、ニコリと笑ったその顔に、夕日が当たる。小さな頃から見慣れてきたその顔が、妙に大人っぽく見えた。


 甲子園で優勝…ね。


 たぶん、ていうか、今のままじゃ間違いなく無理だ。


でも…。


『そのお返しは、甲子園で優勝してくれればいいからさ…』


 木乃葉の言葉が、脳内に響く。


 だけど、確かにそんな無理ゲーも、面白いなと思った。


 はは、と笑いながら俺も肩をぐるりと回す。


 そして、木乃葉を見て、


「わーったよ、甲子園優勝な」


 ニコリと笑って見せた。


 しばらく、見つめ合っていると木乃葉は、ふふっと笑って踵を返す。


「それじゃ、また明日」


 彼女はこちらを見ずに手を振った。


 少しづつ遠くなっていくその背中は、何故か寂しそうな感じがした。






 腕を大きく振りかぶる。


 真夏の直射日光が、ピッチャーからキャッチャーまでのたった18.44メートルの間に陽炎を作って、視界を邪魔する。


 そして、大きく腕を振った。


 パシンっ!


 いい音が響くと、審判の「ストライク2!」という声が聞こえてくる。


 すると、観客席が沸いた。


 9回裏、ツーアウト2塁。


 ツーアウト、ツーストライク、スリーボール。


 本当にこんな場面あるんだって思わず笑ってしまう。


 両者にとってチャンスでありピンチであるこの状況は、良くも悪くも、俺が握っているこの1球が全てを決める。


 顎を伝って垂れる汗が、マウンドの土を黒く染めた。



 なぁ…木乃葉。


 テレビでもいい、ラジオでもいい…。


 見てるか? 聴いてるか?


 ふと目を向けた自分のチームのベンチには、マネージャーである木乃葉の姿が見当たらない。


 お前が眠ってるあいだに、俺こんな所まで来ちまったよ。


 阪神甲子園球場。


 多くの球児が夢を見て、目指す場所。


 この視線、この歓声は、きっとここじゃないと分からない。


 キャッチャーのサインを見る。


 人差し指、1本。


 ストレートだ。


 俺は首を縦に振ると、セットポジションに移る。


 この1球で全てが決まる。


 あのお返しが出来るのか、どうかも。


 大きく、ゆっくり腕を振りかぶる。セカンドランナーは既に走り出していた。


 だけど俺は、キャッチャーのミットだけを見て、


 力の限り、腕を振った。



 …そして。



 パシンッ!


 一瞬時が止まったのかと思った。


 球場がシーンとなって、


「ストライク3! バッターアウト、ゲームセット!」


 その声で球場に音が戻った。


 ワーッと上がる歓声に、「しゃぁー!」 と飛び跳ねるチームメイト。


 電光掲示板の9回裏に×がついているのを見て、俺も叫んだ。


 嬉しくて、楽しくて、最高だった。


 でも、この景色は、木乃葉がいなかったら絶対に見れなかった。


 あの日、木乃葉の言葉が俺に火をつけてくれた。『簡単じゃないから燃える。』って


 だから、そんな彼女にこの景色と感動を見せてやりたかった。


 なぁ、木乃葉…。


 お前のおかげでここまで来たぞ。


 …だからお前も負けるなよ。


 ここよりもずっと静かで、寒い、病室で眠る。


 甲子園のマウンドから送るこのエール。



 ただ、君に届け。











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ただ、君に届け。 あげもち @saku24919

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