形骸的理想都市
metempsy
1.overture
頽廃こそ美である。そう言ったのは誰であったか。
けれどそれはきっと、今のような世界ではなく、人が世界の主体となっていることが前提の話であり、現状を形容する言葉には成り得ないだろう。
五年前、つまり西暦二千二百五十年。熱力学第一法則を打ち破るシステムが完成した。しかし、真なる永久機関の登場に歓喜するも虚しく、その一年後にはとんでもない事件が起きた。
全世界主要都市監視封鎖システム作動、通称"世界閉鎖事件"。世紀の大発明家と称された個人若しくは団体"fefact"により引き起こされたとされるそれの概要は、端的に説明すればこうだ。
建造物自動生成AIと自動インフラ供給AIを一年間で作り上げ、一日にして永遠に籠城可能な、文字通り物理的な壁と天井に囲まれた要塞都市を形成した。
各都市の地下から都市全体をすっぽり覆うように壁を秒で生成していったそれは、続いて光を取り入れられる強化ガラスの天井と、等間隔に地下から天井を支える柱を生成していった。
東京で言えば、流石に六百メートル超えの塔を覆うことはできなかったが、それ以外の建物は全て壁と天井に覆われてしまった。
水も電気もネットも、何一つ滞りなく今まで通り機能しているが、唯一テレビだけは死んだ。
次にインフラAIは武器や兵器になり得るものを取り上げた。具体的には、大きめのポリバケツをひっくり返したデザインのゴミ収集ロボットに改良を加えたものが、銃器や鈍器、刃物等を取り上げていった。
抵抗したものはもれなく射殺されたようで、死体は別のゴミ収集ロボットが回収していったらしい。
そして最後に、インフラAIは全員に個人用の端末を配布し、それで好きなときに飯や飲み物、娯楽、etcの配達の要求ができるシステムを構築した。各世帯に向けて地下に回転寿司屋の注文レールのような要領でレールが敷かれており、迅速に到着するという仕組みだ。
そんな世界で、人々の思考は様々だ。
堕落を享受する者、神の課した試練として受け入れ励む者、何をとち狂ったかAIを神と崇め出す者、路上で拡声器を持ち反旗を翻し外世界を取り戻さんと演説する者、仕事を続ける者、そして他者との対話を続ける者等。
AIは最低限のルールを設け、都市を監視している。
一、食器等、貸与品を別の用途に使わず、使い終わったらすぐに返却すること。
二、必要以上に他者を傷付けないこと。
三、人類の存続を脅かす可能性を持った事柄の禁止。
違反のペナルティは度合いによって異なるようで無機物の癖にそこら辺の融通は利くらしい。
因みに私財は全て没収されたが、土地以外の大抵のものなら誰でも手にすることができる上、残る"自身"の外見的価値も理想身体生成脳移植機がかつての富豪層のみが使える状態が崩れたことにより、意味を為さなくなった。
何故こんな牢獄を作ったにも関わらずここまでの自由を許可するかと言えば、曰く、これ等はこのままで行けば人類は知性を失った畜生に成り下がる故の措置で、文化の保存が目的故、らしい。どう考えたってこうした方が人類は死ぬだろうに。
だから少しだけ思想的に抗っていたかったんだ。そんな若人が徐々に集まるだけの話で。
―――
目覚ましのアラートで起き上がる意識を、そのまま体に落とし込みベッドから立ち上がる。六畳間のカーテンを開け思い切り伸びをする。時刻は丁度七時。
時間という概念が最早意味を成すのか分からぬ世界で今も尚惰眠を貪る方へ行かないのは些かではあるが、心地好い。
顔を洗って朝食の配達を端末に打ち込む。毎日俺は目玉焼きを要求するのだが、機械に鶏の世話なんて出来ているのだろうかとよく疑問に思う。まあ、出来てなかったら出てこないんだけどさ。
台所の壁の一部を宅配ボックスに改造されているので、蓋を開いて中身を取り出す。公立小中学校給食で使う様なトレーの上に、何の意匠も施されていない銀色の容器に入れられた目玉焼きと野菜と牛乳が全て、ピッチリと上面をラップで包装されたものが顔を覗く。
無機的なこれ等と、命を元にした業とが刹那の情緒を思い起こし、いただきますに込められる本来の意味を噛み締めずにはいられなくなる……大袈裟じゃなく本当に。
結果的に学業から解放され、こうした日常の細部にまで思考が行き届くようになった……仮にも三大欲求の一つである食を、細部と呼称する今が良いのか、若しくは出来なかった過去が良かったのか。
正直、こんな思考は迂遠で冗長だ。過去の世界に於いては極めて生きていく中で不必要だった物だ。でも俺は、究極的に効率化された世界で、その思考が嫌いじゃない。まあ、それしかやることがないとも言えるのだが。
言葉を噛み締め手を合わせた後、宅配ボックスに隣接する返却ボックスに食器を乗せ、何事もなかったかのように蓋を閉める。
歯を磨き服を着替え髪を梳かし、薄手のロングシャツを羽織って少し寒い秋の町に繰り出す。
―――
時刻は七時四十五分。歩を進めてから五分が過ぎた。
上を見れば格子状の網目の造られた空で、幾千回目の諦観を覚えつつも、金木犀の薫りに鼻を擽られ思わず視界を地に戻す。
町全体が年中適正温度にされた空調のお蔭で、五年前の秋から毎年肌を触る空気の感覚は何一つ変わらない。と言っても、気温の上昇しすぎた夏以外は世界閉鎖事件以前の世界と似た温度に設定されており、区画によっては雪や吹雪も無機的にではあるが再現されているとか。わびさびだの、"無"にすら良し悪しを見出だす日本人にそんな物が受け入れられているか甚だ疑問だが。
都市郊外とは言え、交通量の多かった此処を車が数分に一台の間隔でしか通らないのと、ウォーキングをしている人くらいしか外に居ないのは、何かが心から抜け落ちた感覚を俺の中に残す。それでも尚気風が乱れたと思わないのは、偏にゴミ収集ロボットの巡回による町の清潔さ故なのだろうか。そこにくらい、人間の意地を感じていたいと思うんだが。
異質にも自然に、無機物に溶け込む木々が等間隔に並ぶどこにでもある通りに友人の姿を見つけて、雑な思考を切り上げ足を早める。
元々はカフェテリアとして使われていた建物の外の椅子に一人座り、頬杖をついて恐らく何らかの思考に惑溺する彼女は、十メートルまで迫った俺に気付く気配が無い。
「おはよう、紅葉」
「ああ、おはよう柊」
声をかけて漸く下を向く顔を上げた彼女は、肩にかかる髪を後ろで縛り、暗い緑をしたトレンチコートに身を包んでいた。
気付いたかもしれないが、俺も紅葉も、名前の由来は生まれた季節だ。
対面の席に腰掛け、大したものも入っていないバッグを冷たい石造りの丸机に下ろす。
「今日は本は読んでないんだな」
「家にある本、一通り全部読み尽くしちゃったのよ。それに本をシステムに要求するのは、何か違うと思うのよね」
「そんなに読んでたのか……今度家から何冊か持ってこようか?」
「……もう怪奇小説は読まないわよ」
「そんなのもう持ってこないって」
本気で暗い眼をして睨み付ける彼女に、笑って返す。もう一年近く毎日喋っているのに、きっと互いに手の内を完全には曝しあっていないんだ。開幕の挨拶から化かし合っている気がしてならない。
「珈琲飲みたいんだけど、ここって中入れるの?」
「入れないけど、そこにボックスあるわよ」
指された指の先に目をやると、家の台所にあるのと同じ形の蓋をした宅配ボックスを、誰の出入りもなさそうなこの店の入り口の横に見つける。
「紅葉も飲む?」
「んー、そうさせてもらうわ……あ、ブラックね」
「あいよ」
ポケットから端末を取り出し、沖縄の品種を打ち込んで数分待ち、配達完了の通知を受け席を立つ。
ふと、ボックスを開くのが習慣と化した行動だと気付いて、なんだかなぁと思いつつ席に戻って、取っ手のついた、これまた銀のカップを二つ置く。
輸送時間でいい感じに冷めているので、少し薫りを嗜んだ後そのまま飲み始める。
「これは沖縄産の豆を使ってるらしいんだけどさ、台風に影響されないこの空間が形成されたことによって収穫量が上がる見通しなんだって」
「言っても飲めるのは沖縄産くらいでしょ。まあ、それについては皮肉に感じるわね」
沖縄産しか飲めないというのは、海外からの輸入品には自動輸送船が使われているらしいのだが、嗜好品はどうしても後になりがちだいうことだ。
味に文句はないのだが、少し食傷気味で憂いを感じる。それの打開は悲しくも輸送船にも熱力学第一法則破りのエンジンをAIが搭載するのを待つしかない。そうすれば輸入量の上限も、じきに増えてくるだろう。
「便利に変わりはないけど、このシステムもわりと欠陥あるんだよな」
「完璧な状態にしてからにしてほしかった、と思わないでもないけど、何か考えがあるんじゃないの?」
「fefactにか? あの人類の衰退を防ぐ云々ってあれに?」
「それが真意であるかないかに関わらず、そうだと思うわ」
「って言われても何も分からないしな」
嘗て華々しい成果を上げて、半匿名にも関わらず全世界の人間にその名を轟かせたfefactだが、実態は見えないしおおよそ同じ次元の存在とは思えない。
「じゃあ誰がやるんだったら納得できるのよ?」
「んー……数百年前に勃興したMasqueradeとかその親戚とか?」
「同一組織若しくは分派とか、そういう話もあるけど、そもそもあっちはハッカー集団でしょ? 分野が違うわよ」
現実的な線だと思ったのだが一蹴されてしまう。
それから少し考えても何も浮かばないので非現実に逃げることにした。
「じゃあジョン・タイター」
「量子力学の発展かラプラスの悪魔の完成でもすれば、過去も未来も映像化は出来るかもしれないけど、あんな風に物理的に干渉するのは無理なんじゃないの?」
「じゃあサンジェルマン伯爵とか?」
「気が狂った不老不死ってことにすれば、なくはないかもしれないわね。その場合不老不死が存在することの議論から始めなければならないけど」
サンジェルマン伯爵は、人間として卓越しきった技量を持っているかの逸話を複数有し、テレパシーや蘇生やタイムトラベルすらしていたのではと言われる謎多き人物だ。
「もし過去を見れるなら伯爵の人生を見てみたいな」
「昔と違ってAIがトップの今は、そういう類いの情報も政府に差し止められることもないから、完成したら見れそうなのは皮肉だけどありがたいわ……まあAIが私達を騙していたら元も子もないけど」
「まあどういう思考回路か分かんねえしな。現状を造り出した理由だって人類の退化を防ぐとかいう意味不明なものだし」
「客観的に見れば、それだけで私達を騙していると判断するのは早計だし、仕事を肩代わりしたと見ればありがたいことではあるから尚のこと難しいわよね」
私自身、この件はどうしたって感情が入ってしまうけどね、と最後に言い放ち、再び彼女は頬杖を付き横を向いてしまった。
ふとしたときに紅葉はこの行動をよく取る。何を思うか知る所ではないが、虚ろな影を落とすその横顔は無知蒙昧な自分の想像力を掻き立てる。
しかし訊くことは憚られた。何かしらがその行為を塞き止めた。
まるでそれが禁忌であるかのように、若しくは一言の勇気を踏み出せない自分への言い訳のように、きっと唯一飾っていない心へ、寄り添おうとする足取りは呪われている。
漸く最後の珈琲を飲み干したときには、彼女は既に向き直って明るい顔を覗かせていた。
机に乗った二つの空の味気無いそれを返却ボックスに置く。
こんな事を日常と見なしたくはない人は未だに多いかもしれないが、もう慣れてしまったのだから、一連の行動は日常と言う言葉の定義に入ってしまうだろう。
――少し歩かないか。そう言って言葉を紡ぐのを一旦止めた。
宛ら此れだけは阿吽の呼吸で、二人歩みを始める。
形骸的理想都市 metempsy @7thAya
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