第2話

 『……なんてことだ、誰も見てなかったのか⁉くそっ』

 息を吸おうとして口を開けると、たまらず嗚咽を漏らしてしまう。言葉を紡ごうとしても「かはぁーっ」という音しか出ない。舌が上あごに引っ付いているのだ。

 待ってくれと。違うんだと言うこともできずに俺の真上―――遥か上空で炸裂しているであろう爆音の隙間。

 無線から伝わるわずかばかりの声に、助けを求めようとして。

 見えない指が耳の中に入り込み、神経が内側からブチブチと音を立てて引きちぎろうとした。たまらず両手の平を耳に押し当てる。すると見えない指は出口を失い、脳の中を這いずり回った。自分の身体が何者でもないナニカに変わって口から吐瀉物が止まらなくなる。

 目の奥が、喉が、熱した鉄板を押し当てられたように痛む。自分が正気でないと分かる。だけど自分をどこか俯瞰で見降ろしているような感覚。ああ止まらない。止まってくれない。止まりようがない。止まれ、止まれ、止まれ、止まってくれ―――。

 痛みは無いはずだった。恐怖も無いはずだった。5度目の修復を終えた時。自分の中で何か大切なものが抜け落ちたと自覚したから。

 テセウスの船というパラドックスがある。ギリシャ神話に登場する王、テセウスが用いたとされる船を後世に残すため、朽ちた木材は次々と新しい木材ものに変えて修繕、保存を続けた。


 そんなことを続けて、やがて全ての部位が入れ替わる時。

 果たしてをテセウスの船と呼べるのか?


 それは彼の身体にとっても同じことだった。おそらくその分岐点ターニングポイントが彼にとっては5度目の修復だったのだろう。理由は定かではない。その時は生身だったところが新しく機械に変わることは無かったはずだ。代替部分がまた別の代替部分に変わっただけ。とにかく防衛戦が始まるというその一瞬前の時でさえ。死への恐怖という怪物は一向に姿を現さなかった。

 その時、彼は理解おもった。がもう自分の身体だと思えなくなっていることに。

 理由は単純シンプル。修復と称して使われるのが、機械兵カリギュレーター部位パーツだからだ。

 彼だけではない。この場所に生まれた者たちはみな同じ末路を辿る。若者は機械兵カリギュレーターと戦い、身体を欠損すればその部分を敵の部位パーツで補う。その繰り返しを2,3度行う頃にはもう取り返しのつかない所まで行ってしまう。5回も修復されたというのは彼の生来の強さとも言えるだろう。

 生きるために戦う。今さら文句は無い。傷ついて死ぬ。そこに疑問も抱かない。

 そのはずだった。


 後にフロイドが捜索隊を結成する頃には、この当時何が起こったのかはハッキリと分かっている。大型の機械兵カリギュレーター。全長5m弱の黒い怪物。三本指の隙間から電動鋸がしきりに回転。その脚部は人間など造作もなく踏みつぶせる。腕を、脚を、どの部位も上げる度に耳をつんざくような怪音がなる。そんなゲテモノにどうやら一つの中衛部隊が接敵した。

 結果的には、大型の機械兵カリギュレーターは建物の中にうずもれたまま破壊された。機械兵カリギュレーターが中衛部隊と交戦中に建物へ突進し、その衝撃で建物が倒壊。はまって身動きが取れなくなった所に援軍の一斉射撃が直撃、撃破したらしい。詳細に記録に残っている。

 中衛部隊は全部で5人いた。その内の4人はすぐに身元が判明したが、残る一人の所在は行方不明者扱いとなり、捜索リストに載った。彼の名前はカンパス。28歳にして修復を5度経験しているようだ。





 温い風が吹きつけた。砂が運ばれて顔にあたる。目の前には焚き火があった。動悸が激しくなる。今際いまわきわで俺の時間は停まっていたのだろう。唐突に今動き出した。夕暮れ時。濃く青い空と妙に赤い雲。織り交ぜて紫の色。地平線の先まで見通せる。誰かに黒いケープを身に付けられたらしく、首元から下が隠されていた。手も足も、動く気配がない。とカンパスは理解した。

 音も光も薄いこの場所で動悸が落ち着いた頃、後ろからサクサクと砂を踏みしめる二人分の音が聞こえた。一人は長身瘦躯の、眼鏡を掛けた男。白い外套のようなものを着ているのかもしれないが、泥や血や油にまみれ、迷彩柄のようになっていた。

 その青年はフロイドと名乗った。年齢は21歳。二十歳を超えているということは軍役だということになるが、童顔な印象だ。隣に腰を掛けるその動作で彼が全身「生身なまみ」であるとカンパスには察しがついた。

 何から聞いたものか。……そんな感情の機微を彼は読み取ったのだろう。

 「3日前から、捜索隊を率いてこの一帯の回収を行っていました」フロイドは傍に立っていた男に見張りの交代を命じ、ふたたびカンパスのほうをむくと、

 「行方不明者は5名。貴方がその内の一人です」焚き火の近くに腰を下ろした。

 そう言われてようやく頭が動き始めた。気づけば口も動いていた。

 「防衛戦線はどうなった?」

 「現在は優勢です。2kmほど押し返すことに成功しました。本部からは『勝利』であると通達が来ました」

 「部隊のみんなは」

 「残念なことですが。中衛第3は貴方をのぞいて壊滅しました。修復不可であると判断したため、都市部の方へ運搬を依頼しました」

 ふっと沸いてくる疑問に、彼は淡々と答え続ける。懐から取り出した捜索者リストにスラスラとペンを走らせながら。焚き火のもとで照らされた視界の端に、その文字が映る。まるでミミズが張ったような汚くクネクネ曲がる文字で、思わずカンパスは少しにじり寄った。

 「………何人、死んだんだ」

 「死体として回収したのは13名。重傷の方たちは全員修復を望みました。それが今朝の記録です。明日に捜索を打ち切るので、残りの行方不明者が見つからなければ合計17名ということになるでしょう」


 「ありがとう」最後にカンパスはこう言った。「このケープを取ってくれないか」

 フロイドはピタッと手を止めた。

 振り向いた顔の、青い瞳にカンパスの姿が映る。てるてる坊主のような。首から上だけがポンッと飛び出た姿。

 「……手が、動かない。足もだ。さっきから体の奥でね、悪寒が止まらないんだ。震えが体から出ていかないんだ。どう思う」

 よろしいのですか。と、彼は聞いた。「貴方にお聞きしたいことが……」

 「コレを取ってからでも出来るだろう」

 そう言うと彼は黙り込んでしまった。

 

 フロイドはいつか見せるつもりだったのだろう、あたかも岩を背もたれに足を伸ばしているかのように、切断された箇所をそれっぽい位置に並べていた。

 そうして彼は初めに太ももの部分へ無意識に目を向けたような気がする。それが生身の部分だったから、なのか。今となってはもう分からない。そこは子供の塗り絵のように黒で塗りつぶされている。熱傷の分類は深度Ⅲにあたる。決して元に戻ることの無い、黒く炭化した熱傷。その特徴は羊皮紙様と比喩される。一見すると白くて無事なように思える箇所も、硬化したためにつまむことができない。何よりその恐ろしさは「無痛」であることなのだが、彼にとってはもう些細な事だ。

 両足の膝から下は機械で出来ていたがベコベコに凹んでいる。左足の方に限っては千切れて無くなっていた。6班が瓦礫の中で発見した時、もしかしたら盗んだのかもしれない、とフロイドは予測している。なにせ機械兵カリギュレーター部位パーツは希少だ。

 次に彼は右腕を見た。これも肩の周辺は生身だったらしいがやはり深度Ⅲの熱傷。

 その辺りで首が動かなくなりカンパスは全身を眺めるのを止めた。後はもう、代替の効く部位だから。無くなっていようがいまいが意味なんて。生還したことが幸運と言うなら、その要因は彼の呼吸器系が既に全身機械化技術サイバネティクスによる代替が済んでいたからに他ならない。



 「俺が見たものはただの腕だった。3mはある鋼鉄の腕だ」

 と、カンパスは訥々とつとつと語り始めた。現実を受け入れるために。

 「その後、何が?」

 フロイドはもうリストを書き終えてペンをしまっていた。

 「俺たちは……農場ファームD7に向かった。防衛戦線が押し上げられたことで斥候として赴く隙ができた。この世界にはまだ通信の取れていない集落があるはずで、そんな彼らと一刻も早く合流する。中衛の最も大切な仕事だ」

 「心得ています」

 「そんな中で奴に遭遇した。通信を試みた直後まず一人が殺された。デカい鉤爪、指の隙間にチェーンソーが回転していやがる。子供ガキが芋虫を千切るように片手で殺された」

 「…………」

 「俺たちはとにかく後ろに逃げた。奴らは半径10mほどの熱源探知を使う。だから距離を取る必要があった。ブラスターを顔にブチ当ててやったがビクともしないで向かってきた。俺も最初の一人のように掴まれて、建物に投げられた。残りの3人はどうなったか知らなかった……。そん時には既に瓦礫の中で埋もれてた。でも。死んだんだろ」

 「はい」

 「そっから先は暗闇の中だ。暫くして爆音が辺り一面に響いて、援軍の空爆だと分かった。まだ俺の体は無事だったし、喋れなかったけど通信は繋いでいた」

 「でも貴方はその機械兵カリギュレーターと一緒に見つかった」

 「……あいつは俺の方に突っ込んできたんだ。塞がった天井に風穴が空いた、あの腕でな。その間近で爆撃が起こる。どいつもこいつも俺が死んだとばかり思っていたんだろう。鼓膜が破れると思ったよ。一方あいつも泥に半身突っ込んだみたいにジタバタしてやがる。そして動力炉リアクターが壊れたんだ」

 動力炉リアクター機械兵カリギュレーターの全身であるそれらは何故か人類の用いるあらゆる動力では動かない。動力炉リアクターの解析は急務であると同時に、サイボーグの動力源にも使える。基本は破壊するのではなく、鹵獲ろかくするのが好ましい。しかしカンパスが呼ぶ大型は依然鹵獲ろかくできた試しがない。鹵獲ろかくを狙うのは1m60cm程度の小型くらいのものだ。

 「空気が変わった。熱が溢れ出して包み込まれた。機械兵やつらも痛がるんだな、火のついた虫みたいに暴れた。俺は一撃喰らって、そっからは蒸し焼きだ………ハハハハハッ、分かるか⁉生きながら俺は焼かれたんだ‼どんな気持ちだと思う⁉俺は動力炉リアクターと一緒に、気を失うまで、何時間いたと思っている⁉地面を転げまわることもできず、自分の肉が焼かれる臭いが今もこびりついている‼この体は奴らと同じもので出来ている、だから俺はショック死せずにこうして生きている。俺の生身は。俺の体はもう、無い、無いんだ‼」

 「……理解できます」

 「ふざけるな‼貴様のような、生身の人間に分かるか、俺の痛みが‼分かられて堪るか……堪るものか‼お前が何故ここに来たのか分かるぞ‼この俺に、また戦場に出ろというのだろう、『修復』を強要し、再び戦えと言いに来た‼」

 「……―――」

 「『重傷者は全員修復を望んだ』だと⁉貴様何をした‼金で釣ったか⁉家族を人質にとったか⁉これ以上俺から何を奪うつもりだ‼」

 フロイドはゆっくりと立ち上がった。外套越しに手を腰に当て、エネルギーナイフとワイヤーグラップルガンがあることを確かめた。

 「殺すか?」カンパスは青い瞳にどなった。

 「来てみろ、この俺を殺してみろ!手も足もどこも動かない!痛みすらないんだ!どうせここで生きたところで、別の場所で死ぬだけだ!俺を殺せ!他の重傷者にも同じように迫ったんだろう⁉俺はもう死……死にたいんだァ!殺せェェ‼」

 カンパスの首だけが動いている。プカプカと浮くおもりのような動きが可笑しい。

 右手にはエネルギーナイフ。使用者の意思を感じ取り、鋼鉄の刃に電熱を宿す。岩くらいの硬さなら、バターのようにスッと刃が通る。

 左手にはワイヤーグラップルガン。鉤縄のように高所に射出し、足掛かりにするための道具だが、複数人が同時に使用することで機械兵カリギュレーターの動きを封じるのにも使用する。無論引っ掛けるための先端は人間の肉なんて容易く食い込み離さない。




 ―――フロイドが取り出したのは、ワイヤーグラップルガン。

 「貴方を殺す事は僕には許されていない。しかしというなら話は別だ」

 左手でキリキリとワイヤーを引っ張り出す。両腕いっぱいに2回。3m以上ワイヤーは伸びた。そのワイヤーをたゆませながら。あくまでふわっ、と鎖骨にかかるくらい大きく広げた輪っかを、カンパスの首にかける。

 カンパスは当然見ていることしか。いや、見ることも出来ない。喋ることは出来たはずだが、彼はしなかった。フロイドはカンパスの後ろに回り込み、そっとワイヤーグラップルガンを背もたれにしていた岩のてっぺんにおいた。

 「……勿論ご存じだと思いますが。ワイヤーグラップルガンはグリップの効き手側にボタンがある。ワイヤーを巻き取るためのボタン―――その面を上にして、貴方の後頭部の真下に置きました」

 フロイドは中腰でカンパスを見つめる。変わらない、青い瞳のままで。

 「そのまま頭を後ろに叩きつければ、ワイヤーが締まって窒息死できるでしょう」膝も伸ばして彼はすっと立ちあがった。「これが僕にできる最大の譲歩です」と。





 やがて朝日を迎えた。回収作戦、最終日。捜索者リスト、依然4名は不明のまま。フロイドは麻をカーペット代わりに外で寝ることにしていた。柔らかいものに触れながら寝ることが出来ないのだ。初日と変わらない夏の日差しを目覚めと共に浴びる。視線の先、やや小高い場所があった。そこは本来治療を施す場所だが、今は一人の男が独占している。フロイドはそこまで来て、視線を落とした。


 彼は変わらずそこにいた。その首元のワイヤーは伸びきったままで。

 泣きすすりながら。項垂うなだれながら。そして、生きていた。

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暴走演算(カリギュレーター) 三船純人 @yanarai314

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