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ぼくの恍惚の日々はすぐに終わりを迎えた。


「なんなんだ、これ⁉︎」

 クラスメイトのひとりが、悠一くんの机の引き出しからビニール袋に入った大量の猫の耳を見つけたのだ。教室は騒然となり、そのグロテスクな光景から、女子生徒は号泣し、何人かの男子生徒が嘔吐した。残りの生徒とぼくは、おそらく同じことを思っていたはずだ。全員がその切り取られた猫の耳を見つめ、それらがあまりにも綺麗な正三角形であることに気がついた。それはきつねうどんに浮かぶ稲荷揚げみたいで、彼が猫の耳を定規で正確に測って、食品工場に卸売する姿を思い浮かばせた。

 生憎あいにく、もしくは幸運なことに、悠一くんは学校を休んでいた。可哀想なことに耳を見つけたクラスメイトは、自分でそれを引き出しに入れて、彼を犯人に仕立て上げようとしたんじゃないかと、生徒はおろか教師たちにも疑われた。それほどまでに悠一くんの信頼というものは厚いものだったが、教室にいた多くの生徒がそのクラスメイトの潔白を目撃していたし、その日のうちに呼ばれた警察の捜査によって、犯人は悠一くんであることが証明された。

 それからというものの彼は学校に来なかった。あんなことがあったばかりだから、転校させられるらしい、少年院行きが決まったらしい、などと根も葉もない噂が広まった。


 一日だけ悠一くんが母親と一緒に、校長室に入っていくのをぼくは見かけた。中の様子をなんとか見れないかと思い、しばらく遠目に校長室を眺めていると、彼が出てきて近くのトイレに入っていくのが見えた。ぼくは迷うことなくトイレの中へ追いかけた。

「悠一くん、災難だったね」

 小便器を一つ空けて、彼に話しかけた。

 彼は驚く様子もなく、ただ弱々しく返事した。

「うん」

 長い沈黙。小便が便器を流れ落ちる音だけが、二人の間を埋めた。

 用を済ませ、二人揃って水道で手を洗いながら、ぼくは彼が泣いていることに気がついた。初めのうちは数滴落ちる程度、それから彼の感情が涙に追いついたのだろうか。うわんうわんと声をあげて泣き出したので、ぼくは拍子抜けしてしまった。

「ハンカチ使う?ぼくが今日使ってたから、ちょっと汚いけど…」

 悠一くんはハンカチを受け取って、溢れ出る涙を拭った。少し落ち着いてから、ありがとうと言ってぼくに返した。久しぶりに、ぼくは彼の瞳を覗き見た。涙で目は真っ赤に充血していたが、瞳は変わらず真っ青だった。青と赤のコントラストが美しかった。


 悠一くんと別れてから、ぼくの中の彼への執着心はみるみると消滅していった。それどころか、家では別の問題が発生していた。

「裏に猫が住み着いたみたいなのよ。あんたどっかに逃してくれない?」

 お母さんにブルーのことがバレてしまったのだ。

「なんで、いつから知ってたの?」

「いつからって…。昨日ぐらいから鳴き声がうるさいのよ」

 家の裏へと向かうと、お母さんが感じた鳴き声の正体がわかった。

「ブルー。子どもできたのか!」

 ブルーの足元には、双子の子猫がうずくまっていた。ブルーに良く似た真っ茶色の子猫たち、瞳も透き通るような青。ぼくが子猫を抱き抱えようとしたその時、ブルーは勢いよく家の垣根を越えて、外へ逃げ出してしまった。

「ブルー待ってよ。ぼくだよ。子どもはどうするんだよ」

 困ったことにブルーはぼくを警戒して、逃げてしまったらしい。子猫の面倒は誰が見るんだよと途方に暮れてしまった。

「早く、逃してきてよ。私猫苦手なのよ」と、お母さんはうるさい。

 しょうがないので、近くの川辺にある橋の下へ向かい、ダンボールの中にいれた子猫たちを置いてきた。餌も何日分か入れてあげる。近くには悠一くんがサッカーの練習をしていたグラウンドが広がっていた。彼が猫の耳を切り取っていたのが遠い昔に感じた。

「お母さん見つけて連れてくるからな。しばらく我慢してくれよ」

 双子の子猫に別れを告げて、ぼくはその場を後にした。

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