4
ぼくの恍惚の日々はすぐに終わりを迎えた。
「なんなんだ、これ⁉︎」
クラスメイトのひとりが、悠一くんの机の引き出しからビニール袋に入った大量の猫の耳を見つけたのだ。教室は騒然となり、そのグロテスクな光景から、女子生徒は号泣し、何人かの男子生徒が嘔吐した。残りの生徒とぼくは、おそらく同じことを思っていたはずだ。全員がその切り取られた猫の耳を見つめ、それらがあまりにも綺麗な正三角形であることに気がついた。それはきつねうどんに浮かぶ稲荷揚げみたいで、彼が猫の耳を定規で正確に測って、食品工場に卸売する姿を思い浮かばせた。
それからというものの彼は学校に来なかった。あんなことがあったばかりだから、転校させられるらしい、少年院行きが決まったらしい、などと根も葉もない噂が広まった。
一日だけ悠一くんが母親と一緒に、校長室に入っていくのをぼくは見かけた。中の様子をなんとか見れないかと思い、しばらく遠目に校長室を眺めていると、彼が出てきて近くのトイレに入っていくのが見えた。ぼくは迷うことなくトイレの中へ追いかけた。
「悠一くん、災難だったね」
小便器を一つ空けて、彼に話しかけた。
彼は驚く様子もなく、ただ弱々しく返事した。
「うん」
長い沈黙。小便が便器を流れ落ちる音だけが、二人の間を埋めた。
用を済ませ、二人揃って水道で手を洗いながら、ぼくは彼が泣いていることに気がついた。初めのうちは数滴落ちる程度、それから彼の感情が涙に追いついたのだろうか。うわんうわんと声をあげて泣き出したので、ぼくは拍子抜けしてしまった。
「ハンカチ使う?ぼくが今日使ってたから、ちょっと汚いけど…」
悠一くんはハンカチを受け取って、溢れ出る涙を拭った。少し落ち着いてから、ありがとうと言ってぼくに返した。久しぶりに、ぼくは彼の瞳を覗き見た。涙で目は真っ赤に充血していたが、瞳は変わらず真っ青だった。青と赤のコントラストが美しかった。
悠一くんと別れてから、ぼくの中の彼への執着心はみるみると消滅していった。それどころか、家では別の問題が発生していた。
「裏に猫が住み着いたみたいなのよ。あんたどっかに逃してくれない?」
お母さんにブルーのことがバレてしまったのだ。
「なんで、いつから知ってたの?」
「いつからって…。昨日ぐらいから鳴き声がうるさいのよ」
家の裏へと向かうと、お母さんが感じた鳴き声の正体がわかった。
「ブルー。子どもできたのか!」
ブルーの足元には、双子の子猫がうずくまっていた。ブルーに良く似た真っ茶色の子猫たち、瞳も透き通るような青。ぼくが子猫を抱き抱えようとしたその時、ブルーは勢いよく家の垣根を越えて、外へ逃げ出してしまった。
「ブルー待ってよ。ぼくだよ。子どもはどうするんだよ」
困ったことにブルーはぼくを警戒して、逃げてしまったらしい。子猫の面倒は誰が見るんだよと途方に暮れてしまった。
「早く、逃してきてよ。私猫苦手なのよ」と、お母さんはうるさい。
しょうがないので、近くの川辺にある橋の下へ向かい、ダンボールの中にいれた子猫たちを置いてきた。餌も何日分か入れてあげる。近くには悠一くんがサッカーの練習をしていたグラウンドが広がっていた。彼が猫の耳を切り取っていたのが遠い昔に感じた。
「お母さん見つけて連れてくるからな。しばらく我慢してくれよ」
双子の子猫に別れを告げて、ぼくはその場を後にした。
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